息子の学校で、部活の説明会が午後からあったので、今日はパソコンを開かず、ずっと観たかったドキュメンタリー映画『結束、その先へ~侍たちの苦悩と希望~』を自宅で観ることにしました。その映画を知ったのは、野球中継でたまたま広告を見かけたから。ようやく時間ができたと嬉しくなり、押されたテレビのボタン。井端監督が、選手達が、スタッフさん達が、どんな気持ちでいたのか改めて知ることができ、感無量でした。表には見えなかったもの、人の想いはやっぱり深いなと。井端監督の現役時代、中日ドラゴンズのユニフォームを着て大活躍、毎週日曜日に見ていた『サンデードラゴンズ』(CBC)で、少しオフモードの井端選手が出てくるそんな時間が好きでした。その時のことを思い出して、なんだか胸がいっぱいで。人を育てるというのはどういうことなのか、改めて考えさせられました。プレミア12は、息子とずっと自宅で応援し、決勝前日の試合でプログラマーのMさんも誘い、レフトスタンドで本気の応援に行ってきました。その時私は『2896』のユニフォームを着ていて、それは私達親子の誇りでした。いろんなチームのファンの方達と応援歌を歌った時間、侍JAPANのチャンステーマ『スーパースター』を耳にする度、その時の感動が蘇り、どっと涙が溢れそうになります。またこの気持ちを持って、WBCへ。息子のスワローズクルーユニは、どんどん増えていく。隣で一緒に歩んでいる証だ。
さてさて、余韻に浸りながら、中学校へ行ってきました。広報委員だった友達と待ち合わせをし、体育館へ。まずは全体の挨拶を聞き、子供同士も同じ卓球部に入ったので、顧問の先生のクラスまで案内をされ、ついていきました。すると、思ったよりも人数が多く、人気が高いことが分かって。そして、顧問が若い女性の先生で、柔らかい雰囲気の中に強い信念を感じ、息子が選んだ理由が分かった気がしました。何か直感で、この先生に教えてもらいたいと思うことがあったのだろうと。そして、具体的な説明が待っていて。先生の話し方がとても心地いい、そう思いました。なんだろう、人に対してだけでなく、卓球という競技に対しての敬意を感じる。生徒達に何を伝えていきたいか、それを話してくれました。これから社会に出ていく上で大切なことを、部活を通して教えていきたい、自分のことは自分でやる、礼儀を大事にする、卓球は手段のひとつであると。この先生と朝まで語れそうだなと思うと、嬉しくなりました。最後に、先生の自前のラケットを見本として見せてくれて。中学高校大学と経験者であることが分かり、そういうことかと納得。先生の中に流れていたものは、恩師の教えや卓球を通し学び得てきた充実した時間なんだなと。他にも、若い男の先生、女性の先生もいてくださり、優しい雰囲気に包まれました。離婚調停中にネネちゃんが貸してくれたのは、選択理論の本。選ぶことの連続だなと、いろんな角度から考えさせられて。息子が選んだものに対して、一緒に学んでいけたらと改めて思いました。卓球はメンタルのスポーツとも言われていて、彼の芯を自分の力で強く太くしていってくれたらと願った雨の帰り道。試合に負けて悔しそうにする息子の表情が浮かんだ、その瞬間人は強くなる。
物心ついた時から、母がよく口にしていた躾という言葉が嫌いでした。「きちんと躾けないと。返事ははいでしょ!」そんな母は、私にはだらしなく見えてしまい、何か違うよなと子供ながらに思っていて。上からものを言っていたら、この人についていきたいとは思えないんじゃないかなと。小学校低学年の時、忘れ物をしたら紙に内容を書いて、親にハンコを押してもらわなければいけない時があり、ものすごく毎日が苦痛でした。人間なんだからどれだけ気を付けていても忘れ物の一つや二つあるよと思っていたら、本当に消しゴムを家に忘れてしまって。きっと宿題をした後、机に置き忘れたのだろうと。仕方がないので先生に伝え、紙に書いて恐る恐る母に渡すと烈火のごとく怒られて。挙句の果てに、週末だけ許されていたファミコンのスーパーマリオも私だけ禁止され、ネネちゃんがやっているのを横で見ていました。すると、異変を感じた父は、大したことをしていないのに怒られたのだろうと察知し、母がいないと分かったからかそっとファミコンのコントローラーを渡してくれて。その当時もすでにパチンコ三昧、子育てにぶっちゃけ興味もなく、母に理不尽な怒られ方をしていても煩わしいのでスルーされ悲しかったことも。それでも、小さな心はどこかで痛んでいたことも父は薄々気づいていて、たまに気まぐれで見せてくれる優しさに救われていました。本当に打率1割、でもここ一番で決めてくれるサヨナラタイムリーは、信頼へと変わっていったんだなと。父が誘ってくれたナゴヤ球場のライトスタンド、その熱気に感動し、ドラゴンズファンに。まだ全然ネット社会ではなく、売店に置かれていた100円の選手名鑑が嬉しくて、毎年買っていました。小さな冊子は増え、父と行った球場の年数でもあって。隣に座り、そんなに沢山話すわけでもないのに、試合が始まると白熱。先発ピッチャーがエースの今中投手だと分かると、青いメガホンを叩き一緒に喜びました。その今中さんが解説をされる試合は、毎回いろんな気持ちがこみ上げて。父といたナゴヤ球場は、怒られる不安感とは全くの別空間で、居心地が良かった。
「ママが作る肉団子って、個体差があるね!」と息子。子供って正直だなと思いつつ、味は確かじゃ!と心の中で訴えてみる。「機械が作るんじゃなくて、手作り感があってそれはそれでいいよね~。」と自分でフォローすることにして。英語のテスト前に一緒に練習をすると、大文字のアルファベット『J』が『し』になっていて大盛り上がり。「侍JAPANのJだから覚えましょうよ。」とわいわい。成長を上からでなく、横から見守りたいと思う。そして私は、いつか一人で野球場へ行く時が来るのかな。寂しさよりも野球ファンが沢山いてくれる、だから心の底から叫ぶよ、共に夢を見よう。