『掘り下げる勇気』でも書いたように、本を読みながら祖父のことを色々と思い出しています。私の大失態は、ボイスレコーダーなどに、祖父の記録を残さなかったこと。
話を聞き、様子を誰よりも見てきた自分の記憶だけが頼りです。
祖父がシベリアからぎりぎりの状態で日本に戻ってきてから、親戚同士の勧めでお見合いのような形をとり、祖母と結婚しました。
祖母の父、私の曽祖父は立派な軍人さんで、祖母の家にはお手伝いさんがいたよう。6人姉妹で5人が女性の中で、祖母だけがなかなか結婚できずにいました。理由は、小柄で体が弱かったから。
そんな時、祖父が帰還し、結婚話が持ち上がったとか。
祖父は、それからすぐに警察官になりました。母から聞いた話なので話が前後しているかもしれないのですが、警察官の仕事が嫌になり、家族に相談もなく辞めて、その後かなり荒れたと。
その話を母から聞いた時、「おじいちゃん、気が短いからね~。」なんて軽く話していたのですが、今思えば、祖父は戦地でのトラウマ(心的外傷)を抱えていて、国の為に働く警察官という仕事をすることで、色々なことを思い出してしまったのではないかと、このあたりが引っ掛かるように。
家財道具も全部質屋に出し、そのお金でギャンブルをし、祖母が内職をして母を全力で守っていたと聞いています。警察官という仕事が、祖父にとってとても苦しいものであったことは間違いないと思っています。その時、初めて自分が抱えているものの大きさに気付いたのかもしれません。
時々見ているアメリカのドラマ『グレイズ・アナトミー 恋の解剖学』で、米軍の医療チームにいた医師が戦地で兵士を助け、自分も命の危険にさらされ、アメリカの病院で働くようになってからも、数々のトラウマと戦っている姿を目の当たりにしました。寝る前に、天井のシーリングファンを見ると、米軍機のプロペラを思い起こし、眠れず、どっちが現実かわからなくなるような苦悩。
戦地で受けた心の傷は相当なもので、心のケアがされないまま日常を送ろうとすると、余計に苦しむことになるのかなと、改めて考えさせられました。
祖父の荒れ具合は、何度も目撃し、怒っているのだけど、なぜかそこに悲しみのようなものを感じていて。どうにもならない気持ちのやり場に、泣いているようでした。
私が小学生の時、美容院で髪の毛を切り、二つに分けて三つ編みをしてもらって帰ってくると、誰も気づかないのに祖父だけは、「Sちゃん、可愛いなあ。」と髪の毛を触りながら褒めてくれました。
社会人になり、祖父がモナカのアイスを買ってくると私が家にいることに気づき、丸ごと渡そうとしました。「それ、おじいちゃんのだからいいよ!」と言うと、半分に割って大きいのを必ず私に、小さいのを自分で食べていました。それは、どんなに小さいお饅頭でも同じ。そうやって、本当に少ない食料でも戦地で仲間と分け合っていたのだと思います。これが祖父の本来の姿。
生まれてから20代前半までずっと同居。それは、私には父のような存在が二人いたということ。
だから、傷みも喜びも、見落としている何かがあるとするなら知りたい。周りに誤解をされていたけど、優しい人だと誰よりも知っているから。