新宿の主治医の所で診てもらった後、地元の薬局に処方箋を出し、改めて取りに行くとひとつの薬だけ1週間ほど足りないことが分かりました。そのことに気づいた薬剤師さんが、申し訳なさそうに伝えてくれて。「すみません。こちらも処方箋を受け取った時にもっと確認をすれば良かったですね。先生に電話をして聞きましょうか?」そう言われ、頭の中でフル回転。話が盛り上がってたまたま一つだけ数字を間違えて入力してしまったのだろう、週7日病院と大学の講義などで飛び回っている中で連絡を取るのは容易なことではない。そもそもその漢方は、術後の癒着が酷かった私に別の症状で再度手術をすることになってはいけないと半強制的に先生が出し続けてくれているもの。そういえば息子の熱などで通院が後ろへ延びる可能性を考えて、少しストックがあったなとあれこれ思い出し、大丈夫ですとにっこり笑顔で薬剤師さんに伝えるとほっとしてくれました。患者さんの薬が途切れてしまわないように、そんな配慮にありがとうと思いながら出た薬局。備えあれば憂いなしって本当だな。優しい医療にこうやってずっと助けられてきた。
そして翌日、息子が伝えてきました。「今日、いつもの友達と○○君と○○君と夜サイゼリアに行ってきてもいい?」ん?新キャラ登場?!と思いながら聞いてみることに。「卓球部のお友達?いいよ!」「うん。クラスは違うんだけど最近仲良くしているの。」その話し方を聞き、波長の合う類友が集まってきたのだと嬉しくなりました。「小学校もクラスも違うけど、部活で仲良くなった横の繋がりも大事にしなね。お母さんもテニス部の友達とカラオケに行ったりしていたよ。」そう話すと、意外だと言われ大盛り上がり。お友達とのファミレスデビューは意外と早かったなと彼の世界をそっと見届け、玄関でバイバイしました。そして、自分の通った道をなぞったひととき。
陸上部は、ただ前だけを見て走っていました。走り幅跳びの練習前は、友達とスコップを持ち、ザクザク軽快に耕していくので先輩達にも笑われて。そして、一直線の道をダッシュし、踏切を意識してジャンプ。春の大会が終わり、テニス部に専念するとコート内で横移動になり、視点も動き方も変わるのではっとなったことがありました。物の見方ってひとつじゃないんだなって。当たり前のことなのかもしれないけど、中学生の私にとってそれなりに大きな気づきで。そこに所属していると逆に気づきにくいこともある、一歩外に出てまた戻ると別の見え方もあって。転校した時もそうだったけど、部活から学んだことも多かったのだと改めて思いました。その後、進学し、高校の時に出会ったマブダチK君。いつもかったるそうで、髪の毛を茶色に染め、先生達に反抗し、それでも彼の真っ直ぐな心はずっとそのままでした。「進学校で、校則も厳しくて、なんかみんな同じに見えるんだよ。でもSは違う。お前はなんか違う。」彼の目から見たらどうやら私は異彩を放っていたらしい。それはお互い様だよと思いながら、それぞれに葛藤を抱え大学に進学。すると、ばかばかしくなってきたと言って全く通学しなくなり、それでも友達の関係は続いたままでした。私の家庭に何があろうと、K君が中退しようと、それぞれに恋人ができようと何も変わらず時は過ぎて。そんな中、教職課程の宗教学の講義で、他の時間でも取れるといったこともあり、5限目に行われた授業はいつも空いていて出席。そこで、教授が、教育実習前に人前で話す練習や自己紹介も兼ねて、どうしてその教科で教職を取ろうと思ったか、順番に発表してもらうという時間がありました。トップバッターは、経営学部の男の先輩。今は頭が茶色いけど実習の時は黒く染めますとか言うので、笑いが起き、一気に講義室の空気が温まりました。本当に何話してもいいんだなと。そして、私の番になって。「文学部で日本史を専攻している2年の○○です。自分が中学の時、尾崎豊さんの曲をよく聴いていました。自由ってなんだろうってそんなことを思う中学生で。私の中で、本当はもっと反抗したい気持ちとかあったのかなって。とても複雑な時期で、でもそんな時いろんな先生に出会って、だから今こうしてここにいられているのかもしれません。自分がいろんな気持ちを抱いてきたからこそ、中学の社会科にこだわりたいと思いました。この講義が終われば、ここで出会えた皆さんとお別れになるけど、こうして交われたこの時間を忘れないでいたいと思っています。ご清聴ありがとうございました!」そういったことを話すと、優しい笑顔と拍手が返ってきました。その後、教育実習が終わり、たまたまその時の教授と大学図書館で再会。「どうだった?実習?」「とても良かったです。」「今度さ、僕の講義でまた実習に行く後輩の為に、話しに来てよ。」卒論で今は週一しか来ていないのですが、機会があればと笑ってお別れしました。その教授は恐らくお坊さんでもあって。人それぞれに思想がある、他者を重んじる、先生なりのやり方で和を伝えたかったのかもしれないな。
それからさらに時が流れ、ふとマブダチK君が伝えてきました。「俺、10年一緒にいてようやくSのことが分かってきたかもしれない。お前の家族、みんなが頼って俺全然納得できなかったんだよ。姉妹でもさ、おばさんとの相性であったり物理的な距離であったりでその比重が多少違うのは分かる。でもちょっとじゃなくて、姉貴とSの比重は0対10だったんだよ。そりゃないだろってなんか悔しかった。みんなが自分のことを優先するからSにしわ寄せがいく、お前も逃げればいいだろって思うのにそれもしない。コイツわざわざ大変な道を選んでいないかって。それなのにSは家族に感謝していると言う。何でそうなるってずっと考えていた。結論から言うと、それがSなんだなって。誰にも話さないお前の中にある葛藤は、自分で解決していこうとするんだよ。そんな姿を俺は見てきた。10年だぞ10年。そんな数年でSのこと理解されてたまるかよって思った。どう頑張ってもSには追い付けない、お前の湖でぷかぷか浮いている方が楽だなって思ったんだよ。多分な、多分だぞ、世界中の誰よりも一番近くでSのことが分かった。そういうヤツが一人いるってこと忘れるな。」そんなことを言われて20年、後々じわりと心に沁みるなんてね。
左へ右へ、そして前へ、時に後ろへ。見渡し研ぎ澄ませると、いろんなものが見えてくるのが不思議。巡り巡っているからだろう、時も想いも。