一段上がろうよ

前の接骨院に行っていた時、男性の先生と左利きの話になり、子供の頃に矯正が入ったので、箸と鉛筆だけは右だと伝えると、実は先生も同じような感じだと教えてくれて大盛り上がり。なんとなく年代は近いと思っていたけど、隠れ左利きに会えるとはね。「僕ね、一番腹立たしいのは改札なんですよ~。」「ああ、分かります。左利き専用レーンがほしいですよね。左手で右にピッとすると、絶対に手がクロスしますよね。」「分かってくれて嬉しいです!」「以前、図書館で働いていた時、先輩がマウスの設定を左利きに変えられるよって教えてくれたことがあったんです。でも、その頃にはすっかり右手でマウスを使えるようになっていて。もし自席で、左手でマウスを使っていたとしても、図書館カウンターのパソコンは共有だから、結局右利きのみんなと同じものを使うことになるし、右手でマウスを使えるようになっておいて良かったなって。」「ははっ。言われてみたらそうですね。そんな設定があるの知らなくて、僕も右手でマウスを使ってました~。」「ね、左利きの人って右利きのルールの中で生きているから、無意識の間に見えないストレス溜まっていたりしますよ。せっかくだから、両利きでやれることを増やそうと思って。カチカチのアイスだと、握力は左の方が強いからスプーンは左手使っています。」「そういえば、僕もそうです。もし、子供時代に戻れるとしたらどうしたかったですか?」「やっぱり、左利きとして矯正されることなく生きてみたかったですね。どうなっていたんだろうって。強烈に絵を描くのが下手くそなんです。」そう話すと、大爆笑してくれました。分かってもらえるって嬉しいね。絵が下手と言えば、『アメトーーク!』(テレビ朝日)の“絵心ない芸人”の時にたまたま息子と見ていたら、「ママの絵に似てる~!」と爆笑されてしまったことがありました。手がどこから出ているんだといろんな人に突っ込まれてここまで来たものの、芸人さん達も同じような絵を描くので勝手に親近感。その時、メジャーリーガーの前田健太投手も出ていて、そのいい感じの下手さ加減を息子が楽しんでいたので、前田投手のニュースがテレビで流れると、ピッチングよりも面白かったことが蘇ってふふっと笑う小6男子。すごいピッチャーなんだよ!!

さてさて、顎関節症に強い接骨院に通い始めて2回目の施術が待っていました。担当してくれたのは、20代の若い男の先生。こちらの不調は引き継がれたカルテに書いてあり、伝えてくれました。「前回の女の先生、鍼治療で講師もしていてたまにしか来ないので激レアでしたよ!」と。それはそれは、ラッキーだったなと嬉しくなって。そして、こちらの話をもう一度聞き、様子を見ながら伝えてくれました。「呼吸が浅く肩で息をしているのではないか、それによって肩回りが余計に凝っている気がします。」と。手術前まではできていた腹式呼吸、それが術後の癒着の影響でお腹を変に守ったことにより、肩で息をするようになっていたのだとようやく自覚することができました。そして、顎を解しながら教えてくれて。「顎関節症って自律神経が影響していることがとても多くて、痛みが出た時、何か環境が変わったりしましたか?その原因を取り除いてあげると治ったりすることもあるんですよ。」「なるほど~。父ががんになったぐらいのタイミングだったと思います。」そう伝えると納得してくれました。でもね、深層はもっと別の理由があって。父のがんや今後の治療については冷静に理解している、原因はそこではなくそれによって母が大きく揺れる波にどうしても私が翻弄されてしまう怖さが地下五階に眠っているんだよなと。逆に言えば、その怖さを取り除いてあげれば、顎関節症は治るのか?!と思考がぐるぐる。そんな時、先生が施術をしながら感心してくれて。「痛みに強いですね。我慢強い。」もうね、婦人科の先生に散々言われたことなので、何も驚かなくて一緒に笑ってしまいました。

嫌な痛みが下腹部に走っていた3年半ほど前、漢方内科の主治医が触診でたまたま見つけてくれた違和感で、紹介状を持って婦人科へ。すると、卵巣が悲鳴を上げているのが分かりました。8cmに腫れ上がった卵巣、がん化していても全然おかしくないと、おじいちゃん先生に自覚症状はあったはずだと怒られ、凹みまくって病院を後にした帰り道。その日から痛みはさらに強くなり、プログラマーのMさんに状況を報告、そして、手術前に心配されながら光が射し込むカフェで顔と顔を合わせ、ミーティングをしました。なんだかいい時間で。どんな想いでこのサイトを立ち上げてくれたのか、そして、退院を待ってくれようとしているのか、いろんな気持ちがテーブル越しから伝わってきました。「プロ野球選手がデッドボールを受けても、試合中はアドレナリンが出ているからなんとかプレーできることもあって、でも試合が終わると急に痛みが強く出ることがあるんだよ。Sちゃんも、そうやってずっと痛みを鈍化させようとしていたんじゃないかな。無意識の間にね。でも、病名を告げられて、痛みと向き合える時が来たから強さが出たんじゃないかな。僕の母親も、40代後半で卵巣も子宮も摘出したんだ。今は元気で活動しているよ。だから、Sちゃんも元気になって帰ってきて。サイトのことは、僕が守っておくから大丈夫。」とてもよく晴れた冬のティータイムでした。吐きそうな痛みが常にあったのだけど、Mさんのそんな気持ちに助けられました。後悔よりも、不安よりも、前を向く力がきっと追い風になると思えたそんな日でした。

「本当に酷かった。あの痛みによく耐えていたな。」良性だった卵巣を取り出してくれた執刀医が笑ってくれました。「でも、癒着も酷いから、治療は続くよ。はっはっはっ。」もう一緒に笑うしかない。強い人認定を受けた瞬間でした。凝り固まってしまった体にはね、そんな歴史も詰まっているんですよと思ったら、施術中にぐっときて。「○○さん、顎関節症が治ったら、何が食べたいですか?」と若い先生。「ブロッコリーです!!固いものを思いっきりもぐもぐしたいです。」と話すと爆笑してくれました。そして、どんな自分になっていたいですか?と。「顎関節症を治したら、姿勢も直して、冷えにも抵抗できる体を目標にします!」「一緒に頑張りましょうね。」一段上がれるような気がしたそんなひととき。その気持ちがもう健康への近道なのだろう。サイトを閉じたら、両手を広げて思いっきり深呼吸しようよ。心も体も喜んでくれるかもしれない。