悲しみからの脱却

父の手術日が近くなるにつれ、いろんな気持ちが押し寄せてきました。そんな時、クラッカーを使った料理をボリボリと食べていた息子が、なんにも気にせず床にボロボロ落としていたので、思わず笑ってしまって。「ちょっと~!!思いっきりこぼれているでしょ!」そう言っても、だはっと笑い、本人はお構いなしの様子。その時、まだ小さかった頃に姉が伝えてきた言葉が頭を掠めました。「R君はさ、ポテトチップスをパンって開けて、それが吹っ飛んでゲラゲラ笑うようなおおらかな子になってくれたらいいね。Sちんに似ているし、一緒にいたら自然と思慮深くもなっていくと思うんだよ。でも、後先考えずに笑ってくれるような所も大切にしてほしいと思っているよ。」私達の子供時代のような思いはしてほしくない、そこには姉の沢山のメッセージがあるようでした。小鳥でも来るんじゃないかぐらいクラッカーを落としまくって、笑い転げているから安心してねネネちゃん。そんなことを思いながら、翌日に手術の迫った父にひと言だけエールを届けようと思い、『応援してます』というリスのスタンプだけ送信しました。既読にだけなって返信はなし。分かるよその気持ち、逆の立場なら私もそうする。

そして当日の朝、息子を学校の途中まで送り届けると母からメッセージが入りました。バス始発に乗り病院来ました、九時から手術ですと。そして、『心配ないよ』といううさぎちゃんのスタンプが付いていたので、いつでも行けるようにスタンバイだけして、スタンプだけの返信をし、見守ることにしました。父は弱さを私には見せたくないだろう、そして母は一人で頑張ろうとしている、手術から目が覚めた時、母の存在の大きさに父は気づくのではないか、その時に私はいない方がいい、そう思いそっと祈ることにしました。落ち着かない時間は過ぎ、息子は帰宅し、夕方になるとふっと父は大丈夫だと確信めいたものが内側から湧いてきて。その後、お風呂から出てスマホを開けると姉からメッセージが。『母から聞いているかと思うけど父ちゃん手術無事成功。急遽行ってきて術後に会えたよ。腎臓も8分の1切っただけで済んでよかった。』その文面を読み、安堵したのと同時に沢山の気持ちがこみ上げてきました。姉は会いに行ったんだなと。その時、過去にあった様々なことがどっと流れ込んできて。父の手術が終わるまでの間、母のそばにいたらきっとその時間はずっと負の感情をぶつけられることにもなっただろう、それが怖くもあったんだろうなと。姉が大丈夫なのは、母は私にだけ向けてくるから。その違いに、今回はちょっと辛いなと思ってしまいました。姉と母が喧嘩をする度、母は私に怒るか泣くか、本当にもう訳が分からなくなるので宥めるのが大変、それと同時にネネちゃんの傷みも感じていました。それでも、その後お姉ちゃんが子供を連れて遊びに来てくれたの!と歓喜の連絡が入り、そこには祖父も父もいて、関東にいた私は何とも言えない気持ちになったことも。姉はホームランバッター、1発で決めるから、送りバントを打つ自分はなかなか母には分からないことかもしれないな。でも最近、セーフティバントを決めて盗塁することを覚えたんだ、それぞれの役割がある、ずっとそう思ってきた。

父との思い出を辿っていたここ最近、塾の講師を辞め、大学の司書課程を受講し始めた時のことが蘇ってきました。姉は義兄と婚約し、まだ実家にいた頃、朝に吐いてしまい会社を休むことに。お大事にね~と伝え、私は車を走らせ大学へ。すると、昼を過ぎ3限目に入ったところで急に吐き気に襲われ、筆記用具を全部置いたまま講義室をなんとか抜け出し、ヘロヘロになりながら保健センターへ。着いた途端、トイレに駆け込みどうしようもない状態が待っていました。便器を抱え、吐き続けていると、保健センターの看護士さんが伝えてくれて。どうやら姉が大学に連絡をしてくれたらしく、一家みんなが食中毒になったということ。状況は理解したけど、明日司書の試験でしかも今日の講義内容が出るから洒落にならないよ~と泣きたくもなって。あまりにも私の状態が悪いので、看護士さんが近くの病院へ連れて行ってくれるとのこと。講義室の荷物も運んでもらい、父だけ無事だったことも姉が話していたらしく、疑問に思った看護士さんが聞いてくれました。「どうしてお父さんだけ無事だったの?」と。父は別居しているんですと話すと笑いながら理解してくれて。そして、一人だけ元気だった父が、銀行の支店から病院まで駆けつけてくれることになりました。お姉ちゃん、気持ちは嬉しいんだけど、お父さんにまた学生をやっていること話していないんだよ~とやや困惑。看護士さんにお礼を言い、病院の陽気な男の先生に点滴を打ってもらい、タクシーで来てくれた父に、車が大学の駐車場に置きっぱなしだと伝えると、カギを受け取り車を走らせ戻ってきてくれました。その時、本当にたまたま大学近くの支店で勤務をしていた父。不思議なものです。そして、点滴を終え、まだぐったりしている私を助手席に乗せ、シートを目一杯倒し、気持ちの悪い中で父とのドライブが待っていました。案の定、また大学に通っていることがばれて聞いてきました。あんたが若い彼女に貢ぐから、こっちは大学費用を稼ぐためにバイトで必死で、教員免許を取得するだけで精一杯だったんじゃ!だから司書資格を取りに来てるの!!司書課程の費用もこのガソリン代も自分で働いたお金じゃ!なんか文句あるか!!と腹の中で思っていたものの、なんせ吐き気がずっとあったので、最小限の会話に留めました。それでも、なんだかいいドライブで。祖父と共有で使っていた黒のシビックフェリオ、助手席で横になったシートの匂いを思い出し、涙が溢れました。次の日も、気持ちの悪さが取れず、それでも父が取りに行ってくれたおかげで、車で大学へ行くことができ、その時に出会った何人もの友達が前日から心配し、私の為にノートをまとめておいてくれて。多分、試験で一番のピンチだったけど、あの時は仲間にも助けられ乗り切れた。一緒に頑張る友達とどうしても同じタイミングで取得したかった、合格できたのは父のおかげでもある。「S、頑張れよ。」その言葉、忘れない。忘れるものか!

お父さんの手術前に、お母さんのお兄ちゃんである伯父さんが会いに来てくれたの、その話をするのは今じゃないような気もしていて。何よりずっと気を張っていたのでちょっと気が抜けてしまって。そして、先発メンバーでもなく、代打でもなく、今は一人で2軍調整したいなと思っていて。伯父さん、助けに来てくれたんじゃなくて、もしかしたら私の内側にいる?そんな錯覚にも陥った。送りバント、失敗の時もあるかもしれない。全然結果が出なくて、苦しい時もあるかもしれない。でも、悔しくて悲しいその時間、知ってるよ。その後に笑える時が、どれだけ意味のあることかも。その過程が全部、自分の種になるから。咲かせようよ、my colorで。そんな自分を好きでいて。