誰かと話すということ

超ロングになった春休み、さあどうすると息子と困惑しながらも、楽しむことを忘れたらダメな気がして、思いついたのがサイクリング。マスクをしてしっかり手を洗って、あまり誰にも会わなかったらセーフなのかなと独自のルールで出かけた日。ないのは分かっていてもマスクを探そうとドラッグストアに寄ると、やっぱり売り切れ。仕方がないねと出ようとしたら、声をかけてくれたのは同じクラスの女の子のお母さんでした。お互いマスクをしていたのに、満面の笑みで再会を喜び合い、ほんの一瞬そこだけが温かい空間に包まれたようで。

彼女とは、プレ幼稚園からの付き合い。全く私から離れないまだ2歳児だった息子も、園庭に出て場の雰囲気で皆の列の中に入ったものの、気が付いたら滑り台の上へ。思いがけず高い所まで来てしまい、大泣き。どうしよう、困ったと途方に暮れていると、その友達が自分の娘ちゃんに伝えてくれました。「あの子が泣いてしまっているから、一緒に降りてきて。」優しくしっかりしたその子は、助けに行ってくれたのですが、それでも泣き続けるので仕方なく園児しか通れない狭さのトンネルのような階段を掛け上がり、一緒に滑り降りると、ケロッと泣き止み拍子抜けしました。その後、その彼女にお礼を言うと嬉しくなるような言葉が返ってきて。「うちも同じようなことがあったから。先輩ママの子供に助けられました。だからその気持ち、よく分かります。」この人は信頼できる人、そして人の気持ちが分かる人だと直感で思いました。ありがとう、いつかどこかで返します、もらった気持ち。
それが一番最初の会話でした。クラスも一緒だったり離れたりで、そんなに仲良くしていた訳でもないのに、私の中でその時のことは大切に覚えていて、だからドラッグストアで遭遇した時に、よく分からない懐かしい気持ちがこみ上げました。お互い大変だよね、親も子供もね。でもこんな風に話せて嬉しかった。長期戦頑張ろうね、また沢山話そうね。それぞれが何気なく交わした会話に解れていった午後。話せて良かった。子供を守ろうとする親がいて、どこかで張り詰めた親の姿があって、でもこうして狭い空間の中で弾けた声が飛ぶと、軽やかになっている。そう、自分を取り戻すための3分。ありがとうと手を振った時の笑顔は、出会った頃と同じ。私達、十分頑張っているよね。それが確認できたから、もう大丈夫。ドアを出る前に、トコトコっと誰かの足音が。振り向くと彼女の娘ちゃん。「R君、バイバイ。」はにかみながら息子が手を振った時、同じクラスの“仲間”を感じました。友達っていいな。

オーストラリアに短期留学した時、ブリスベンの空港からホストファミリー宅まで送ってくれたドライバーに会い、相乗りしたのは日本人の一歳下の女性でした。波長が合い、すっかりお友達に。あまりにも仲がいいので、ホストファミリーの長男Ricsonに、日本人以外の友達を作れと言われてしまう始末。いくつものカフェで色々な話をし、先に日本へ帰った彼女が手紙をくれました。『日本に帰ってきたら、なんだか自分がちっぽけに思えてきたよ。Sさんに出会えたことが、一番の収穫だった。Sさんが感じたもの、帰国してからまた聞かせてね。簡単に帰ってきたらダメだよ。』愛知県寄りの岐阜県に住んでいた友達とは、方言も似ていて何とも言えない親近感を抱かせてくれました。「お父さん、色々あってね。お母さんが弟と私を育ててくれたの。だから、頑張って働いたお金で海外に英語を学びに行ったら、お母さんも安心してくれる気がしてね。でも、大して貯まらなくて2週間だけで、中途半端に終わってしまったかなとも思うけど、Sさんに出会えたからいいやっ。」とブリスベンのスタバで笑いながら話してくれた彼女に、私の方が励まされたようでした。
約束通り、帰国して落ち着いてから、名古屋駅で待ち合わせ。「どう?いい旅だった?」私が見た全てのものに目をキラキラさせながら聞いてくれた友達。またいつか必ず会おう。