そこにある空気

息子と何気なく見ていたプロ野球のオールスターゲーム第二戦。パ・リーグの二勝に終わり、表彰式に活躍をしたヤクルトの村上選手が出ると、息子が喜んでいて。最初は、ヤクルトの試合ではないことが分かり、残念がっていたものの、セ・リーグ6球団とパ・リーグ6球団で選ばれた選手達が対決するドリームマッチなんだよと説明し、ヤクルトの選手も出ている話をすると、興味を持ってくれました。そして、表彰式で様々な球団の選手が選ばれ、チームマスコットも周辺に並ぶと息子が異変に気づくことに。「つば九郎がいない!」「あ、本当だね。どうしたんだろうね。」そんな話をしながらも、ナイスゲームでわいわい。その後息子を寝かしつけ、何気なくネットサーフをしていると、つば九郎がコロナで陽性になってしまっていたことが分かりました。そして、中日のドアラが他球団のマスコット達とラッキーセブンの時、東京音頭でつば九郎のぬいぐるみ(すわくろう)を頭上に掲げ、場を盛り上げるシーンを見つけ、じーんと胸が熱くなりました。二人の友情の深さをファンとして知っているだけに、こんな時はなおさら励まされるだろうなと嬉しくなって。そういえば、ラガーマンのTさんも、マスコットの大切さは熱く語ってくれていたなと思い出しました。「かわいいマスコットがいてくれるかどうかは、チームにとってとても大事なことだと思っています。ルールのよく分からない子供達が喜び、興味を持ってくれること、そこがまずは第一歩なのかなって。だから、僕が現役時代かわいいキャラクターを作ってくださいとチームに訴え続けました。」そんな彼の気持ちが沢山詰まったオリジナルキャラクターのぬいぐるみは、いつもシェアオフィスのデスクに飾ってあり、Tさんがプレゼントしてくれたマグネットは私のロッカーに貼り付いています。みんなに愛されるキャラクター、気が付くと笑顔にさせてくれる大きな存在ですね。さてさて、翌朝息子につば九郎が陽性で第二戦に出られなかったことを伝えると、「え~!!」とひとしきり驚き、そして心配していました。「つば九郎、早く戻ってきてくれないかな。」と。ヤクルト選手のそばにいつもいるつば九郎は、場を和ませてくれる大きな存在なんだ。

そんな数日後、二年ぶりに、幼稚園時代の友達親子と遊ぶことになりました。卒園と共に引っ越し、すっかり疎遠になるかと思いきや、ふと連絡をくれる臨床心理士を目指している友達。コロナの影響で間が空いてしまったものの、会うと子供達も懐かしさと共に遊びだし、優しい時間が流れました。そして、色々と聞かれたので一連の話を伝えると、いつも冷静な彼女は深く理解してくれて。「Sさんがそこまでの決断をしたということは、それだけのことがあったんだよね。」ニュアンスからこちらが言葉を選んでいるのはなんとなく分かっているのだろう、彼女のアンテナが働き、私の苦悩を感じ取ってくれたようで胸が詰まりました。そして、長い付き合いだからこそ、一歩踏み込んだことを聞いてくれて。「それでもね、正直金銭的にとても大変になると思うんだよ。それを分かっていて結論を出したのは、勇気がいることだったと思うけど、どうして?」「卵巣腫瘍が見つかった時、洒落にならないなって思ったの。手術して、悪い方に転がればがんセンターに転院する可能性もあって、本当にもし余命宣告されて、息子と一緒にいられる時間に限りがあったらどうしようって、沢山のことを考えた。その時のことを思うと、この先夫とまた一緒に暮らして、悪い所を取ってせっかく残してもらった右側の卵巣が再発する可能性を思った時、健康な体でいたらお金はきっと何とかなる、Rのそばに私がいること、それが何よりも大切なことだと思ったの。」そう話すと、一瞬の間があり伝えてくれました。「Sさん、強いな。」と。「休校中、家庭内はひどい状態だったから、本当はその時に家を出るべきだったの。でも、子供の為にと頑張ってしまった。その結果、下腹部の痛みもストレスだと思い込み、卵巣を摘出するほど大事になってしまった。もう、判断を間違えたくないと思ったの。自分の命に限りがあるかもしれないと思った時のことを思うと、今はRと二人であたたかい時間を過ごせていて、とても嬉しいんだ。」「そうか。」Sさんの後悔がより一層、気持ちを強くさせてくれたんだね。それは、あまりにも辛かったからなおさら。隣にいた彼女から言葉では言い表せない想いが届き、自分の正直な気持ちと改めて向き合えた気がしました。「多分、私は言われちゃいやすいんだろうね。安心されやすいというか。」「うん、分かるよ。」と即答で返ってきたので思いっきり笑ってしまって。カウンセラーの卵である彼女から、いろんなものが見えているんだろうなと。別れ際、子供達が肩を組み、ピースサインしてカシャリ。この笑顔を絶対に途切れさせないと自分に誓った日。本音を引き出してくれた友達に感謝。あなたの幸せも祈っているよ、そう思いながら笑ってお別れ。少し階段を上れた気がしたよ。

夏休みのある晩、深夜に私も息子も寒暖差アレルギーが出てしまい、全く寝付けず、ようやく眠りについたのは夜中の1時頃でした。それでも途中で何度も起き、ようやく起き上がると朝の10時で、二人で大騒動。その日は仲良しのKちゃん親子と1時に遊ぶ約束をしていて、慌てて宿題や家事をこなし、自転車で公園へ向かいました。会うと、そこにはいつもの空気があり、なんだか泣きそうになって。こんなドタバタな日があって、変わらず包んでくれる友達がいて、子供達の笑い声が公園いっぱいに広がり、こういった時間を心の瓶に詰められるから日々頑張れるのかな、辛い時にそっと取り出して、それはもしかしたらKちゃんも同じで、そんな人がいてくれるから私は強くいられるのかもしれないな、そんなことを思いました。彼女といると、いつも未来が見えて。あの時はこうだったよね、ああだったよね、そんなことを語り合っているおばあちゃんになった二人がいて。このサイトが、本当にいつの日か本になったら彼女にプレゼントをしよう。一番目の読者になってくれたあなたがいてくれたからここまで頑張れた、その気持ちを届けたい。その日まで、歩みを止めないでいることにする。