平穏でいる準備

9月は台風が多く、頭痛が出てしまうことが多くても、どうやったら立て直せるか試行錯誤していました。音楽を聴き、本を読み、ストレッチをし、野球を観てからパソコンに向かうことも。それでも沈んでしまう時は、開き直ることにして。そんな時、息子が何かをやらかし、こちらが何かを言おうとすると伝えてきました。「ママ、げきおこだね。」と。そのひと言に笑ってしまい、今時の小学生のワードを使ってくるので、すっかり怒る気もなくなり、事が丸く済んでしまって。息子の術中にはまってしまったなと思いつつも、怒りで満ちてしまう空間よりも笑いに包まれていた方がいいね。それにしても、何をやらかしたか思い出せないんだよ~、きっとあまりにも日常過ぎてくだらないこと。気持ちのコントロール、親子でうまくなっているのかもしれないな。

この際なので、いろんな角度からもう一度ゆっくり学ぼうと思い、精神科医の方が書かれている本などを読み始めました。するとなぜか寝る前になって、随分前にネネちゃんが話してくれた内容が蘇ってきて。彼女が自分に自信を無くし、辛そうにしていた時、敢えて聞いてみたことがありました。「ネネちゃんが子供らしくいられた時って、どんな時だった?」と。「う~ん。佐賀のおばあちゃんちに小学生の時に行った時ね、なんだか甘えられて、居心地が良かったの。あまり何も考えなくていいんだなとか、孫らしくいられた気がするよ。」ああ、確かに姉は力がいい感じで抜けていたな、ネネちゃん主導でいろんないたずらをして祖父母を困らせていた懐かしい記憶が思い起こされました。そして、最近になってひとつのエピソードを思い出して。姉妹で盛り上がっていた時、ネネちゃんがうっかりして祖母のメガネを踏んでしまい、どうしようと青ざめた後、正直に伝えに行くことに。すると、ほっとした表情で後から教えてくれました。「おばあちゃんね、メガネをそろそろ買い替えようかと思っていたみたいで、おじいちゃんに言えるきっかけになってちょうど良かったわって。良かった~。」それがもし母だったら、血相を変えて怒鳴られていたはず。そうじゃない世界があってくれたこと、自分の失敗をいいきっかけだと笑ってフォローしてくれる血縁がいてくれたこと、それはまだ子供だったネネちゃんにとって大きなことだったと今になって気づきました。佐賀のおばあちゃんにとっても、姉は初孫だった、その愛を彼女は奥底に大事にしまっているはず、辛い時に思い出してくれたらいいなと。

マブダチK君のお母さん、がんで亡くなったのだけど私の中ではずっと生き続けていて。彼が高校でタバコを吸い、停学になった後、やけになって中退するのではないかとこっちは気が気じゃありませんでした。それでもおばさんは、おおらかな気持ちで息子のことを信じていて。そのことに気づいた彼は、反省文を書いてお母さんと高校へ。その時のおばさんの横顔は凛としていました。その後、復学し、まともに勉強していなかったのに、元々頭の良かった彼は名の通った大学へ進学。それでも、高校の先生が敷いたレールの上を俺は乗っただけのような気がすると、まともに行こうとしませんでした。車の免許を取りいつもフラフラ。たまに会っても、なんだかいろんな葛藤を感じて。「俺さ、一年の時、入学式ともう一日だけしか行っていないんだよ。なんの目標もねえし、かったるいなって。何のために大学入ったんだろうな。そんな俺に学費を払ってもらうのも、なんか違うだろ。」そして、二年になりやはり中退を考えていることを知ったおばさんは、一度だけ私に相談してくれました。そのことを伏せて、K君と対面。すると本人の意思は固く、彼はもう決めているようだ、力になれなくてごめんねと伝えると、笑ってくれて。Sちゃんが言ってくれても気持ちが変わらないなら尊重する、そして、この先あの子が道に迷いそうな時は話を聞いてあげてねと。大きな人だな、そう思いました。それからK君は本当に中退し、二年間の学費は親に返すと言い出して。「おばさんは、受け取らないよ。」そう伝えると、こちらの真意に気づいたのか返事はありませんでした。その後も、車に乗って日本中の旅が待っていて。一人になりたいんだなと思い、そっと見守ることに。それから、戻ってきた彼はゲーセンの常連客に。すると、店長と仲良くなりいつの間にかそこでバイトを始めていました。そして、常連のお客さんに気に入られ、会社で働くことに。久しぶりに会った時は、揉まれ、疲れ切っていても内面は昔のままでした。その後、私は関東に。疎遠になるかと思いきや、誕生日には毎年連絡をくれて、年二回のおめでとうが待っていました。そんな中でおばさんの末期がんが分かり、残っていたアドレスからメッセージを送信。すると、泣きながら伝えてくれて。Sちゃん、連絡ありがとう。私も辛いけど家族の方がもっと辛いから、頑張りますと。すごい人だな。そして、K君と10年を越えて名古屋で再会。会社は倒産し、婚約していた彼女とも別れ、倒産後の残務処理に行っていた会社で働かせてもらうことになって、結婚し子供も二人できて今に至っていると教えてくれました。彼が歩いてきた道のりが、表情に刻まれていて、なんだかぐっときて。そして、自営業である家業を継ごうか迷っているのだと。おばさんが他界し、彼の気持ちが落ち着いた頃、もう一度メッセージで道は決めたか聞いてみると、返事はありませんでした。自分の道は自分で決める、おばさん、彼はそういう人、K君が道に迷うということはなさそうだよとそっと心の中で届けました。この親子関係をずっと近くで見せてもらったこと、信頼の大きさ、何よりの学びだったのかもしれません。理想の母親像がここにもある、二人にもありがとうだね。

おばさんから誕生日プレゼントにもらった赤いペンケースは、ずっと大事な物入れに。そして、それを持っていつの日かまた大学のキャンパスを歩けたらいいなと。桜の木の下をおばさんと共に。くすんでなんていられないな。その時は、学食からパソコンを開いてみようか。きっと、想いが溢れ出す。