長さではなく濃さ

何の話?コーヒーのサイズ?!ではなく、時間の流れ方。風来坊の父と何気なく会話したことが急に思い起こされました。「お父さんの通勤さ、大きなターミナル駅で乗り継ぎでしょ。結構大変だよね。」「そうだな。日体大の集団行動みたいなんだよ。斜めからどんどん人が来てすれ違うのに、ぶつからないって不思議だよな。」いかにも父らしい感想に一緒に笑ってしまいました。だめオヤジに変わりはないのだけど、こんななんでもない時間をいつも大切にしていたんだな。今度生まれ変わったら、父親ではなく上司であってほしい。「もう、奥さまとお子さん達、泣かせたらいけませんよ~。」のひと言でも言ってしまいたい気分。小さなリベンジ、そして最後は一緒に笑おう。

この間は、息子の帰宅に合わせ相変わらず忙しなくデスクを片付け、受付で挨拶をして帰ろうとすると、呼び止めてくれたのは、前に広報のお仕事をされていた男性スタッフさんでした。「まだ仕事に慣れなくて~。」と弱音を吐いてくれて。「前の業務と全然違うから大変ですよね。広報のお仕事、ラグビーの試合を終えた選手達から、試合について聞くんですか?」とこれまたあほな質問をしてしまい、半笑いされてしまいました。そりゃそうだ、試合後の選手に、普段の練習について聞いてどうする?と自分でも笑えてきて。「選手達から聞いた試合の談話を、マスコミ各社に流すんです。本当にもう時間との戦いです。写真も最終的に5カットぐらいを選び、新聞などに掲載してもらうんです。」「どんな写真を選んだりするんですか?」「相手の有名選手にタックルしているのとかですね。」なるほど~と息子の帰宅をそっちのけで聞いてみたいことが盛りだくさんだったのですが、彼がいい感じで会話を締めてくれました。「こうやってカウンター越しでお話しできて幸せでした。ありがとうございました!またよろしくお願いします。」と頭を下げてくださり、恐縮してしまいました。会話中もずっと椅子から立ったまま、なんだか広報のお仕事が沁みついているのか、気持ちよく接してくれるそんな姿勢に嬉しくなった帰り道。時間にして10分ぐらいかな。ぎゅぎゅっと凝縮されたインタビューで、どれだけの選手達の熱い気持ちを引き出したのだろう。そのままの熱を伝える大切な役割、ありのままを届けるということ、教わることの連続。

息子が学校から帰った後、質問を投げかけてくれました。「ママ、3.11の地震と、阪神大震災、どちらが大きかったの?」と。思いがけない質問に驚いたものの、ひと呼吸おき伝えました。「どちらも大きな地震だったの。亡くなった方は3.11の東日本大震災の方が多くてね。地震の後の津波の被害がかなりのものだったの。」「そうだったんだ。今日ね、防災訓練だったの。」そうか、なんだか私が息子に教えるよりも、当事者であるプログラマーのMさんから、ある程度の時期がきたら語ってあげてほしいなと思いました。神戸の街がどんな状態だったのか、どれだけの人の心が痛み、今も遺族の方達は向き合おうとしているのか。彼は、離れたシアトルからどんな思いで国際電話をかけ続けたのか。生きた心地がしなかった数日、ようやく繋がり、両親の声を聞いた時、彼の中に流れたものを息子に届けてあげてほしいなと。風化させないこと、語り継がれていくということ、小さな心で感じたものをまた別の誰かへ。優しいバトンだけじゃないけど、生きるってそういうことなのではないかと、大きな手術を経験して改めて感じました。

最愛の奥様を亡くされたミルキーのKさん。彼もまた、10年前にがんの手術をされていました。相当苦しい闘病生活を、奥様が支えてくれたそう。その時彼は誓ったんだとか。仕事で家庭のことは任せきりだったけど、もっと妻のことを大切にしようと。そして、会社を辞め、起業。二人の時間ができ、一緒にドライブをする中で交わした約束。「死ぬときは、せーので死ねたらいいね。」と。その一か月後に、奥様の容体は急変。「約束したのに・・・。」そう言って路上で人目も憚らずに泣く彼の姿を見て、私も一緒に泣きそうになりました。「伴侶の死別って、心の整理がつくまでに大体4年半かかるそうです。それまでずっと辛いままかな。」「そんなことはないと思います。上がったり下がったりだけど、きっと緩やかでも右肩上がりになっていると思うから。でも、決して焦らないでくださいね。時間が必要なのだと思います。」そう微笑むと、救われますとぽつり呟いてくれました。死別ってこんなに辛いものなのか、そう話してくれた彼の悲しみをダイレクトで受けてみる。計り知れないな。それでも、頑張って明るくいようとするのではなく、癒えて心から笑ってくれる日をゆっくり待とうと思っています。

そんな思いにふけっていると、息子がドラゴンボールのおもちゃで訴えてきました。「ドラゴンボール7つ集めたら、本当にドラゴンが出てくるの~?」年を重ねると疑い深くなるなと笑いを堪えながらも伝えました。「みんな願いを叶えたくて狙っているんだよ。」私も大人げないと思いつつ、半信半疑で8歳児がぼそり。「なんか怪しいけど、もし願いが叶うとしたらやっぱりお金持ちになりたい。」「ねえ、お母さんさ、Rが旅行に出る度、一個だけおもちゃを買ってくるでしょ。偉いなって思うんだよ。なんでも手に入ったら、それってちょっと違う気がするんだ。」「うん。じゃあ、お金持ちになったらお金を取っておくよ。」・・・まあいいわ。こんなひとときがもう価値あるものよね。「ドラゴンボールのおもちゃを切ったらドラゴンが出てくるかも!」まだこの会話続いていたの?!短時間に詰め込まれたものは、お金じゃなくて、喜び。Kさんの奥様を生き返らせてあげられたらな、そんなことをふと思った現実と幻想の狭間にいたある日の夕方。