息子が半日授業の日、新宿の主治医の通院があったので、カギで家に入ってお友達と遊びに行ってねと伝えると、あっさり理解してくれました。連日、ものすごい勢いで帰宅し、3分も経たないうちに出て行くので、私がいてもいなくてもそんなに変わらないなと成長に笑えてきて。そして当日、ゆっくりと電車に揺られ、待合室で長時間待ち、ようやく呼ばれると開口一番で先生に伝えられました。「予約の変更をさせちゃった上に、待たせてごめんね。」と。大学病院でも勤務している主治医は、漢方の研究にも携わり、その関係もあってごくたまに予約の変更があることを知っていました。先生が繋げてくれるものがきっとまた誰かの助けになる、そう思うと変更ぐらいなんてことなくて。「いえいえ、全然気にしないでくださいね。」そう言ってお互い笑顔でご挨拶。健康診断の結果が良かったことにも安堵してくれた先生は、ずっと横一線にいてくださる方なんだなと思いました。名医なのに、偉そうに感じたことは一度もなく、むしろそっと出してくれた手にいつも溢れそうになって。母のことで勇気を出して距離を取った数年前、思い切って臨床心理士さんの所に行き、カウンセリングをお願いすると、7回に留まりいい感じで突き放され、そこからこのサイトに繋がっていきました。その時、並行して主治医に弱音を吐いたことがあって。母のことで悩んでいた実態が見えてきて、だからこそ得体の知れない不安感に襲われているのだと。臨床心理士の先生にも言えなかった感情を、主治医には素直に話せて、それをあたたかく大きな器で受け止めてくれた時間。その時のことを思い出し、優しい気持ちに包まれていると薬の確認が最後に始まって。すると、その日散々話していた抗生物質が飛んでいて、それを伝えると先生がずっこけてくれて近くにいた看護士さんと大笑い。その日一番大事なものが抜けていて、主治医の天然ぶりは今に始まったことではないのだけど、それもひっくるめて人間味があり、スーパードクターなんだよなと嬉しくなりました。誰もが笑顔になる、心から尊敬したくなる人。
せっかく気持ちが温められたので、そのまま帰らず、新宿駅周辺のベローチェに入り、紅茶と焼き菓子を注文して席に座りました。オレンジパウンドケーキ、うまっ!と思いながら周りを見渡すと、ビジネスマンの方が多くふと父との会話が思い出されて。物心ついた時は、外回りが多く、バイクでお客様の所へ通っていた父。いかにも銀行員の方が持ちそうな典型的なアタッシュケースをいつも持ち歩き、そしていつしかバイクから車に変わっていました。支店長代理になり、外回りがなくなってどんな仕事をしているのか聞いてみると、ある意味父らしい返答が。「椅子に座ってハンコ押しとる。」ってそれだけか~い!もうちょっと他にもあるでしょうよと思ったものの、多くを語る人ではないので、会話はあっさり終了。そんな父と、幼少の頃、佐賀の実家へ二人で帰省したことを最近になって思い出し、書かせてもらったのはまだ少し前のこと。そして、新宿のカフェでぼんやり思考を巡らせていたら、ある意味大事なことが頭の中で繋がっていきました。何かとても強い衝撃があると、丸ごと忘れられるようにひとつの出来事の前後までごっそりdelate(消去)ボタンを押していることがある。でも本当はパソコン画面のように、ゴミ箱に捨てきれていない記憶は片隅に残っていて、それを仕分ける旅にゆっくり出ました。そんな中で、父と久しぶりに電話で話した後、その穏やかな佐賀行きがとても自然に蘇り、それでも名古屋へ戻る過程は全く思い出せなくて。なぜだ?とゆっくり流れるBGMの店内なら辛くならないのではないかと、子供の頃の記憶を辿るとその理由が分かりました。父は思い立ったら気まぐれで動くことが多々あり、私も連れて行くことは急に決まった、それはまだいい、その時母の機嫌はとても悪かった。きっと、夫婦間でいざこざがあり、私を連れて行くことさえ母は気に入らなくて、なんだか後ろ髪を引かれる思いで父の助手席に乗ったのだろうと。それでも、実家を離れて行くうちに、母の負の感情を受ける辛さが和らぎ、別の世界へ行けた気がしたんだろうな。佐賀の実家に着いたら、孫も便乗しているとは思っていなかった祖父母は、迷惑がるどころか歓迎してくれた、そのあたたかさが途轍もなく嬉しかったのだと。そして、また名古屋に戻る時間がやってきて、母に文句を言われるのが分かっていたので重くのしかかった記憶は消したんだろうな。父が実家を出て、大学4年の終わりに、もう最後になるかもしれないと祖父母に会いに行った時、女の子が大学に行きたいと言ったSちゃんがお父さんを追い込んだんだ、お母さんの味方をして、だからお父さんは女の人を作って家を出たんだとおばあちゃんに言われた時、胸が痛みました。小さい時、優しく迎えてくれた人達、その時間をとても大事に持って大人になったからこそ、受けた痛みは相当だったんだろうなと。それでも、一緒に新幹線に乗ってくれたおじいちゃん。「Sちゃん、今まで皆の間に入って辛かったね。おじいちゃんがお父さんを説得しに行くからもう大丈夫だよ。よく頑張ったね。」ただ隣で頷き、新幹線のトイレで大泣きした時、もしかしたら本当に大切なことを教わったのかもしれません。ありのままの自分に気づき、それを包んでくれる人がいました。この気持ちを忘れないでいようと。
さてさて、ゆっくり時間の流れたカフェを出て、新宿の空を見上げました。自分が東京の街をこんなに身近に感じ、歩く日がくるなんて、実家にいた頃は考えもしなかった。生きることって自分次第なのかな。そんな気持ちでまた電車に揺られ、自宅に到着。また慌ただしく帰った息子と夕飯を食べた後、何気なく彼が口ずさんでいたのは東京ドームで何度も歌った侍JAPANのチャンステーマでした。そっと心に残るのは、悲しいことよりも嬉しいことであってほしい、時にほろ苦さもあるし、それがエッセンスにもなるのだけど、笑える時間を少しでも増やせたのなら。ゲームセットまで、どんなことがあっても諦めない。