仲間が増えた

息子が半日授業だった日、学校から帰宅するとリビングに入り、伝えてきました。「おお!これ何?」「新しい相棒!」電気圧力鍋をそう表現すると、彼も半笑い。「炊飯器捨てちゃうの?」「ううん。これは他の料理も作れるんだよ。」そうなんだ~と今いちピンときていなかったので、とりあえず今度作ってみることにしました。そして翌日、息子をいつものように学校へ行かせたものの、深夜に何度も起きてしまった睡眠不足と頭痛が重なりくらくらの状態。これはもう一度寝た方がいいと思い、再度横になっても全然寝付けなかったので、今日はだめだめだと開き直ることにしました。パソコンを開いても集中できる訳もなく、あっさり終了。レシピブックを開け、豚の角煮を圧力鍋で作ってみるとなかなかの出来栄えで、小さく1UP。ぐるぐる目が回る中で、息子が帰宅し、今日は髪の毛を切りに行く約束をしていて、行ってもらうことにしました。「え~、一人で行くの?」「逆にね、中学生になって母親と行く方が恥ずかしいと感じるかもしれないよ。いつものように切ってもらっておいで。おつりでファミチキ買ってきてもいいから。」「行く!」単純やなと笑うしかなくて。その後、随分すっきりした髪と表情で帰ってきたのでほっとしました。「若い女性の店員さんですぐに切ってくれたよ!」彼の世界がどんどん広がっていく。それは良かったと伝えると、息子は嬉しそうにファミチキを頬張り、ほろほろの角煮に感動してくれて、和やかな夕飯が待っていました。

が、事件は翌朝に起きて。すっかり暑くなり、息子はエアコン近くの部屋に移住。エアベッドを敷いていたものの、連日ふざけて全体重で飛び込むので穴が空いてしまい、補修テープでもどうにもならず、朝になり彼の体はほとんど沈んでしまっていました。連日の睡眠不足と、息子の不注意でまた物が壊れたと思うと情けなくなり、さすがに抑えたトーンの怒りを伝え、部活に行ってもらうことに。そのエアベッドは、来客用にと前のマンションの時から買っていたものでした。コロナ禍の休校中、強いストレスに襲われ、悲鳴を上げた卵巣は大変なことに。意外にも毅然としていた母は、私の入院の間、息子を見る為に毎晩泊まってくれました。手術は成功し予定通りに帰宅できたので、その日に帰ってもらおうとお礼と共に伝えると、返事があって。「退院したからといってまだ万全じゃないのよ。今夜だけは泊まっていくわ。病院で眠れなかったでしょ。」母に対してまだまだいろんな感情がある、でもこういう時に向けてくれる気持ちは、紛れもない愛情でした。この人の本当の部分を知っている、だから最後に残るのは純粋なありがとうなんだよな、その時そんなことを思ったような気がしています。活躍したエアベッドともそろそろお別れかと思うと、なかなか感慨深くて。思い出は自分のポケットの中へ、そして前へ前へ進んでいく。

息子の勉強に付き合っていたある日、理科の裸子植物や被子植物という単語が出てきて懐かしくなりました。私の中1の担任の先生は、学年主任でもあった30代の男性教員で、教科が理科だと聞いて若干テンションが低くなったことを思い出して。自分が苦手な教科だと、どこかのタイミングで気づかれるかなと内心ドキドキしていました。理科室での実験も好きな時間ではなく、なんとなく1年が過ぎると通知表のコメント欄に目が留まって。『しんが強い』のだと。あれは誉め言葉だったのか?その真意は分からないのだけど、先生は何かを見てくれていたんだなと思いました。理科という教科に対する姿勢というより、もっと内面的なものを。そんな私が10年近く経ち、中学の社会科の教育実習へ。中学在学中は、体育の3年間の授業も陸上部の顧問であり、野球部の監督が担当してくれました。高校に入り、2年の担任は体育教師であり野球部の監督。大学ではさすがにご縁がないかなと思っていると、教育実習先の社会科の恩師が野球部の監督で、どこまでも繋がってくるなともう笑うしかなくて。給食では、テニス部の朝練や午後練に欠かさず参加していることを知っていた先生は、白米を日本昔話盛りにしてくるので、本気で慌てました。同じクラスの野球部男子に、「先生そんなに食べるの?!」と目を丸くされて。「いやいや、普段はそこまで食べないよ。」と言っても恩師はおかまいなしに、ぎゅうぎゅう詰める始末。「テニス部にも参加して、僕との反省会もあったらお腹が空きますから!」あ~と思いながら、いつも給食ぎりぎりの時間になんとか完食したことがふわっと蘇ってきて。そして、恩師から授業のダメ出しを受けていた深夜の校舎で、何気なく聞かれたことがありました。取得中なのは、中学の社会科だけか?と。実は高校の『地理歴史科』も同時に取っていて、『公民科』は取らなかった話をすると、不思議な選択をしたその理由を聞いてくれました。「本当は中学の社会科に強いこだわりがあったので、そこを中心に頑張ろうと思ったんです。それでも、学ぶ中でもう少し頑張れば高校の教員免許も取れることが分かって、余力で地理歴史科を受講しました。でも、公民科は最後で力が尽きて取れませんでした。もう一つの理由は、高校の授業で、現代社会と日本史と世界史しか学んでいないんです。3年生で倫理をやるかなと思っていたら、もう一度大学受験対策で日本史の縄文時代から戻る授業があって。自分が学んでいない中で資格を取るのは、今は違うかなって思ってやめたんです。倫理って難しい教科ですよね。」そう話すと、深く頷いてくれました。そういう選択ひとつひとつが、なんだかあなたらしいなと。恩師は、いろんな角度から、なぜそこに辿り着いたのか経緯をとても丁寧に聞いてくれました。その道中を聞く表情には相手に対する敬意もあって、この時間そのものが社会科なのだと、人と真摯に向き合うことなのだと感じました。誰かがそこを目指す時には理由がある、理由がないのもまた一つの理由だ、短期間だったけどこうして同じ時を過ごすことができて良かった、恩師の教えはずっと私の中で流れ続けています。倫理、その時が来たらゆっくり学び始めようか。また、沢山の気持ちが溢れ出すかもしれない。

息子がエアベッドを壊したことを反省しながら、部活から帰ってきました。「ママ、ごめんなさい。」「もういいよ。二人のおうち、大事にしよう。それが分かってくれたらいいから。」そう伝えると頷いてくれました。雨降って地が固まる時。そして、卓球部で購入したマイラケットとシューズを嬉しそうに見せてくれました。息子にとっての新しい相棒に、なんだか胸が熱くなって。「格好いいね!部活頑張って!」「ありがとう!」共に成長しよう。毎日が沢山の学び、その全てに包まれて、ゆっくり老いを慈しむことにする。