本物の優しさ

私の人生でおそらくベスト3に入るであろう、辛かった時期は二十歳の頃。
父の転勤の辞令がもうすぐ出るという時、女の人と一緒に行く気配が感じられ、母は夜通し泣き、一睡もできなかったその日は、二十歳の誕生日でした。
家族はもちろん誰も覚えていなくて、どうしてこの人達は私を産んだのだろうと泣きながら家を飛び出した一番辛かった誕生日。

何も考えずに、高校時代の男友達の家へ。チャイムを鳴らし、大きな荷物を抱えて玄関にいた私に友達は笑ってくれて。「そんな荷物抱えて何やってるんだよ~。誕生日おめでとう!」
覚えてくれた人いたんだと思ったら、堪えていた涙が溢れだし、そして一緒に笑えてきて。
ことの重大さには気づいてくれていたのに、誕生日の方が大切だろうって、悲しい日ではなく、楽しい記憶を残そうよっていう友達の気持ちが、痛いほど嬉しかった。

それから、数日一人暮らしの友達の家にお世話になって、実家に戻ると、父が私の部屋に入ってきてひと言。「転勤は無くなった。Sは出る必要はない。俺が出るから。」それだけ言って、数日後本当に荷物を抱えて出た父の後ろ姿は、今でもはっきり覚えています。
その後、祖父と母に、私が家を飛び出さなければ、こんなことにはならなかったと散々非難され、罵倒の毎日。
父が、辛くなったらおいでと私にだけ内緒でアパートの場所を教えてくれていたので、夜、車でそっと会いに行きました。
玄関前に着くと、電気が点いていて、チャイムを鳴らすと出てきたのは若い女の人。キーチェーンも外してはもらえず、「父はいますか。」と聞くと「まだ帰っていません。」と言われただけ。
その場で、お父さんを返して!と言おうと思ったら言えたはず。でも、開いたたった10センチ程の隙間から温かい家庭の匂いがして、お父さんはこういったものを求めていたんだと思ったら、何も言えなくて、私が幸せを壊すわけにはいかない、我慢すればそれで済むんだと思い、それ以上何も言わずにその場を離れることに。

その後、目的地も考えずに車を走らせて、多分水の音がしていたから海辺に着いて、二十歳の誕生日を祝ってくれた友達に電話をしたら、2回とも留守電になり何も残さず切り、父からも電話があったので、サイレントにしてそのまま放置。
時間が経って車の中で携帯を見てみたら、友達から留守電が入っていることに気づきました。
「何かあっただろう。2回着信があったし、電話にも出ないし、絶対おかしい。いいか、よく聞け!世界中がみんな敵に見えても、俺のことは信用しろ。いつも味方だ。話したくなったらいつでもかけつけるから。」

すごく悲しい日だったのに、友達の言葉で救われた夜。
ドアの前で父の彼女に遭遇した時は、本よりもドラマよりも、現実の方がずっと辛いと思った。でも、それ以上に友達の深い優しさに助けられました。
今思い返してみても、受けた悲しみより、もらった優しさの方がはるかに大きい。
“絶対”なんて言葉、信用できないと思っていたけど、友達の絶対は本物。
苦しかった時に助けられたことは、絶対忘れない。あの時言われた言葉、そのまま返すよ。