捨てたくない秘密

誰もが閉塞感の中に包まれていたここ数か月。どんな時でも、息子の半径1メートル以内にはくみちゃんがいて、新しいメンバーが増える度に紹介している姿を見て、蘇った遠い日の出来事。

高校3年の時、受験モード真っただ中のある日、大阪から姉が帰省し、私の部屋に入ってきたもののお構いなしで勉強机に向かっていた私を見て、何も言わずにクッションにもたれかかってくれました。「お姉ちゃんが来てくれたのに申し訳ないんだけど、もうすぐ定期試験なんだよ。落ち着いたら大阪に行かせてね。」「アンタがあほみたいに勉強するのは知っているから、気にしなくていいよ。」そう言いながら、異変に気付いた姉。私の通学用バッグのそばにあったマスコットのくまちゃん。しまった!見られたと思っても、時既に遅し。「なんで両腕が引きちぎられているの?」と気づかれてしまいました。鋭い姉に嘘は通用しないことは分かっていたので、大人しく白状。「学校のバッグに付けていたら、帰る準備をしていた時、教室でそのくまちゃんが両腕を引きちぎられた状態でバッグに入っていたんだよ。誰かは分からない。でも、成績のいい子達が何かしらの嫌がらせを受けていることは噂で知っていた。相手は複数だと思う。試験前になると、深夜に何度も無言電話があるの。勉強を阻止する為じゃない?」絶句した姉が慎重に言葉を選びながら伝えてくれました。「深夜になったら電話線を抜きなさい。」「試験のことについて相談してくる友達もいるし、線を抜いたらなんだか負けたみたいで嫌なんだよ。くまちゃんを見た時は衝撃だった。なんてことするんだろうって。百歩も二百歩も譲って、自分が買ったものならまだいい。でもそれは、お姉ちゃんが大阪に行く時、私が寂しくないようにってプレゼントしてくれたものなんだよ。だから、絶対に許さない。それ、今晩中に自分で縫って明日何事もなかったかのように付けていくつもりだったの。私、何も悪いことしていない。誰かを傷つけて仕返しされるなら仕方がない時もあるのかもしれない。でも、明らかに自分達のストレスをこちらにぶつけているだけでしょ。実家ではもっと大変なことがあるんだよ。ちっさいなこの人達って思うよ。お姉ちゃんも私もさ、親があんなで、それでも岐阜の学校でアウェイの中で自分だけの力で仲間を作っていったんだよ。名古屋に戻る時、皆が泣いてくれたよね。守ってくれる人なんて誰もいない中で、自分達の温かい世界を作ったんだよ。いちいちこんなことで怯むほど、弱くないよ。私達が経験してきたことって、こんなもんじゃないでしょ。お姉ちゃんも大阪で頑張っているから、私も頑張る。」そう言うと、近くにあった裁縫セットを姉が見つけ、大粒の涙をポロポロ流しながら、両腕のくまちゃんを縫い付けてくれました。その時の姉の涙を、一生忘れないでいようと思いました。妹は強い、その強さが姉には居たたまれなかっただろうと思います。

その後、くまちゃんと共にいつも通りの顔で通学。それを見て、屈服した人が果たして何人いただろう。そんなことはどうでもよくて、サッカー部のいい感じのクールな担任(1年と同じ)が二者面談の時に伝えてくれました。「日本史を学びたいなら関東か関西へ行け。選択肢が沢山ある。ただ、○○が第二希望としている法学部なら地元の大学で推薦がもらえる。誰よりも勉強したお前に選択権がある。ゆっくり考えろ。」そう言われ、あと少しの所にいるのだと、選択肢が自分の手の中に用意されていることに、溢れそうでした。姉に誘われている大阪での同居。関西の大学を受験すれば姉といられる。「お姉ちゃん、ごめんね。やっぱり地元に残るよ。推薦についてはギリギリまで考える。その気持ちだけで十分、ありがとう。」「・・・。だったら、とことん考えなさい。絶対に妥協したらダメ。ここまで来たんだから。」一人だけの姉、堪らないね。

返事を待っていた担任から言われたある日。「地元の大学で、日本史が学べる大学の推薦枠ができた。指定校推薦だ。他の生徒と競合になっても満場一致でお前が勝ち取る。この学校からの第一号だぞ。やったな。」にわかに信じられなかった担任の言葉。神様ってやっぱりいてくれるのかもしれないとぼんやり思った校舎内。勝った。自分にも、意味の分からない人達にも。
「お姉ちゃん、第一希望の地元の大学で日本史が学べる大学の指定校推薦枠ができて、勝ち取ったよ!年内に論文と面接だけで受かるの。もう受験戦争から解放されるよ。自分の努力がようやく実ったよ。ありがとう。」「よくやった。Sみたいな人間が報われなきゃおかしいでしょ。」そう言ってほっとしてくれた姉。大きな戦いだったね、乗り切れたのは応援してくれる人がいたから。

そんな感慨にふけっていたら、以前息子が伝えてくれた言葉を思い出しました。「くみちゃんがちぎれちゃっても、ボクずっと一緒にいる。」あのくまとサイズが全く同じなのはなぜだろう。つぎはぎに縫われた緑のくまちゃんが、どこかでくみちゃんと重なる。