4年目に突入

『石の上にも三年』(つらくても辛抱して続ければ、いつかは成し遂げられるということ)、この言葉を、始めた当初から頭に入れ、まずは3年頑張ってみようと思っていました。気が付いたら3年。書き始めた最初の7月からずっとここにいてくださった読者の方を感じています。感謝を通り越して、ものすごく励まされました。一緒に歩んで、もう3年ですね。

息子が休校になってから少し経ち、仲良しのKちゃんに会った時、仕事のことを気にかけてくれたので、心配をかけないようにできるだけ明るく伝えました。「なんかね、3.11の後のような気持ちでね。」たしかそんなことを言ったら、彼女の表情が一瞬曇ったことを逃しませんでした。私がどんな心理状態にあったのか、とても近くにいてくれた友達だからこそ感じてくれた想い。きっとこちらが思うよりもSさんは苦しいんじゃないか、そんなに無理して笑わなくてもいいよ、顔がそう言っていました。なぜ、この状況で書き続けることができたのか。それは多分、“人”を感じていたからだと思います。画面を通してそこにいてくれる沢山の人、そして私の周りにいてくれる人。
オンライン教材のメッセージ画面で、担任の先生に伝えさせてもらったことがありました。『司書として働いていて、息子を産んでから今度は自分が書いてみようとライターになりました。3か月、この状況の中で読者の方に書き続けた気持ちは、先生が私達を心配してくれる気持ちと同じです。心の琴線に触れてくれた先生に私もありがとうと思っています。』すると後日返信が。『とってもありがたいです。こんな時代だからこそ、優しさや温かさが、人から人へ広がったり、循環したりするといいな、と思います。些細なことでもかまいません。いつでもご連絡くださいね。』先生の気持ち、循環しましたよ。誰かが止めなければ、繋がっていくものだと、そうであったらいいなと願っています。

センバツで決まっていた出場校。そのチームが大会中止で泣き、今度は夏の交流戦で1試合出られることが分かり、また歓喜の涙。練習後に監督に言われたその言葉に、もう汗か涙なのか分からない何とも言えない選手の気持ちが届き、事あるごとに一緒に泣いていました。息子と甲子園を観ていた時、「なぜ砂を持って帰るの?」と聞かれたことがありました。「負けたらもうその試合で終わりなんだよ。だからね、思い出に持って帰るんだよ。優勝しても持って帰るの。」「だったら、甲子園の砂、減っちゃうね。」ははっと笑いつつ、私も子供の頃同じことを考えていたので、整備する為に増やすに決まっているでしょとは偉そうに言えず。甲子園の土を踏むことが、どれだけ価値のあるものなのか、今回改めて感じさせてもらったような気がしました。今度は、どんな涙を見せてくれるだろう。少年野球も分散練習、少しずつ、本当に少しずつ日常が戻ってきたよ。

まだ実家にいた頃、マブダチK君と、ナゴヤドームに連れて行ってくれた友達と三人で、車の中で語り合ったことがありました。なんの話をしていたのかな、ただ色々なものが自分の中ではち切れてしまって、後ろの席で溢れ出した涙が止まりませんでした。それを見た運転手の友達はバックミラーを見ながら困惑、そして、助手席にいたK君は私の頭を小突いて、にやっと笑ってくれました。その時、彼との何とも言えない深さと友情を感じて。困惑するのが普通、でもアイツは逆でした。ようやく自分を出したな、今まで抑えていて苦しかっただろ、たまにはそうやって泣け、まあお前は俺の胸を借りないだろうけど、いつでも貸してやる、そんな若干腹立つ表情を見せてくれて、この人にこうやって守られてきたのだと実感しました。素を見せて安心してくれる人が、こんなにそばにいてくれた。

4年目、どんなことが待っているだろう。画面の向こうで、昇進されている方がいるかもしれない。赤ちゃんが生まれて、お母さんになっている方も。もしかしたら、恋人と別れて挫けそうになっている方も。だから私も、格好つけずにここにいようと思います。そうしたら、読んでくださる方の心に届くかもしれない。自分は自分でいいんだって思ってくれることを、どんな時も祈ってます。
丸3年経ったよ。飲めないから~、ジンジャエールで~、乾杯!セルフサービスでお願いします!!