歩んできた足跡

佐賀行きを後押ししてくれた姉へ、そろそろお礼の連絡をした方がいいと思い、メッセージを送りました。そしてカフェの約束をすることに。1か月程間が空いたのは、ゆっくり気持ちを落ち着かせたかったから、そんなことまでネネちゃんにはきっとお見通しでした。『こちらこそ一緒に行ってくれてありがとうだよ。無事新幹線で帰れたかな?またあの後のことを反省会しよう。』と。フィードバックの時間があるのはなんとなく想像できていたけど、やっぱり姉妹で反省会かい!と笑ってしまいました。二人旅、飛行機のネネちゃんの背中も、レンタカーの横並びでの会話も、一緒に祖母の別れで泣いた時間も忘れない。どれだけの気持ちをまた会って話せるだろうか。幼少の頃、二人で佐賀に行く為に乗った新幹線。そこで、私はでっかいうさぎのぬいぐるみを抱え、姉に二人分の荷物を持ってもらい、うちの妹面倒くさいなという表情をぼんやり思い出し、吹き出しそうになりました。きっと行く前に、絶対にうさぎちゃんは持っていく!と譲らなかったんだろうな。モフモフの感触も、ネネちゃんの器のあたたかさも全部覚えているよ。言葉にしたら、また彼女を泣かせてしまいそうだ。

最近になり、とても自然に大学1年生の春休みを思い出しました。まだ実家が大波乱になる前、マウンテンバイク部に所属していた時があり、九州へ行くことに。名古屋から大阪まで新幹線、そして大阪港から別府港まで船で行き、そこで持ってきていたマウンテンバイクを組み立て、阿蘇山をみんなで目指すことになりました。予め日程が分かっていたので、佐賀の祖父母には帰りに寄らせてもらうと手紙を書いていて。そして、サイクリングをし、途中の別府温泉に浸かり、いくつか宿泊を繰り返した後、最終日の前夜がやってきました。みんなとわいわいやっている所へ、宿泊先に祖母からの電話が。ガラケーは持っていたものの、何かあった時はこちらに泊まっているよと念の為書いておいたことを思い出し、慌てて代わることに。「おばあちゃん、どうしたの?明日予定通りに遊びに行かせてもらうね!」「Sちゃんの手紙に、熊本から佐賀へ飛行機で行くって書いてあったばってん、飛んでないけん、電車できんしゃい。」「あ~、地理がよく分かっていなくて適当に書いてしまった!そうだよね。熊本出る時もう一度電話するね!」手紙はきっと日程の所だけ意識して覚えてくれていて、飛行機のくだりはさらっと読んでいたんだろうな。それを前日になって読み返したら、孫があほなことを言っていると気づいた祖母は慌てて電話をくれて。私も、まずは合宿を無事に終えようと思い、行き方は終わってからゆっくり考えようと学生のノリでとんちんかんな内容を書いてしまったなと受話器を持ちながら笑ってしまいました。翌朝、見事な快晴の空の下、みんなで阿蘇山へ向かうことに。すると、途中で私のマウンテンバイクが故障してしまい、坂道で困惑。すぐに直るような状態でないことが分かり、戸惑いました。そんな時、後ろから来ていた法学部の男友達がマウンテンバイクを降り、一緒に歩くと言ってくれて。申し訳ない気持ちもあったものの、ここまで共に来た仲間だからという彼の思いも感じ、お願いすることに。そして、二人でマウンテンバイクを押しながら頂上を目指していると、車に乗った方達がわざわざ助手席の窓を開け、「頑張れ~!」と手を振ってくれて。それは一人や二人ではなく、本当に何人もの方達に励まされ、胸がいっぱいでした。そして、頂上が近いことが分かると、友達に最後は乗ってゴールしてと先を促し、残りの力で登りきるとみんなが待っていて、歓迎してくれました。口の中はカラカラ、足はへとへと、でも阿蘇山の上から見た景色は泣きそうな程綺麗で、その感動はずっと心の中にしまってあります。それから、下りはブレーキさえ使えれば乗ることができたので、シューっと降りてきて、マウンテンバイクをまとめ名古屋に郵送し、身軽になって阿蘇駅から佐賀へ。あそこに行って、ここに行って、あれ食べてこれ食べてと、ひとしきり巡った時間を二人に聞いてもらいました。ゴールは阿蘇山だと思っていたけど、本当の目的地は祖父母の笑顔だったんだね。

姉に会うにあたり、勇気を出して、もう少し掘り下げてみようと思い、昔のアルバムを出してきました。それは、名古屋の実家がなくなる前、せっかくの思い出だからと沢山のアルバムから、私がピックアップしてミニアルバムにまとめたものでした。自分で選んだ思い出はどんなものだっただろうと開けてみると、黄色の幼稚園バックを斜めがけにしたネネちゃんが、赤ちゃんの私を抱っこしてくれていました。母も母親として嬉しそうで、名古屋の祖父母は孫をいろんな所に連れて行き、敷物を敷いて一緒にお弁当を食べてくれていて。そして、本当に気まぐれで時々写っている父、相変わらず名脇役だなと笑ってしまいました。その後めくった一枚に、涙が溢れて。それは、名古屋の祖父母と佐賀の祖父母とまだ2歳と6歳ぐらいの私と姉が、別府の血の池地獄に行った時のものでした。祖母は、物心がついた時から乳がんの闘病で苦しんでいました。だから、遠出はできないと思っていたし、家の近くのお散歩しかほとんど思い出せないでいたのだけど、おばあちゃんは一緒に九州まで来てくれていたんだなと。そして、別府の血の池地獄は、マウンテンバイク部の合宿で、別府港に着いた後、いきなり班のみんなで迷い込んだエリアでした。その時、初めて行った場所だと思っていたのに、随分懐かしい匂いがして、疲れているのに心が安らぎました。その答えが、26年経って見つかるなんて。両親の祖父母と訪れていた場所だった、懐かしい匂いがしたのは、大切に持っていた記憶だったから。空いていたピースがひとつ埋まったような、優しい時間が流れ、写真を見て大泣きしました。三つ子の魂百まで。4人からもらったハートは消えない、永遠に。
ネネちゃんに、どう話そうか。私達が歩いて来た道、正解だったかもよと。