動き出す感覚

自分の中のある一定のことが、とても停滞しているなと感じていたここ最近。ある意味平和だったのかと思っていた頃、母と会う機会があり、思いがけないことを伝えてくれました。「お父さん、今度の春に退職して、こっちにくるでしょ。どうやら、都内の従弟の会社で働くみたい。この間、千葉にいる叔母さんにも二人で会ってきたの。佐賀のおじいちゃんの妹さんだよ。覚えてる?」覚えているも何も、学生の頃に電話で話す機会があり、お会いすることができなくて、残念だったことをしっかり覚えているよ。父が家を出て以来、少しずつ父方の親戚とは疎遠になってしまったこと、それをどこかで寂しく思っていたなんて、簡単には口にできなかったです。

父が、まだ実家にいた頃、家庭内別居状態で最悪の雰囲気の中、母方の親戚が亡くなり、葬儀で父が母と全く口を利かず、酷い態度を取ったそう。さすがに親戚一同が不穏な空気に気づき、母から別れを切り出すのを待っているかのような態度に、父は完全な嫌われ者でした。時が流れ、母方の叔父の葬儀で私も関東から向かい、父と合流。以前の葬儀で、酷い態度を取った父に対し、母の親戚は皆穏やかに迎えてくれました。「○○ちゃん(父の名前)、会いたかったわ。」目を潤ませながら、父との再会を喜んでくれた伯母さん。その姿を見て、父は何度も頭を下げ、耐えきれずに背中を向け、ハンカチでそっと涙を拭い、トイレに入っていきました。あの頃はやけくそになっていた父。自分の態度で誰かを傷つけるということよりも、自分が崩れてしまわないようにすることに必死だったような気がします。酷いことをした。それでも、そんな自分を受け入れてくれた伯母さんの優しさが堪らなく嬉しかったのだと、その時ようやく、父の中で反省の気持ちや、事の重大さや、寛大な気持ちがどれだけ人を癒してくれるのか、気づいたのだと思います。

そんな父が、再就職先に選ぼうとしているのは、既に声がかかっていた金融の仕事ではなく、従弟が起業している会社での勤務。おそらく経理的な仕事をするとは思うのですが、ちょっと驚きでした。二人で会いに行った時、従弟が美味しい天ぷらをご馳走してくれて、千葉の叔母さんがとても優しくしてくれたと、母が嬉しそうに話してくれた時、20年という月日が、何かを埋めてくれたような気がして、ほんの少しだけ、私の中のわだかまりが解けていくようで。この人達、長い間別居をしていて、また一つの家族になろうとしているのだと、もう会えないと思っていた親戚に会えた喜びが、あっさり時を超えてくれるのだと、不思議なものを感じました。

私が関東に来てから、父とは音信不通。父に黙って、そっと愛知を離れました。理由は本当に様々。数年経ち、ようやく関東にいることに気づき、帰省した時、父の車の中で話しました。「私が家を出たことをお父さんが知ったら、生活費も入れてもらえなくなり、離婚も切り出されるのではないかと、お母さんに口止めをされていたから言えなかった。ごめんね。」素直に話すと、納得し、伝えてくれました。「元気でやっているのか?佐賀のおばあちゃんも心配していたぞ。今、手元にこれだけしかないけど。」そう言って、私の膝の上に3万円をそっと置いた父。まともに顔が見られませんでした。母を不安にさせない為に、父との連絡を絶ったことを怒らず、それよりも、元気ならそれでいいと、今俺ができるのはこれぐらいだけどと、そんな気持ちを込めて渡してくれた3万円。使える訳ないよ。言葉よりも涙がポロポロこぼれてしまい、大変でした。

父の親戚とは、もう会えないと思っていたのに、もしかしたら、とても自然に会える日が来るのかもしれない。父が出て20年。動き出したよ。決して空白の期間じゃなかったことは自信を持って言える。
いつか笑って会いに行こう。