夢のプラン

朝、いつも通りにシェアオフィスの駐輪場へ行くと、声をかけてくれたのは不動産関係のHさんでした。外で会えたのでいい機会だと思い、勇気を出して聞いてみました。「私が全然来られていなかった期間中に、Tさん(ラガーマン)とサイトを閲覧してこちらの状況を知ってくれたって聞いていたんです。」「そうなんですよ~。そっとしておいた方がいいのかなって、気づいていないことにしようとも思っていて。久しぶりにお会いして、元気そうなお顔を拝見した時、ほっとしました。」「すごく気にしてくれているのを感じていたので、本当に嬉しいです。実はまだ、再発を防ぐための薬物治療中で、なかなかきつくて。」と弱音を吐くと、本気で心配してくれて張り詰めていた心がじわっと解けていくようでした。とてもお元気そうだったから安心していて、でも、まだ続いていたんですね、いつでも話を聞きますから声をかけてくださいね。色んな思いを届けてくれる彼の気持ちが、どれだけの温もりを含んでくれていたことか。いつもは明るいノリでお互い話していたので、こんなに真面目な話をしたことは初めてだったかも。でも、最初に体に異変を感じた休校期間中、時間の無さを応援してくれていたのも彼でした。信頼できる人、確信を持った直感は当たっていた。人と深く繋がる時は、いい時よりも苦しい時を共にしてくれる。

そんな嬉しい時間を過ごしたので、すっかりふわっとした気持ちに包まれ、思いついた夢のプラン。一気に行きたい場所を回ることはできないだろうかと。大学卒業前、東京で叔父に会い、そのまま名古屋を通過し、佐賀の祖父母の所にまで新幹線で行ったことを思い出しました。その少し前には、卒業旅行で四国一周、マブダチK君に送ってもらい、一人で伊豆にも一泊行っていた訳で。若いって素晴らしい。前例があるということは、またやれるのではないかという妄想を通り越した暴走プランを考えてみました。
まずは、仙台へ行き、松島を歩く。できれば楽天の試合を観て、沢山の想いを馳せる。その後、新幹線に乗り、一気に大阪へ。司書教諭の資格を取得した大学のキャンパスを歩き、道頓堀でたこ焼きを食べ、京都に向かう。大学図書館でお世話になった教授に会い、祖父が戦後に降り立った舞鶴港へ。そして、神戸へ向かい、プログラマーのMさんと合流。神戸の街を案内してもらい解散。その後、名古屋に向かい、沢山の友人に会い、小料理屋のママの所へプレゼントを持って乾杯。飲んだくれて、関東へ帰宅。っていうか飲めんし。周りが全力で止めそうだなと書きながら笑えてきました。看護士さんが退院前に説明してくれた冊子には、旅行は体力がついてからにしましょうということ。短期間ならいいのだろうけど、さすがに執刀医も呆れるだろうな。ダメか~。

息子を出産前、妊娠高血圧症候群で、血圧が下がらなくなってしまい、出産後もその状態で退院させてもらえない状況だったので、何度も血圧計で計り、一番数値の低い紙を助産師さんに渡し、自宅でおとなしくしているので退院させてほしいと懇願しました。退院後すぐに、外来に来ることを産科の先生とも約束し、無事に退院の許可が下り、ほっと一安心。そして、服に着替え、息子を抱き、助産師さんに挨拶をすると、笑いながら伝えてくれました。「絶対に無理しないでくださいね。女性は自宅に帰ったら、自然と体が動いてしまうので。いいですか、あなたみたいに血圧が下がり切っていない産婦さんが、頭の血管切れて救急車で運ばれるんですよ!」優しさを含んだ脅され方ってこういうことを言うんだなと、一緒に笑えてきました。
そして、今回の手術では、担当してくれた看護士さんからも厳重注意の説明が。「傷口はまだ完全に閉じていないんです。日常生活で無理をして、傷口が開くと腸が飛び出し、筋肉は閉じようと自然に動くので、大変なことになるんですよ!絶対に1か月は安静にしていてくださいね!」具体例をどうもありがとうと、青ざめながらおとなしく頷くしかなくて。助産師さんも看護士さんも、これだけはっきり言わないと、頑張ってしまう女性が沢山いるのだと、そんな目に見えない同性の方へのエールと、届けてくれる気持ちを忘れないでいようと思いました。「異変を感じたら、すぐに婦人科に来てくださいね!」一体何人の看護士さんが、その言葉を伝えてくれただろうか。夢のプランは、一旦棚に上げておこう。

まだ大学生だった頃、姉が働く航空会社の飲み会で、オーストリア行きのチケットが当たったんだよ!と連絡をもらったことがありました。「え~!!さすが航空会社。なんだかスケールが違うな。まさか片道だけとかじゃないよね?」「それはないわ。でも一人だけなんだよ。せっかくだから、お母さんも誘ってあげようと思って。でも安く行くにはお母さんだけヨーロッパで一度乗り換えないといけないの。」「それは大変だ。天然だし、全く英語話せないよ。」と本気の姉妹会議。そして、協議の末、とりあえず本人に聞いてみようということになり、説明をすると、「何とかなるから行くわ!」という恐ろしくポジティブな返事があり笑ってしまいました。「本気で大丈夫?お姉ちゃんとは現地で会うんだよ。」「なんとでもなるわ。」とあっさり話が終わり、本当に旅立って行きました。その後、姉から国際電話があり、無事に合流できたということ。胸を撫で下ろし、帰国した母に聞いてみると、あっけらかんと話してくれました。「何も考えずに行けてしまったのは、まだ若い証拠ね。それにしても、親は飛行機代が半額になるからって、私だけ乗り換えだなんて、お姉ちゃんも相変わらずね。」いやいや、どっちもどっちでしょ。現地で、想像通り喧嘩をしたものの、ヨーロッパで乗り換えに成功した母の顔は、どこか自信に満ちていて。お母さん断るんじゃない?という二人の考えを見事にひっくり返してきた彼女の度胸を、心から褒めたいと本気で思いました。
「いい旅だった?」「お父さんが出て行っても、楽しめたよ。帰りも別行動で、お姉ちゃんは関空に帰っていったわ。」もうね、一緒に笑うしかない。
かわいい子には旅をさせよ、母親バージョンの成功。