息子が他校へ部活に行った日、銀行に急きょ行く用事ができたので、帰りを待っていました。あまりの暑さで1日の部活が半日になり、お弁当を持たせなかったので昼には帰るだろうと思っていても、なかなか帰宅せず。元々銀行員だった父は、毎晩帰宅が遅かったので、そのイメージが自分の中で定着し過ぎてしまい、銀行の窓口が午後3時に閉まるという考えが抜け落ちていたこともしばしば。行った時には閉まっていたということが何度もあったので、今日こそは3時までに入店しようとそわそわ。すると、疲れきった表情で帰ってきました。「おかえりなさい。予想よりも遅かったね。」「電車が遅れていたんだよ~。」なるほどなるほど。電車やバスで移動することも増え、息子の世界がゆっくり広がっていくのを感じました。慌てて昼ご飯の準備をし、事情を話していざ銀行へ。その途中、そういえば父は元銀行員だったという話を最近した時の会話を思い出して。「え~!そうなの?!おじいちゃん、ポケモンGOをやっている人だと思ってた!」孫にそんなイメージを植え付けていたとは、なかなか笑える。「あ、でも、スーツを着ている姿はなんとなく分かる気がするよ。」一流のバンカーだった、そんな背中をずっと見て育ったんだ、父親としてはどうかと思うけどという注釈付き。そんな経緯も敬意も込めて、ずっとヘビーユーザーである銀行の店内へ。ニュートラルであれ、父が大切にしていた気持ちをふと思い出した。銀行員として、きっと本人にしか分からない悔しい思いを沢山してきた、それでも腐らず、人を恐れず、目の前のことを全うした、その結果が銀行の関連会社への出向だったと思っていて。暇になったと話してくれたことも。それでも、父のスタンスは何も変わっていませんでした。共に働く仲間や関わりのある方達を大切にするということ、自分の常識はみんなの常識ではないということ、正しさってなんだろうな、父は今でも考え続けているような気がしています。来世こそは、上司として出会えたなら。
大学2年、重すぎる我が家の内容を全部すっ飛ばし、なんとか後期の試験を終えました。教職課程やバイトでへとへと、自宅に帰れば情緒不安定な母と介護が必要な祖父が待っていて、学費の心配も常にあり、立ち止まって考えました。3年生になってから司書課程も履修したら、さすがにパンクをするのではないかと。その時、高校の恩師、世界史の先生との会話を思い出しました。「社会科の教員と図書館司書、今の段階でどっちに進みたい?」「自分がどちらに向いているか、今は決められそうにないから、大学4年間でゆっくり考えたいんです。だから、両方の資格が取れる所に進学したくて。」そんな私の志望校を一緒に考え、本気で応援してくれました。欲張りでいい、それぐらいの気持ちで行けと。進学し、父が家を出て行った後、学費に行き詰まり、指定校推薦を勝ち取ったことを喜んでくれた高3の時の担任の先生に電話を入れました。本当にもし、私が退学せざるを得なくなったら、やっぱり後輩に迷惑がかかってしまうかと。自分が道を閉ざしてしまうのではないか、それを思うと意見が聞きたくなり、高校へ電話。事情を聞き、なんとかならないかとこちらの心配をしながら、久しぶりに旧担任の先生の声を聞いたら、懐かしさがこみ上げ、必死に受験勉強をして夢がいっぱいだった過去の自分を思い出しました。大学3年に上がる前の春休み、自分はいろんなものを背負っているのだと冷静に受け止めていて。あんなにも取りたかった司書資格、でもここで手放せばアルバイトの日にちは削らなくて済む、まずは大学を無事に卒業すること、そして沢山の人が応援してくれている教員免許は取り切ろうと思いました。選択の連続だけど、一つを一旦残しコマを進めた日。
その後、いろんな支えの中で、教員免許と卒業証書を手にしました。言葉にならない気持ちというのは、こういうことを言うのかと感無量で。後輩にも母校にも迷惑をかけなくて本当に良かった。
それから、塾講師をしていた時に出会ったのは一浪をして国立大学を卒業した苦労人の同僚でした。彼女には、司書資格を一旦置いてコマをひとつ進めた日がよく見えていたようで。それが、どれだけの思いだったのかも。いつか取り戻しに行けたら、その気持ちも伝わり、本気で怒ってくれました。Sちゃんはずっとそうやって生きてきた、いつも家族の為、周りの為、でもね、自分の為の選択をしてほしいんだよ。それが私に出会った“今”なんじゃないかって。誰にも言わず、サイコロ振ってみなよ、司書講習を受講できるかの作文試験があるんだよね。まずはそれを受けて、だめだったらきっとそれは今じゃなかっただけのこと。自分の為に、自分の為だけに、動き出そうよ。彼女の言葉を聞き、人の出会いってすごいなと心が震えました。ひとりで泣いた夜まできっと気づいていた。そして、受講の切符を手に入れ、司書講習への道が開けました。こっそり塾のみんなにお願いをしていた寄せ書きを友達からプレゼントされ、感激の中自宅で開けることに。『夢があるって素敵ですね。そんな姿を子供に見せてくれてありがとう。』保護者の方からのメッセージもあり、大泣きしました。選んだ道を応援してくれる人がいる、絶対に忘れないでいようと。司書として学んだ数々のこと、その中で気に入っている言葉のひとつは、『生涯学習』というもの。大学図書館で勤務し、聴講生としてご年配の方にも図書館を利用して頂きました。いくつになっても学びたいというその姿勢に、こちらの方が嬉しくなって。この間、花火大会があり、場所取りで先に行った私は、敷物が飛ばないように泣く泣く水と本を置いていくことにしました。カフェで息子を待つ間に読むはずだったのにと、そんな自分に笑えてきて。お母さんにとっては、水と同じくらい本も大切、生涯学び続けたいんだ、その気持ちは彼にも伝わっているよう。だから、いつかやってくる最期には棺桶に本を入れてね、エンディングノートにでも書いておこうか。生を終えても、本と共に旅は続く、紙と鉛筆もだね。ゴールはゴールじゃなくてもう一度スタートがあるなら、前に出会った沢山の人達の物語を伝えたい。2周目、3周目、本当はもう始まっているのかもしれない。