線が太くなる

息子の宿題プリントのサイン欄に、『mommy』と書いておくと、後日担任の先生が、その周りに小さなちょうちょを沢山描いておいてくれました。なんだろうな、先生のセンスの良さを感じるのと、こちらの世界をお花畑のように思ってくれているようで嬉しくなりました。そして、息子がひと言。「今日のたまご教室ね、授業参観だったの。たまちゃんが先生で、ぴよちゃん頑張っていたんだよ。」(ひよこちゃん親子の話、別記事参照。たまに出てくるかもしれないので、良かったら覚えてやってください。)「へえ、授業参観もあるんだね!なんの授業だったの?」「卵を割る練習だよ~。」仲間が出てきたら驚きでしょうよ。そもそもその卵って、たまちゃんが産んだんじゃないか?!たまちゃんが先生なら誰が授業を見に行ったんじゃ!と相変わらずあれこれ思ったものの、息子の世界にいちゃもんつけるのも何だったので、とりあえず偉かったね~と乗っておくことに。担任の先生はこんな世界に気づいてくれているのかもしれないな。一年を通して春、シマエナガのシマちゃんはいつも雪被っているバージョンだけどね。

そんな息子とまたボウリングに行ってきました。その日は、生憎の雨、朝から気圧の変動で癇癪を起してしまい、大変な状況。それでも頑張って薬を飲もうと説得すると、すでにぐずっていたので1時間かかってしまいました。自分もすでに頭がメリメリの状態。ひとつ大きく深呼吸をし、負の感情を出すのではなく、息子の気持ちを少しでも和らげられるように冷静に伝えました。「弱い自分と強い自分、両方持っていていいんだと思う、人間だから。Rの場合、気圧の影響を強く受けた時、弱い自分が顔を出して周りに当たってしまうこともあるの。でもそれはね、Rそのものがそうさせているのではなくて、気圧が原因だと分かっているんだよ。その弱い自分をやっつける為にも薬があると思って、頑張って飲んだらきっと楽になるよ。自分と上手に付き合うって難しい時もあるけど、お母さんとことん付き合うから。」そう言うと、色々な感情が混ざり合ったのか、不甲斐ない自分がこみ上げたのかわっと泣いてしまいました。それでいいんだよ、それを越えられた時、きっとあなたは強くなる。でも、今の辛さ覚えていてね。その痛みは必ず誰かの痛みに届くから。上から目線ではなく、横からあなたの手は届く。そのぬくもりに沢山の人は助けられるでしょう。そんなことを思っていると、最近言われた母の言葉が頭を過って。「それだけ頭痛が酷かったら、かわいそうじゃない。」かわいそうという言葉は好きじゃない、そして思いました。マイナスと捉えるのではなく、プラスに捉えたら自分の心の持ちようが随分変わるのではないかと。心理学で学んだ人格形成。人の人格は遺伝か環境か。とても深いテーマに色々と考えさせられました。ネネちゃんがよく伝えてきて。「Sちんは環境が割。」だと。どうなんだろう、家庭環境は複雑だったけど、外の世界で沢山の光と水をもらい、根を張ることができた。その環境で、自分を見つけられたこと、それが大きかったとも思いたい。ふと息子を見ると、勇気を出して薬を持ち、ぐびっと飲んでくれたことが分かりました。「偉かったね~。これからは心が辛くなってしまう前に飲んでしまおう。いろんな辛さを抱えている人がいるよ。Rだけじゃない。あなたの頭痛は、深い優しさになるって思っているよ。そんな自分を好きでいてあげてね。」そう伝えると、深く頷いてくれました。そして、復活して向かったボウリング場では、溝を上げてもらうと、息子のスコアが116にまで行き、コツを掴むと一気に伸びるなと驚いて。「ボクね、今日は100を超えたかったの。そうしたらママの104も超えてくれて自分でも驚いた!」「目標を持つって大切なことだね。人は人、前の自分を超えられるかが大事なことのような気もするよ。今日掴んだものを覚えていて。」いい時間を過ごせたボウリング、息子の根は張り始めただろうか。

帰りの電車の中、大きなことを思い出して。ネネちゃんと私の下にもう一人の命を母が授かっていたこと、おじいちゃんは知らなかっただろうと。祖父は男の子を切望していた、そして、戦地で目の前で打たれて亡くなっていった戦友を見て、命の重さと尊さが刻み込まれていた。そんな中で、産まない選択に納得したとは思えなくて。だったらおばあちゃんはどうか。その時すでに乳がんで闘病、母は父にだけ相談して二人で決めたのではないかと思いました。そんな我が家の歴史が変わり、小学生になった頃、子供会で廃品回収の時期がやってきて。日曜日にみんなで集まり、役員のおばさん達と手分けをして新聞紙を集めに行こうとしていた時、ご近所で結婚されるおうちがあって、菓子拾いがあるからみんな行っておいでという話になり、お仕事そっちのけで言われるがまま出向きました。すると、和装の目を見張るような綺麗なお嫁さんが車に向かってゆっくりと歩いていく姿を目にし、その控えめな姿に嫁入りとはこういうことを言うのだと、小学生の私は感動。そして、空気が一気に変わり、ごった返した人だかりの二階から沢山のお菓子が投げ込まれました。よく見ると、おじいちゃん!そう言えば朝、菓子投げに行くと言っていたような。何人かの方と一緒に投げている姿が見え、おじいちゃんこっち~と叫ぶと、私に気づいたのかどうか分からなかったものの段ボールごと投げてきたので、それがたまたまおでこに当たり、周りにいた友達が大爆笑。しかも中身は空だし!と思いながらも小学生にとってパラダイスのような時間に、必死になって取りました。ようやく嵐のようなひとときは終わり、みんなで笑い合い、廃品回収も無事に終了。ネネちゃんと戦利品を数え、若干割れたお菓子を自宅で食べる楽しい一日でした。その時のおじいちゃんは、なんだか逞しく見えて。この土地に生き、築いてきた人間関係がそこにはあるのだと思いました。それから10年程経った頃、父は家を出て行きました。そしてある時、知らないご年配の男性が自宅の縁側に登場し、祖父との会話が聞こえてきて。「お宅の婿、出て行ったらしいな。」あざ笑うかのような嫌なものの言い方に小さくなる祖父の背中が見えて、強い怒りがこみ上げてきました。これ以上、おじいちゃんの心を踏みにじるな。私は男の子じゃない、囲碁を一緒にさすこともできない、白と黒ならオセロの方がいい、でも相撲や甲子園はいつもおじいちゃんと私を繋げてくれていて、あなたに何が分かるんですかと言ってしまおうかと思いました。毎年楽しみにしていた老人会の旅行も噂されるのが嫌で行かなくなった、あなたのような人がいるからですよ、どんな思いでいるか分かりますかと言葉が出そうになったものの、視点を変えようと思い、違うことを伝えました。目の前にいる人をどうこうできる訳じゃない、それよりも大事なのはこちらの世界なのではないかと。「おじいちゃん、また戦争の話を聞かせてね。」そう言うと、祖父が微笑んでくれたことが分かり、ほっとしました。菓子投げをしていた威勢のいいおじいちゃん、背中を小さく丸めて俯いていたおじいちゃん。どちらも私の知っている祖父で、本当に強くないと人は守れないといろんな場面で思って、それでも一番思い出すのは一緒に過ごした優しい時間でした。祖父と共にいた時間を思い出す度、その線が太くなっていくようで。その線を束ねて、太い幹にしていく、そして祖母が残してくれたたった一輪の桜を咲かせたいと思っています。未来へ届け、この気持ち。