別れではなく続くもの

シェアオフィスに行く回数が前よりも減ってしまい、久しぶりに出向くと、不動産関係のお仕事をされていたHさんからランチに誘われました。彼は時々冗談で『姉様』と呼んでくるので、その度に笑ってしまうのですが、今回も何やら話があるようだったので、サンマルクカフェで待ち合わせをすることに。すると、開口一番伝えてくれました。「実は、僕の税理士事務所、移転することになったんです。」「え~!遠くになっちゃうんですか?」「違うんです。今のオフィス、社員の数が増えて狭くなったんで、駅の反対側の商業ビルに移ることになったんです。今日はその報告です。○○さんが先に出るかもしれないと思っていたのに、僕が出ることになってしまって。でも、テレワークの時など利用させてもらおうと思っています。」そう言っていつもの笑顔を見せてくれました。昨日移転の話を知ったのですぐに知らせようと思ったと話してくれて。夫にこの仕事を辞めてほしいと言われた翌日、猛烈に凹みながら椅子に座ったシェアオフィス。そこで、彼に会い、一連の話を聞いてもらいました。色々なクライアントさんに出会い、様々な働き方があることを知っているHさんは、とても冷静に、とても温かく状況を理解し救われました。その後、引っ越しの相談にも乗ってくれて無事に終えると、自宅から遠くなったことを心配してくれて。近いシェアオフィスに移ることもひとつ、○○さんが無理のないのが一番だと思っていますよといつも私の視点でいてくれました。その彼が、移転すると聞き、こんなにも励まされていたんだなと痛感。息子が休校になり、図書館もスタバもやっていないという緊急事態宣言下でもシェアオフィスは開けてくれていました。誰もいないオフィスに陽気にやってきて絡んでくれたHさん。後にその時のことを聞いてみると、お酒が入っていたので全く会話を覚えていないんです~と言われ大爆笑。その時、不動産関係のお仕事をされていた彼は、自分で立ち上げた会社の業績が悪く、仕事仲間と「もう飲まないとやってられないっすね~。」というノリで盛り上がっていたそう。彼にとってそれはどん底ではなく、ふわふわ浮いているような気楽さをまとってくれていて、そんな姿に私は何倍もの元気をもらっていました。自宅に帰れば辛いことが待っている、それでもそっと上げてくれる仲間がいて、あの当時の私にはどうしようもなく有難かった。そんな彼が、夏にいなくなるのかと思うと、何とも言えない気持ちがこみ上げました。寂しさ、エール、いつも変わらない明るさと笑顔をありがとう。自分を支えてくれていた人の大きさを知る。「新天地に行っても応援しています。」「はい。たまにはランチでも行きましょうね。」かわいい弟よ、どこに行ってもがんばれ。

季節の変わり目は、どうしても崩れやすくなってしまい、どうしたものかと息子を寝かしつけた後、ようやくソファに座りテレビを点けると、エンゼルスの連敗が14で止まったというニュースがやっていました。投打に渡り大活躍をした大谷選手が映し出され、釘付けに。「僕の4勝目より監督の初勝利の方が価値あると思いますし、なかなか監督になって1勝目はないことなので。」連敗が止まらないマドン監督を解任、その後三塁コーチから監督代行になったネビン監督代行の重圧は相当なものだったはず。そんな中でようやく連敗が止まった勝利球をこういった気持ちで大谷選手がプレゼントをしたのだと思うと、なんだかぐっときました。ネビン監督代行も、「手に入れたよ。ショウヘイがくれたんだ。私のものだって。」と喜び、そのトーンと表情にあたたかいものが流れ込んできました。毎日って連敗の方が多いんじゃないかなと思ってしまいそうな時があって、それでも、14連敗した後に、こんな気持ちを届けてくれる人がいて、それはとんでもなく価値あるもので、受け取った人はその時の喜びを忘れないから、日々の連敗を笑い飛ばせるようになるのかな、大谷選手はその“価値”を知っている人なんだろうな、だから想いを込めて渡すことができるのだと、大きなものを感じさせてもらいました。敬意の払い方までもが一流なんだなと。

そうやっていつも惹きつけられる野球を息子と見ていたら、聞いてきました。「あの選手、目の下にクマを作っているの?」と。「違うよ~。ライトや日光が眩しい時に、目の下に黒のクリームを塗ると、和らげることができたりするの。あんなに大きなクマを作っていたらちょっと面白いけどね。」そう言って、二人でわいわい。この質問、近鉄の選手に対して父にしたような・・・とあほな質問までもがバトンされていて、小さな私が懐かしくなりました。近鉄という球団が無くなり、喪失感があって、その気持ちを埋めてくれたのは、新たにできた楽天という球団でした。その後に起きた東日本大震災。球団関係者全ての方がどんな想いで優勝を目指していたか、それは、計り知れないものだっただろうと思います。星野監督の言葉が、表情が、胴上げが全てを物語ってくれていただろうなと。「ママの好きなチームは中日でしょ。でね、次はボクが好きなヤクルト。その次は?」「楽天。宮城県仙台市が本拠地の球団なの。3.11の時、被災して大変な思いをしたチームだからずっと応援しているんだ。」「ママ、ロッテで完全試合をやったピッチャーも同じような理由で応援しているよね。」「佐々木投手は、岩手県出身だったの。そこで被災されてね。」そう言って、地図を出し、太平洋側の海岸をなぞりながら、津波の話をすると静かに聞いてくれていました。仙台、いつか息子を連れていこうか。がんばろう東北、この気持ちに終わりはないことを感じ取ってくれるかもしれない。