土曜日、朝練に行く息子を送り出し、昼に帰宅すると伝えてきました。午後は、友達とコミセンで卓球をしてくると。明日は、いよいよ個人戦のデビュー、卓球漬けの毎日にこちらの方が嬉しくなりました。やらされているのではない、自分から磨きに行こうとするその姿勢を本気で応援したいなと。そして、充実感いっぱいで帰ってきたので、その夜はロッテリアで二人の時間を過ごすことに。「ちょっと緊張してきた!」「いい緊張感だと思うよ。それってね、大事なことでもあるって思う。場数を踏めば、少しずつ慣れてくるから。ところで対戦相手は分かった?」「それがね、同じ中学の先輩なんだよ。ボコボコにされる!」それを聞いて思わず笑ってしまって。忘れられないデビュー戦になりそうだな、そう思いました。「多分、3セット取れば勝ちのゲームだと思うんだ。まずは1セット取りに行こう!」そう言って鼓舞すると、何かスイッチが入ったよう。試合は見に来ないでと言われたから行かないけど一緒に戦うよ、見えない糸電話で届けました。その後、明日の待ち合わせは駅のタクシー乗り場だということが分かり、本人に確認すると一応下見に行きたいと言われたので、夕食後に自転車で向かうことに。すると、伝えてくれて。「今日来て良かった。ボク、違う場所を想像していたよ!」息子は方向音痴ではない、勘もいい、でも一度勘違いをするとずっとその間違いに気づかない傾向もあり、下見に来て良かったと本気で安堵しました。その後、自宅に戻り、明日の準備をする中で聞いてみることに。「交通費は小銭を渡すから、金額教えてね。」「先生、PASMOでもいいんだって。スマホでピッでもいいらしい。」なんだか今時だなと笑えてきて。「でね、交通費を忘れても出さないから、絶対持ってくるようにって。」その言葉に、ものすごい先生の愛情を感じました。卓球を通して、社会性も育んでいきたいと願う想い、先生はきっと緊急用のお金は持って行くのだろうけど、生徒達一人一人に試合へ行くということはどういうことなのか、自覚を持ってほしいのだろうと。少しずつ逞しくなっていく息子の表情に嬉しくなって就寝、そして翌朝を迎えました。慌ただしくお弁当を作り、玄関までお見送り。「みんな応援してるよ!健闘を祈る!」そう伝えると、にっこり笑顔で「行ってきます!」と。スポーツの試合に行く息子を送り出した時間、小さな夢が叶ったな。勝敗よりも大切なことがある、そのことを吸収してきてくれるだろうか。
お弁当を作る中で、真夏なので食中毒が気になり、冷めるまで蓋をするのはやめようと思い、うちわで仰いでいたら、案の定司書講習中の実家での食中毒を思い出しました。あの時、すでに別居をしていた父だけ神回避だったなと。何か父にはそういう所がある。色々気持ちが巡る中で、とても大切なことに改めて気づきました。3.11の前、オーストラリアの旅行に、母だけでなく父も誘っていて。自分が結婚してしまえば、こんな機会は二度とないかもしれない、いろんなことがあったけど、両親に感謝の気持ちも込めて誘いました。すると、父にまた彼女がいることが分かり、なんだかんだと理由をつけて断ってくるので、段々腹が立ってきてもういいわと出発日も伝えず、母と飛び立ちました。すると、大震災が起き、名古屋から慌てて私に連絡を入れた父は、全く繋がらないので大慌て。関東にいる娘に何かがあったのではないか、きっと今までで一番青ざめ、母に連絡をしても繋がらないのでこれはおかしいと思い、姉に電話を入れたそう。後からその時のことをネネちゃんが話してくれました。「お父さんから慌てて電話がかかってきたんだけど、Sとお母さんは、オーストラリアに行っていると伝えたら、ようやく安心していたよ。あんたが断ったからやろってこっちは思ったんだけど。でも、お父さんも行っていたら、帰りも予定通りに帰国できずに、仕事にも響いていただろうし、なんかお父さんって危機を回避するような所があるんだよね。」と相変わらず冷静に分析してくれるので、頷きながら納得してしまいました。その時は、一日遅れで関空に着いた後、姉が名古屋で一泊していきなさいと本気で伝えてきたので、名古屋駅まで父に迎えに来てもらい、帰りに立ち寄ったファミレスで言われました。地震が落ち着くまで、当分名古屋にいろと。大学図書館の先輩から、本がとんでもなく落ちている写真を送ってもらった、一人暮らしの私に職場のみんなは時に家族のように接してくれた、こんな一大事に自分だけ安全な場所にいるなんてあり得ないと思い、何が何でも明日関東に戻ると父に言いました。それでも、電車が止まっているかもしれないぞと珍しく引き下がらなくて。行ける所までいく、遠回りしてでも自分の家に帰ると言い張るので、その気迫に押され、父はそれ以上何も言いませんでした。今思えば、私の選択に、唯一反対したのはその時が最初で最後だったかもしれないな。
去年、何度も行われた父の手術の後、ようやく落ち着いた頃に姉とカフェをすることに。お父さんは強運の持ち主だから大丈夫だと思っていたと、最初からそこまで心配していなかったネネちゃん。そして、こちらが感じたことを素直に伝えました。「うちの姓を名乗り続けてくれたことに感謝しているのはおじいちゃんやおばあちゃんだと思っていたけど、お父さんの手術日にね、生後一週間で亡くなったお母さんのお兄ちゃん、伯父さんの気配を感じたの。お父さんに一番感謝しているのは、もしかしたら伯父さんなんじゃないかって。お父さんを助けに来てくれたんだなと思ったよ。」そんな不思議なことを言う妹に、姉は驚かなくて。Sちんがそう感じたのならそうなんだろうね。魂か、どこまでも深いな。
ロッテリアで息子とわいわいやっていた時、ポケモンGOをやりながらお店の横を通過する父を見かけ、二人で笑ってしまいました。呼ぼうかとも思ったものの、エコバッグに気づき、母との暮らしを守ろうとする姿が垣間見えて、そのままにすることに。ここまできたんだね、夫婦でいがみ合っていた頃を思い出し、その背中を見てぐっときました。父の表情がね、丸かったんだ。「おじいちゃんね、学校へ行く途中も見かけたし、よく会うんだよ!」と息子。名古屋から来てくれて、本当に良かった。父のエピローグは、どんな言葉が溢れるだろう。いつかくる最期は、そばにいる。