初めての朝練で、慌ただしく学校へ送り出した朝、やれやれと思い息子が片付けたふりをしたパジャマを畳んでいると、違和感を抱くことに。なぜ用意をしておいた、制服の下に着るTシャツが置いてある?別のものを着ていったのかなと思い、パソコンを開いてから彼の帰りを待ちました。「ただいま!今日、Tシャツを着ていくの忘れちゃったんだよ~。」「おかえりなさい。そうだよね。大丈夫だった?」「体育の授業もあったんだけど、奇跡的にまだみんなジャージを着ていたから、ボクもジャージでバレなかった!Tシャツの日だったら、終わってた!」「それは良かったね。そういえば内科検診もあったよね?」「それもジャージで良かったんだよ~。」コイツ、何気にラッキーボーイだなと思った何でもないやりとりでした。そして翌日、今日はTシャツ着ていったよねとパジャマの辺りを見てみると、今度はベルトを忘れていて。ズボンが下がったらそれはそれで笑えるな、このボケ具合は男の子あるあるなのかなと育児を楽しもうと思いました。音を楽しむから音楽、だったら『育楽』という言葉があってもいいよね。あっという間に4月は過ぎ、もう36分の1が終わりました。木は緑に色づき、ゆっくりと初夏に入る準備をしていて。季節が巡るように、人の気持ちも巡り、一年経った頃、また何を思うのかなと考えてみたり。武勇伝を沢山作ろうよ、話すことが尽きないぐらい誰かに笑ってもらうんだ。
色々と冷静になって考えてみたら、息子が4、5年生でお世話になった担任の先生は6年生でも一緒に上がり、その先生の教え子が担任になり、最高学年として卒業式を一緒に終えたこと、それってすごいことだなと。式の最後に、自分の小学校時代の恩師が袴姿で先に歩き、その後を子供達と一緒に歩いた先生。いろんな場面が思い出され、ぐっとくる瞬間だっただろうと。その時、通路側にいた私と目が合いました。先生は、保護者がどんな想いでその日を迎えたのか、その時間を噛み締めているのか、何もかも胸のポケットに入れておきたかったのだろうと。とても優しく微笑んだ先生の表情を、私も忘れないでいようと思います。恩師と歩いた卒業式のロード、素敵だな。誰かのストーリーを垣間見せてもらえるそんな時間が、自分の原動力にもなっているのかもしれない。
そんなことをあれこれ思い出していたら、教育実習前の忙しさまで蘇ってきました。大学4年になり実習先の希望を3校まで出せることが分かったので、父に電話。「あのね、教育実習、一番近くの中学を第1志望にしたんだけど、2校目はお父さんちから通える学校を書くから、もしその学校になったら1か月泊めてね!」彼女がいようがいまいが関係ない!こっちはここまでこぎつけたんじゃ、ガタガタ文句言うな!という心の声が届いたのか、あっさり理解してくれて。「おう!その時はうちから通えばいい。また決まったら教えて。」ほんの少しでもためらったら、ブチ切れてやろうかと思っていたので、最低限の父親の役割は果たしてくれたとこっそり安堵。結局第1希望が通り、実家から通うことにしたと連絡を入れました。具体的な日にちを伝え、その間は大事な時だから電話してこないでねと言っても、実習の真っ最中に随分能天気な電話がかかってきて。「S、飯食いに行くか!」食いに行かない!こっちは集大成じゃ、どんな気持ちでこの日を迎えたか分かってるか~!!そもそも分かっていたらこんな電話はかかってこないし、良くも悪くも父らしい連絡だなと笑えてきて。教育実習中で余裕がないことを伝えると、サクッと納得し電話は切れました。ったくしょうがねえなといつも思わされるのだけど、お父さんと過ごす中でも社会科という教科に興味を持ったんだよ。野球、本、地理、父の趣味が私の世界を広げてくれた、そのことを誇りに思う。
佐賀の祖母が他界し、姉と葬儀に行った日、一人になって祈りたくて一足先に帰らせてもらうことに。ネネちゃんが佐賀駅まで送ってくれて、そこから大事な時間が待っていました。娘でも妹でも母親でもなく、なんの役割もない状態で、祖母が亡くなった現実と向き合い、これまで歩いてきた道をゆっくり辿りました。生きていくことって、やっぱり苦しいことの方が多かったりするけど、最後に残るのは感謝なのかなと。誰に?何に?自分を支えてくれた全ての人や事柄に対してそんな気持ちになるのかな、棺桶で穏やかに眠る祖母を見ていろんなことを思いました。特急の『リレーかもめ』の車内でいろんな愛に包まれているようで、本当に胸がいっぱいでした。その時履いていた黒のパンプスを久しぶりに出してみたら、かかとが随分すり減っていて笑ってしまって。初めて途中下車した博多駅でテンションが上がってしまい、重たい荷物を持ちながら、1時間半をどう過ごそうかと行ったり来たりしていた自分を思い出しました。その時間がもし無限だったら、あのひとときの価値をここまで感じなかっただろうなと。ベンチに座り、博多口の雰囲気を満喫していると、ソフトバンクホークスの横断幕を見つけて、本当に自分は今福岡に来ているんだなと嬉しくなりました。母の人生を生きていた、そのことに気づいたのは37歳の時、それから8年いろんなことがあったな。溢れたのは涙ではなく、痛みでもなく、小さな達成感でした。ここからまた胸を張って歩き出そうと。自宅に帰った翌日、スタバのアプリを開くと、立ち寄った博多口のお店のスタンプをゲットし、日本地図の福岡県が緑色になっていました。自分用のお土産は、これで十分だと嬉しくなって。本当にいつの日か、日本地図を緑色に染めたいと思っています。そうそう、あの日時間に追われ、間違えて熊本行きの新幹線に乗ろうとしてしまって。よく見たら『さくら』という新幹線で、一人で歓喜。小さな幸せを、またいくつも見つけて進もうと思いました。息子が少し悩んでいるように感じられた時、伝えたことがあって。「『人間万事塞翁が馬』ということわざがあってね。人の幸不幸は何が起きるか分からないというような意味なの。点で捉えるととても悲しかったり失敗したと思ってしまうようなことも、線で捉えるとあの時のことがあったから今こうしていられるんだと思えたりね。遠回りに思えることも、そうじゃなかったり、そこに価値があったりすると思うんだ。自分の受け取り方次第で楽になることもあるってなんとなく覚えておいてね。」そう話すと、彼の心が少し軽くなったことが分かりました。純粋なハートにこちらこそありがとうだなと思った、ある日の夜。何度失敗してもいい、キャッチボールを続けようよ。