深さが増していく

夏休み前、いつものように息子を学校へ送り届けようとすると、甲子園予選の為に練習に励んでいた高校球児の一人がグラウンドで練習をやめ、急に「ありがとうございます!」と体育館に向かって頭を下げるので何事かと思いました。すると、その直後に体育館から甲子園でよく耳にする楽曲が吹奏楽団の方達によって演奏され、胸がいっぱいに。彼に続き、何人もの野球部員がお礼を伝え、毎朝同じタイミングで演奏されることを知っていたんだなと思うと嬉しくなって。高校3年の夏、受験真っ只中で予選を勝ち上がってくれた野球部。まだ学校全体で応援に行かない予選の最初の頃、吹奏楽部の友達に様子を聞いたことがありました。「今年の野球部どう?」「毎年楽器を持って応援に行っても、早い段階で負けちゃっていたの。でも、今年は勢いがある。私達も毎試合演奏できて嬉しいよ。選手達に届いてくれたらなって。」その言葉を聞き、一緒に戦っているのだと思いました。上位まで食い込んだ後、敗戦。その後、エース君に質問をしたことを思い出して。「サヨナラ勝ちをした試合あったでしょ。あの日は吹奏楽部がコンクールで不在だったの。彼女達も応援に行けなくて悔しがっていたよ。次の試合で来てくれて、前回に来られなかった気持ちを乗せているようで、演奏に力が入っていたの。グラウンドから聴こえていた?」「おう。いてくれるのとそうじゃないのは全然違った。本当に後押ししてくれていたんだよ。1年の時から毎試合来てくれていて嬉しかったよ。」グラウンドとスタンド、気持ちはひとつだったんだね。そんなことを思い出し、野球部と吹奏楽部との太い繋がりを感じて、嬉しくなった朝。コンクールで入賞した!と甲子園予選のスタンドで教えてくれて、歓声が上がった時間。すべてが青春だった。

夏休みは、息子と過ごす毎日。午前中は宿題を見て、午後は自由研究のコピーを取りに行くことになりました。重たい動物図鑑と魚図鑑を私が持ち、駅近くのコピー機が安いことを予め知っていたので、そばにあったフードコートに息子を座らせ、ひたすらコピーをする時間が待っていました。すると、母を見つけ、ささっと避難。状況を息子に説明すると、手を口に当てぷぷっと笑いを堪えているので、一緒に吹き出しそうになって。別に悪いことをしている訳ではないので、見つかったら見つかったでいいのだけど、会ったら会ったで面倒くさいなという意見が一致し、息を潜めることに。「ママ、図鑑で顔を隠した方がいいよ。」「逆に目立つって。」と二人でひそひそ。端から見たら、あの親子何やっているんだ状態。堪えきれず息子が振り向くと、「おばあちゃんと目が合っちゃった!」と騒ぎ出し、それでも母は全く気付かず行ってしまいました。「あ~良かった!」と本気で胸をなでおろしているので余計に笑ってしまって。母の入院前に、折り紙で沢山の星や花を渡すために一緒に作っていて、私も息子も母のことは好き。でも、程よい距離感がいい関係でいられることを分かり始めているので、一緒に隠れてくれた光景にこれまでの苦労が少し飛んで行ったようでした。何でも頑張らなくていい、こんな自分の守り方もあるよ、そんな実体験が今日は何よりの勉強だったのかも。そんなことを思っていると、最近入ってきたネネちゃんからのメッセージが頭を過って。『R君はSちんのフィルター通して物事見てると思うから、Sちんの気持ちはわかってると思うよ~。』ありがとう、ネネちゃん。

夕方になると、名古屋場所の大相撲を一緒に観てくれた息子。そこで、取り組みの前に何人かの方が宣伝の為に土俵の上を歩いている姿をぼんやり見ていると、スガキヤの『スーちゃん』の宣伝を見つけ、思わず笑ってしまいました。さすが名古屋場所!!まだ地元にいた頃、小銭を持って、自転車に乗り、中学時代の友達数人で食べに行った思い出のラーメン屋さん。母と買い物をした後も、スーちゃんの絵を見かけると食べたくなり、二人で入ったことも。目が大きくて、三つ編みがなぜか上がっているインパクト十分なスーちゃんが、沢山の思い出を運んで来てくれて、感無量でした。「ママが好きな若隆景、出身の福島県の場所、ボク覚えたよ。頭良さそうな顔をしているよね。どうして、廻しの色はグレーなんだろうね。好きなのかなあ。」目の付け所にこちらの方がはっとなって。「怪我との戦いでもあるから、好きな色で自分を奮い立たせているのかもしれないね。」この光景をおじいちゃんは見てくれているだろうか。精神的に参っていた母を外に出し、祖父の夕飯準備をすることもあった学生時代。相撲がある時は、必ず結びの一番が終わる6時に食べられるように準備をしていました。「Sちゃんも見んね?今日優勝が決まるんだよ。いやあ、やっぱり相撲はいいな。」そう言って、毎日テレビの前にいた祖父。日本人であること、日本の伝統、文化、語り継がれるもの、そういったものをとても大切にしている人なのだと後姿を見ていつも思っていました。「おじいちゃん、男の子だよ。」出産し、少し落ち着いた時に電話で伝えた時、戦地に赴いた祖父の姿や、生後一週間で亡くなった伯父さん(祖父の息子)のことが頭を掠め、泣きそうになりました。命が繋がった。その重さと尊さ、そこにある粒子の喜びの数々を大切に伝えていこうと思っています。「あなたのひいじいちゃんは、陸軍だったの。鉄砲を持ち、目の前で戦友が銃で撃たれても、必死に前へ進んだ。国の為に戦ったんだ。敗戦し、捕虜になっても諦めなかった。あなたにはその血が流れている。そのひいじいちゃんが好きだった相撲、ひ孫のRも好きになってくれたと知ったら嬉しいだろうね。」そんな話を、来る時が来たら、届けようと思います。凍てつく極寒の地シベリア、重い道具を持ち、痛みと寒さと空腹と戦った祖父の生命力は、私達家族の歴史の始まりだった。簡単には諦めないことを教えてくれた人、この声は届いているだろうか。