失敗が話の種になる

今朝は、息子のお勉強を見て、ピカチュウの塗り絵に付き合わされ、ようやく来られたシェアオフィス。緊急事態宣言を受け、スタッフさん達は最低人数で出勤してくださり、受付は無人でインターホンなので、会員の私はIDカードをかざし、出入りをさせてもらっているという訳です。利用者の方も片手で数えられる程。自転車で往復なので、誰かと接触しているかと言えば、ほぼゼロに近い状態。唯一話しかけてくれたのは、若いIT技術者の方(多分皆勤賞)の彼で、ここまでになるとは思いませんでしたねって最小限の会話で終わらせると、近くを通りかかったのは、若いスタッフの女性。ひょこっと顔を出し、こんにちは!という笑顔に、いつもの日常を思い出しました。ああ、こんな何気ない時間をまた取り戻したいですね、そう思ったドアの外。

気合いを入れて黄色のピカチュウを塗っていた影響で右手がやや痛いですが、気にしている場合ではない。今度はどうやって褒め殺して1人でやってもらおうか企んでいたら、思い出した優しい出来事。息子のお道具箱に入っていた、1年生の時に支給されたのりが3学期になくなったので、同じ物を購入し、持たせました。後日、学校から帰宅するとランドセルを置き、身振り手振りで説明してくれて。「ボクね、一番前の席で、新しいのりを“うーん、うーん”って言いながら使っていたの。でも全然出てこなくて困っていたら先生が寄ってきてくれて、中の蓋が取れていなかったみたいで、助けてくれたの。ママ、今度は取っておいてね。」ははっ、ごめんねと言いながら笑い合った午後。私がどんくさかったおかげで、先生とコミュニケーションが取れたのだからいいじゃないか。渡せばいいという訳ではなかったのね。もう、ママしっかりしてよ~とプリプリしている姿が懐かしくて。あれから、随分と時が経ってしまったと感じるのは私だけではないのかも。

高校1年の現代社会のテスト前、一生懸命覚えた“いざなぎ景気”などの景気の名前を、せっかくなので祖父に聞いてもらいました。「おお、Sちゃんよく覚えたなあ。そんな時代もあったな。」戦後日本の経済成長をいつも嬉しそうに語ってくれた祖父。孫が日本の歴史を学ぶことを誇らしく思ってくれていました。そんな翌日のテストで、試験監督になったのは数学のなかなかイケメンの先生。こちらの試験がどのような内容なのか、少し前に教室に来た先生が把握し、やや大きめの独り言をぼそぼそ。「“けいき”かあ。ショートケーキにチーズケーキ。あとチョコレートケーキもいいなあ。」先生!!私一番前の席で丸聞こえなんですけど!と思いながら思わず苦笑。いい加減に覚えた知識でテストを受けるなよとでも言わんばかりの先生の表情に、余計に笑えてきて。完全に集中力が切れた状態で、どれだけの成績だったのか全く記憶にないのですが、いい先生だったことだけは明確に覚えています。

友達の一人が色々な事情で高校を中退。最後まで説得を諦めなかった彼女のその担任は、学年の先生達が集まる会議でそっと泣いてくれたそう。同席したその子のお母さんがこっそり私に話してくれました。その後、夜間の高校へ通うことになり、卒業式に出席させてもらいました。様々な年齢の学生さん達に驚き、彼女のように中退してから入学した生徒さんは前の学校の制服を着ていて、説明のつかない様々な想いがこみ上げ、涙がこぼれ、それを隣で気づかないふりをしてくれた数学の先生。なぜかその日に限ってハンカチを忘れてしまい、手でずっと拭っていると、スーツからハンカチを出そうかどうしようか迷ってくれている先生がいて、その不器用な姿になんだか笑えてきて、そっと手で制止。先生ありがとう、だって友達のどん底を見てきたから。一緒に卒業は叶わなかったけど、彼女の卒業を見られて本当に良かった。肩を震わせて泣いている私の言葉を、肩で感じてくれていたのだと思います。
そんな私の溢れた気持ちを思ってか、卒業式後に笑顔になったこちらの表情を見て、伝えてくれました。「今日はよく来てくれたな。先生さ、四輪駆動車に乗っているんだけど、この間盗まれちゃって、保険で何とかなったんだけど、ショックでさあ。」「えっ?先生今車どうしてるの?」「全く同じのを買った!」だはっ。さっきの感動を返してよ~。でも最後に笑わせたかったこと、知っているよ。