大切な気づき

4年生の終わり、担任の先生にお礼の言葉をどう伝えようか考えていたものの、すでに十分伝わっているのではないかと思い、息子の宿題のサイン欄にひと言だけ書きました。『1年間、めちゃくちゃありがとうございました♡』すると、返事が。『こちらこそ本当に楽しかったです。ありがとうございました。』というにこちゃんマーク付き。WBCが始まってから、宿題のサイン欄には、野球ボールやバット、ペッパーミルやユニフォームを描いたりして、その度に先生が乗ってくれていました。『侍JAPAN!』と書いた日には、『見る見る~』と赤ペンで返事があり、笑ってしまって。その試合ごとの先生の感想が聞けて、二人で宿題プリントを通し、キャッキャッと野球少女に戻り盛り上がっていました。そんな時間が楽しかったと最後に先生が届けてくれて、なんだか泣きそうに。くまの顔を描き、ママぐまのサインをした時には、先生が胴体を付け足して描いておいてくれました。合作~!と喜んだ全ての時間をしまっておこうと思います。次回のWBCで先生もまた、野球が好き過ぎる保護者がいたことをふと思い出してくれるかもしれない。3年という月日が、優しさで溢れていく。

まだまだWBCの余韻が残る中、息子が伝えてくれました。「ボクね、いろんな場面で感動したんだけど、決勝戦で7人のピッチャーの球を受けて支えた中村(捕手)はすごいと思う。安心させてくれる存在だったよね。」ヤクルトファンであり、こういった役割をよく見てくれる息子ならではの視点に嬉しくなりました。「そうだね。大きな舞台で、アウェイの中で中村選手がどっしり構えてくれるとみんなほっとしたのかもしれないね。」緊迫した決勝戦でのマウンド、巨人の戸郷投手の球が乱れると、すぐに気づき、マスクを外して「戸郷、大丈夫や。」と声をかけた中村選手。自分を取り戻せる時ってこんな言葉をかけてもらえた時だよねと胸が熱くなりました。全ての試合を観た熱は冷めることはないようです。
婦人科で、ホルモン治療のお休みをもらいました。メンタルは少し楽になったと思ったら、下腹部痛が酷くなり、ホルモンバランスも乱れ、これは一体どうしたものかと困惑中です。術後に、漢方内科の主治医が伝えてくれて。「ホルモン剤を飲んだら更年期の症状が出てしまう、飲まなかったら痛みが強くなったり、残された卵巣の再発を心配しなければならない。どちらの道も辛いよな。」と。医学的にだけでなく、人の深い所まで辛さを分かってくれる先生の優しさに救われました。どちらも辛さが伴うけど、どちらも人のぬくもりが自分を覆ってくれているから、乗り切れそうです。そんな状態の中、深夜に2008年の北京オリンピックのことが気になりだし、検索をかけてみました。すると思いがけないことを知り、大きく気持ちが巡ることになって。2008年は、もう関東に来ていた時でした。星野監督が日本代表の監督に就任、予選から試合を観ていました。けがで離脱をされる選手がいる中、予選を通過してくれて安堵。その後、準決勝の韓国戦で敗戦が決まり、肩を落として沈んでしまいそうな気持ちをなんとか奮い立たせ、3位決定戦に臨んでくれた選手達の姿がそこにはありました。それでも、アメリカに敗戦。無念の表情で帰国した星野監督や選手達の姿がずっと自分の中に残っていました。今になって改めて調べてみると、準決勝、3位決定戦で西武のG.G.佐藤選手がエラーをされていたことが判明。肩に激痛が走っていたことを言えなかったこと、慣れないレフトの守備に不安を抱えてしまっていたこと、そしてエラーをしたことに途轍もなく自分を責めていたことが分かり、胸が締め付けられそうでした。それでも、読み進めるとそこには光があって。帰国し、試合に戻ると西武のファンが温かく迎えてくれた、『G.G.佐藤は西武の誇り』このようなボードを掲げてくれる人が何人もいたのだと。どん底を味わい、その時向けてくれた人のあたたかさは、その人の凍り付いた心を溶かしてくれる唯一の光なのではないかと思いました。もし、一日だけ戻れるとしたら2008年、侍JAPANが成田空港に降り立った場所で、一野球ファンとして大きな拍手と激励の言葉を届けたいなと。その時の悔しさが侍JAPANに引き継がれ、全てが陸続きではないかとそう思うのです。だから、G.G.佐藤さんにも心の中で金メダルを届けたいです。

そして、そのオリンピックの選手の中にダルビッシュ投手がいたことも分かりました。招集されてからチームがまとまる時間があまりにも短かった、だから田中将大投手と丸刈りにして、少しでもみんなの結束になればといろんな気持ちでいたのだと。だから、今回WBCで最年長として宮崎合宿1日目から無理を承知で合流してくれていたのかな、ダルビッシュ投手の中で北京オリンピックの敗戦もWBC二回大会の優勝投手も、何もかもが詰まっていたからこそ、感謝して投げたいという気持ちでいてくれたのかと思うと、堪らない想いに包まれました。北京オリンピック、選手達の表情は思い出せるのに試合内容は全く思い出せなくて、15年という歳月と共にその試合が大切な意味を成しているような気がして、大きな流れを感じさせてもらえたようで胸がいっぱいでした。星野JAPAN、その時戦ってくれた一人一人の戦士を忘れないでいようと思います。悔しさを未来へ繋ぐ、振り返った時きっと糧になると願って。