春休み中盤、両親と車で美味しい魚料理のお店へ行くことになり、ちょっと構えました。寒暖差も大きく、頭痛が酷いんだよなと。ということは息子も母もそうなのは分かっていて、平和に帰ってこられるように祈りました。車に乗り込むと、案の定、両親の不協和音は始まっていて。今すぐ降りたいと思っても時すでに遅く、忍耐の日だと開き直ることに。この判断が意外な展開をもたらした一日、やっぱり全て地続きなのかもしれないな。
途中で渋滞にはまり、ようやく抜けると見慣れた風景が広がってきました。そして1時間かけてお店に到着すると、元夫のご実家の近くだと分かって。予め向かう地名を聞いた時、まさかそんなそばではないだろうと思っていたのだけど、ここまでドンピシャだったとは。そんなことを気にしてくれる親でないことは重々承知していたので、なんでもないふりをして店内に入りました。とても人気だったので注文した後に長時間待つことになり、母から地雷を踏まれることになってしまった始末。卵巣を摘出した後、癒着が酷くホルモン治療に入り、そんな中で引っ越しや離婚が待っていたので、ホルモンバランスは相当乱れ、というか女性ホルモンはほとんど出ていなくて、心身共にいろんな変化がありました。そういった自分を受け入れ、どうやったら前向きになれるだろうと試行錯誤していた中で、母に一番言われたくないポイントを言葉にされたので、固まってしまいそうになって。彼女は人の気持ちを想像するのが難しい、だから相手がどう思うのか分からないまま伝えてしまう。理解しているのだけど、今回ばかりは流すことができず心に大きな石を残してしまいました。私自身まだまだだなと思いながら、なんとかその場を取り繕いランチタイムは終了。その後、車に乗ると市役所が目に留まり、そこから桜並木が広がっていました。その市役所は、元夫と婚約をした後、私が有給を取って頼まれていた書類を取りに来た場所でした。婚約したんだ、これから夫婦になるんだね、そんな気持ちで暑い日に新緑の木々の下を嬉しそうに歩く、31歳の自分がそこを歩いているようでこみ上げそうになって。この木は全部、桜だったんだな。そばにいられたらそれでいいと思っていたあの頃、いろんなことを二人で乗り越えて行こうと。歩調も軽やかで視線は上を向いていました。強い日差しが心地よく、これまでの大変さは薄れていくようで。それからやってきた10年という結婚生活、そして最後1年の別居生活、いろんな出来事が駆け巡り、新緑の並木を歩いていた私を車に乗っていた私が追い抜いたようで、桜並木が終わると、急に現実に連れ戻されました。横を見ると、息子がスマホをいじっていて、なんだか微笑みたくなって。色々あった、それをお母さんね、あなたにうまく説明できそうにない。でもね、一緒に3人で住んでいた10年間苦しかったけど幸せだったよ。彼が大人になった時、この気持ちに気づいてくれるのかもしれない。ピンク色の景色が終わり、いつもの街の中に戻ってきました。あなたと私が住む世界、沢山の光を集めて大切にしよう。
いろんな思いの中、翌日になり、このままではいけないと思い、両親宛てにグループLINEを送りました。手術後どれだけの影響を受けたのか、それにより母の言葉にショックを受けてしまったこと、父が母にもう少し優しくしたらまた夫婦の関係性は好循環になるのではないかということ、そんな二人のことをあなた達の親は見守っていたということ、私のことはそっとしておいてほしいけど応援しています。緩い変化球で当たっても痛くない程のニュアンスで伝えたのだけど、行間には、お父さんが愛情を注げばお母さんの精神状態は落ち着くんだよ、分かってるやろ!という気持ちを込めました。コントロールできるのは自分だけ、相手をコントロールしてはいけない、それは分かっているのだけど、父はこちらの裏側にあるメッセージに気づくという確信があって。母からは相変わらず怒涛の返信があったのだけど、そっとしておいてほしいと伝えたので読むことはせず。そのフォローをするのも父の役目なのだと思いました。父のことは信用しているようでしていない、していないようでしている、これがこちらの本心で。母に対して怒っているのではない、元々の原因を作り続けてきたお父さんに怒っているんだよ。静かな怒りは父の奥に届いているはず。そうじゃなければ、退場じゃ。
東日本大震災が起きた後、父の心も大きく揺れました。家族と一緒に住みたい、そう願った父は、実家の車庫で作業をしていた祖父を見つけ戻りたいと伝えたんだそう。電話でこっそり相談を受けた私は、それはムシが良すぎないかとやや腹が立ちました。おじいちゃんやお母さんの都合ではなく、自分の都合でお父さんは動こうとしているよねと。祖父から聞く内容からは、父の謙虚さは感じられませんでした。3人の同居はあり得ない、それは私の結論で。その後、生前贈与を受けた母の動向が怪しく、おかしなところに投資していることを察知しました。介護で大変なのも分かる、でもおじいちゃんが築き上げてきた財産を守りたい、頭をフル回転させ、うちの近くのマンション購入計画を提案、それなりの博打でした。そして今になり気づいて。両親の終の棲家を見つけ、妊娠中に手続きなどやれるだけのことはやって大変だったのだけど、おじいちゃんの財産を形にしておきたい、祖父が生きてきた証を残したい、それは父のギャンブルや母の訳の分からない投資で消えてしまう訳にはいかなかった、その気持ちがあそこまで自分を奮い立たせたのだろうと。本契約の時、悪阻で連日吐き、ようやく少し落ち着いた後で、げっそり痩せて不動産会社に母と行きました。すると、担当者の方が心配しながら飲み物を聞いてくれて。「水でお願いします!吐きたくなったらトイレに駆け込みます。」と半分冗談で言うと、売主さんも含めてみんなが笑ってくれました。息子よ、よく頑張って生まれて来てくれたね、一緒に沢山のことを乗り越えてきた。あのマンションには特別な想いがある、祖父の為の選択をした、そんな孫を天国で誇らしく思ってくれていたらいい。