もう一つあった夢

受験の時、日本古代史が学べる学科、そして、二つの資格が取れる大学を選びました。
それは図書館司書と、教員免許。

私には、二つの夢がありました。どちらが自分に向いているのか手探り状態で、だから在学中に両方を取得し、そこから進路を決めようと思っていました。
資格を取るどころか、中退が目の前に迫っていた時、現実的になって諦めろと先輩に言われたことも。「まずは、卒業が先決だろう。」本当にその通りでした。それでも、せめてどちらかだけでも、一緒にいる仲間と学びたくて、2年生の時に教職のカリキュラムを新たに選びました。

通常の4限の講義が終わり、4時半から6時まで5限目の教職の講義。そして、土曜日も1限から。深夜までバイトをし、日曜日も別のバイトをして、睡眠は削れるだけ削りました。あの当時は、寝ないでも生きていけると思っていた。

夜、日本料理店で働く前に広げていたテキストは、教育基本法のレポート提出の資料。調理長は、私が教員を目指していることを応援し、同時に心配してくれていました。
その後、司書のカリキュラムは現実的に時間が取れないことを認識し一旦諦め、教職の講義に専念。
大学4年の教育実習前夜は、嬉しくて眠れませんでした。
辛い夜は数えきれない程あったのに、嬉しくて眠れなかったのは初めてのこと。あと少しで教壇に立てる。

実習先の中学校での教科は社会科、指導教官は1年生担任の野球部顧問。本当に熱血で怖くて優しい男性教員でした。
毎晩9時まで私の授業のダメ出し。でも、必ず最後に言ってくれました。「初めての授業であれだけ出来たら大したものだ。」
絶対に落として終わらない、良いところを一つ伝えてふわっと上げてくれる素晴らしい先生でした。4週間の実習で、生徒達とも仲良くなり、最終日に二人だけになった時に言われた時のこと。

「あなたは教員に向きすぎていて向いていない。この仕事に就いたら、きっと苦しくなるだろう。どうしてかわかるか?人の気持ちが分かりすぎるから。先生さ~、いいもの持ってるんだよ。絶対に潰されるな!今すぐ教員になったら、あなたの良さが失われてしまう気がするよ。この先、沢山の経験を積んで、結婚して、子供を産んで、色々な人に出会って、もっと強くなって、今だとそう思えた時、あなたが見てきた社会というものを、未来の子供達に語ってあげてくれないか。」
これが、指導教官との最後の約束でした。

その当時、恩師は38歳、今の私と同じ年でした。まずは、ここを目標にしていました。足元にも及びません。それでも、恩師の言っていた意味が今ならはっきりわかります。すごく苦労をされている先生でした。他の先生がこっそり教えてくれて分かったこと。

「無難な授業がしたいなら、大学に帰れ!失敗を恐れていたら生徒達とは向き合えないぞ。」
愛情を持って本気で怒り、たった一人の実習生を真剣に育てようとしてくれた人生の恩師です。

中学校社会科と高校地理歴史科の教員免許。私の土台の一つは、熱い指導教官と一緒に作ったもの。