会話を楽しもう

秋になり、冷えですっかり体調がすぐれなくなってしまっていたここ最近、不動産関係のお仕事をされていたHさんと話す機会も減っていました。それでも、彼が私に何か話したそうにしてくれているのは感じていたので、今日は時間を取って外でお話をさせてもらうと、案の定、ご自身の苦悩を聞くことに。いつも誰に対しても穏和な彼、それでも思いがけず人間関係に悩み、誰にも話せなかったことを打ち明けてくれて、ゆっくり話を聞くことができて良かったと思いました。「○○さんにずっと聞いてもらいたいと思っていて。話を聞いてもらうと元気になって、仕事のモチベーションも上がるんです。今日は、本当にありがとうございました。」もやもやっとしていたものが、彼の中にずっとくすぶっていたんだろうな。あなたは悪くないのに、言いやすいから言われてしまう。だから、たまには吐き出してくださいね、そう伝えるとほっとしながら笑ってくれました。なんだろう、コロナ禍になって、色々な方に相談をされる内容の根が深くなった気がして。ご自身も、その周りの方にも余裕がなくなり、より複雑にもなっているようで、だからこそ根っこにある傷んだ部分に水が届いてくれたらと願いながら、話を聞いているような気がしています。誰か一人、分かってくれる人がいるだけで活力に変わるなら、その人のそばにいたいと改めて思いました。ここにいるよ。

この間は、息子の帰宅と同時に担任の先生から電話があり慌てました。なんだろうと思いながらスマホを取ると、いつもの明るい女の先生の声が聞こえたのでご挨拶。「実は、今日掃除の時間に、男の子が運んだR君の机のセロハンテープが落ちて、割れてしまったんです。すみませんが、新しいものを購入して頂いてもよろしいでしょうか?」「ああ、全然気にしないでくださいね。わざとじゃないし、本当に消耗品なので全く気になさらないでください。わざわざお電話まで頂いてしまってこちらこそすみません。」「ありがとうございます。R君、今日の授業、言葉の意味を答える問題などでも沢山手を挙げていて、最近とても積極的なんです。沢山褒めてあげてくださいね。」「それは良かったです。毎年そうなんですけど、一学期はクラスの雰囲気に慣れるまで様子を見ているところがあって、先生にそう言ってもらえて嬉しいです。」そう伝え、和やかな時間が流れました。電話を切った後、ふと考えてみる。テープのことは本当に些細なこと、それをきっかけに普段の様子を聞かせてくれたのかもしれないなと。プレ幼稚園から歴代の担任の先生に恵まれてきた息子、除草作業の日でさえ、担任の先生を探していました。そして同時に、私も母親として沢山助けられてきたのだと思うと、ひとつひとつのご縁を大切にしたいと改めて思って。地区委員の集まる会議でお話をさせてもらった明るい先輩ママが、笑いながら伝えてくれた言葉を思い出しました。「指名委員の担当が男の教頭先生でしょ。以前もここの学校に勤務されていた時、息子の担任になってくれてとってもお世話になっていたの。だから、指名委員のくじで当たる気がしていて。そしたら見事に引いちゃってね!もう恩返しするしかないと思ったわ。」そう言って皆を笑わせてくれました。「教頭先生として戻ってきてくれて嬉しかった。」その言葉を聞き、なんだかじーんとして。気持ちが巡り巡ってまた戻ってくるっていいなと。

祖父が脳梗塞で入院中、さらに専門病院へ行った方がいいということで、リハビリ施設が充実している病院へ移った時のこと。私はすでに関東に来ていたので、名古屋駅まで母に迎えに来てもらい直接病院へ向かうと、病室の前の廊下で椅子に座りお弁当を食べている姉を発見し、思わず笑ってしまいました。「お姉ちゃん、なんでここで食べているの?先生に怒られちゃったの?」と学校で悪いことをして廊下で食べている小学生のように見えてしまい、本人に聞くと、「違うわ!」と笑いながら怒られてしまいました。「たまたま血圧などの測定があるから、お部屋を出てくださいと言われて、おじいちゃんと一緒にランチをする予定だったから、仕方がなく廊下で食べているんだよ。今日は昼ご飯を食べてから仕事に行く予定だったから。」そう話してくれて、はっとなりました。祖父と姉はあまり話さない、それでも、ただ近くにいるだけで寂しがり屋のおじいちゃんは和むこともあるから、妹が遠く離れている分、私にできることをと思ったよ、そんな気持ちが伝わってきました。今思えば、反抗期に負の感情をぶつけることができた祖父への感謝がそこにはあったのかも。「ネエちゃんが、短時間だけどよく来てくれるんだよ。大して話さないんだけど、その気持ちが嬉しくてな。」そんな本音を私に伝えてくれていた祖父。姉に届ける球が沢山見つかっていく。彼女はいつも、どんな時も彼女なりのやり方で気持ちを返していた。みんなどこかで素直じゃないから、ネネちゃんに真っ直ぐお礼が言えなかったかもしれないけど、ちゃんと気持ち受け取っていたよ。愛情の循環は、分かりやすい形ではなかったかもしれない、でも、みんなどこかで照れながら大切にもらっていたよ。祖父と最後に会話をしたのは、私ではなく姉の方。沢山ひ孫に会えた祖父は、最後の最後で幸せなひとときを過ごせたのではないかと、そんな心のこもったお礼をどこかのタイミングで姉にそっと渡そうと思っています。

「おじいちゃんと最後に会った時ね、私とSの子供が男の子ですごい喜んでくれてね。」その話を姉から聞いた時、一週間で亡くなった我が子と重ね合わせてくれたのだと思いました。最期は誰もいない早朝にそっと息を引き取った祖父。そばにいたかった。それがどこかで心残りなので、山盛りの記事を書いていつか届けようと思っています。「おじいちゃんのひ孫、戦争の意味が少しずつ分かってきたよ。」まだ、最後の会話は終わっていない。