息子とオリンピックを観て盛り上がっていた夜、姉からメッセージが届きました。子育てのことで相談したい内容があるのだけど、今話せる?と。ネネちゃんはいつも配慮のある人、それが今度話せる?等ではなかったので緊急性を感じ、すぐに電話でやりとりをしました。内容を聞くと、本当にあらゆることで辛くなってしまっていたよう。姉の子供と私の子供が同じ年でしかも同性、これはやっぱりおばあちゃんがそうさせてくれたのかもしれないなと思いました。二人で助け合っていって、そんなメッセージを感じ嬉しくなって。そして、苦しい胸の内を出してくれたことで、姉が涙を流したことが分かり、その後重たい雲の間から晴れ間が見えたのが分かりました。「この気持ちは、Sちんだから分かってくれる。」同じ親で育ったからね、ネネちゃんの葛藤、分かるよ。自分が持っている球を、今回は緩いカーブを中心に届けました。姉妹のキャッチボールも、時に海を越え、続いてきたんだ。
そんな電話の二日後、息子とまた神宮球場へ行く日がやってきました。当日は、灼熱の太陽、早めにグッズを詰め込み駅に向かうと、改札の前でヤクルトのタオルを首にかけたおじさんを見かけ、二人でこっそり歓喜。そして電車に乗ると、なにやらこちらをチラチラ見ている母と息子さんの視線を感じました。やっぱりヤクルトユニ、目立つかなと思っていると、息子が耳元で伝えてきて。「ママ、あの親子、ヤクルトファンだよ!グッズ持ってる!」ああ!一緒に神宮へ向かう仲間だったのね!とほっこりしました。なんかいいね、推しの球団が同じ方達と目的地へ。そんなワクワクを持って、外苑前のドトールでプログラマーのMさんと合流。表参道で仕事をしていた彼は、神宮へ向かう私達に給水スポットを用意してくれていました。すっかりチャージされ、歩道で後姿を写真に撮ってもらい、入場ゲートでお別れ。二人なら大丈夫、そんなメッセージを感じました。その後、激熱の中ライトスタンドに入り、慌ててかき氷を買いに。その日はつば九郎DAYで、中日のドアラも駆けつけていて感動。神宮で会えるなんてね。そして、プレイボール。点を取り合い、ヤクルトの傘も開き、息子と何度も叫びました。攻撃の度に席を立ち、グラウンドに向かって声を上げていたら、ふと姉との電話が思い出されて。話の流れの中で、ネネちゃんが伝えてきました。「辛いこと思い出させてしまってごめんねなんだけど、Sちんはさ、実家を離れて行きたい大学があった、それでも家族の為に地元の大学に決めた。それって自己犠牲なんじゃないかなって、親の為にやりたいことを諦めざるを得なかった、それでSちんは納得しているのかなって。」姉は、ずっと考え続けてくれていたのだと思うと、胸が詰まりました。その気持ちだけで十分よ、ネネちゃん。「私ね、諦めていないの。子育てが終わって、本当にいつの日か聴講生としてでもいい、週に一回ひとつの講義だけでもいい、もう一度学びたいことを学びに大学のキャンパスを歩きたいと思っているよ。あの時ね、もし関東や関西の大学に進学できていたとしても、きっと私は家族のことが心配で、編入して愛知の大学に戻っていたと思う。だから、何も後悔はないし、いい選択だったと思っているよ。」そう話すと、まだ諦めていないことと、自分の選択に間違いはなかったと言い切った妹を感じ、姉の驚きと喜びと何とも言えない感情が伝わってきました。これがSちんの強さなんだろうなと。神宮のグラウンドを見ていたら、大学在学中にたった一度だけナゴヤドームでバイトをした日のことが蘇ってきて。その試合はヤクルト戦、自分の子供がヤクルトファンになること、その時からもう繋がっていたのかもしれないな。365日×4年+きっとうるう年の1日。その中のたった1日、大好きな野球場の空間で、大学の男友達に誘われ気持ちのいい汗を流したこと、学費の為に働いた日本料理店でスタッフのみんなが私の学生生活を応援してくれたこと、涙が止まらなかった夜に友達のお母さんが優しく背中をさすってくれたこと、苦しみも楽しみも、喜びも、とんでもない悲しみも、そして愛も、沢山詰まった4年間でした。地元の大学を選んだ時、この先、絶対に言い訳はしないでおこうと決めました。親の為に自分の人生は変わってしまったと。だから、お金の心配を常にしながらも、緑の多いキャンパスでみんなと過ごせた全ての時間は色を持ち、柔らかさに包まれていました。ネネちゃん、私が歩いてきた4年間、後悔どころかかけがえのない時間だったよ、だから心配しないで。
気が付くと、最終回。1点リードの9回表、中日の細川選手がソロホームランを放ち、同点に。そして、9回裏ノーアウト満塁といった絶好のチャンスでオスナ選手が犠牲フライを決めてくれて、サヨナラ勝ちが待っていました。「オスナー!!!」と息子と絶叫し、涙が溢れそうになって。サヨナラ勝ちの試合を観られたのは今回が二回目。一度目は、父と行ったナゴヤ球場のライトスタンドでした。その時、みんなとバンザイをした小学生の私と隣にいる息子が重なりました。人生初のサヨナラ勝ち観戦、彼の心に生涯刻み込まれることでしょう。歓喜するヤクルトファンの方達とヒーローインタビューを聞き、最後まで応援団の方達の演奏で歌い続けました。山田哲人選手の応援歌、『夢へと続く道~♪』を歌うと毎回泣きそうになって。For us、そして自分の道へ。へとへとになって、神宮を気持ちよく後にし、開き直って息子と特急で帰ってきました。夢を乗せた電車は最寄り駅に着き、現実世界に戻ってきた~とまだ暑さの残る駅を歩いていると、見かけたのは佐々木朗希投手の背番号を付けたロッテファンの兄ちゃんでした。千葉のZOZOマリンからの帰りで、みんなそれぞれ熱を持ち帰って、力に変えているのだと嬉しくなった夜。「ママ、花火も見られて、つば九郎とドアラにも会えて、サヨナラ勝ちで、疲れたけどいい1日だったね!」ずっとずっとハートを燃やし続けよう。この先振り返った時、今日という日はきっと光輝く。