想いは届いていく

引っ越しの翌日は、プログラマーのMさんが手伝いに来てくれたおかげで、ネット環境がスムーズに繋がり、とても助かりました。その後、両親と息子が登場しご挨拶。彼が用意してくれていた9歳のお誕生日プレゼントは、『あつまれ どうぶつの森』のゲームで、息子は大喜び。今回は両親に私の仕事を詳細に説明してもらう為、三人を残し、二人で買い物に出ました。すると、自転車をこぎながら息子がぽつり。「ボクね、どうぶつの森のゲームがほしかったの。だから本当に嬉しかった。学校で流行っていて、話についていけなかったの。」ああ、ごめんね。引っ越しが決まり、弁護士さんとのことも同時進行になり、全然余裕がなくなった私を肌で感じていた息子。今はママにわがままを言っちゃいけない時、そうやってぐっと我慢をしていたことが分かり、胸が詰まりました。「R、最近お母さんに余裕がなくて、気づいてあげられなくてごめんね。Mさんがプレゼントしてくれて本当に良かった。何でも願いが叶うわけではないけど、ほしいものややりたいことがあったらお母さんに伝えてね。」そう言うと、かすかに頷いてくれました。子供に気を使わせちゃいけないな。純粋な子供の気持ちを救ってくれたMさん、男同士の湧き水は私の知らない所で繋がっていた。

それから、二人でケーキを買い、自宅に戻ると母はMさんの話を聞き、そっと泣いてくれていました。これまでに受けた傷、そしてなぜ私が書いているのか、彼女なりに何かが繋がってくれたんだろうなと。そして、息子とMさんの合同お誕生日会&引っ越し祝い。5人で盛り上がり、楽しい時間が流れました。後日両親の印象を彼に聞いてみると、母は天真爛漫で、父は思っていた以上に穏和だったということ。なるほどなるほど。ここまでの川の流れを記事の中で感じ取っていたMさん、それぞれの川が交わった時の感動を覚えてくれていました。そう、新居は本流に乗ったのだと。人間臭いひとつの家族が、彼の目にどう映ったのだろう。生きることの難しさや美しさ、もっといろんなものがMさんの中に残ってくれていたらいいなと思った優しい深夜のお別れ。5人で乾杯したチンという音は、この一年ずっと私の中で響き渡るだろう。ここからまた始まる。

引っ越し前に姉と会った時、伝えてくれました。「SちんもR君も、とにかく繊細なの。今回離婚をすることで、色んなことが気になってしまうと思うんだ。周りの目が特に敏感な二人だから、もうオーストラリアに行っちゃいなよ。そうしたら名字が変わっても気にならないでしょ。きっとファーストネームで呼ばれるし。」あまりにも突拍子もない話かと思いきや、実は密かに私も考えていたことでした。不動産関係のHさんに、宝くじで10億当たったらどうします?と聞かれた時、真っ先に頭を過ったのはホストママの顔でした。オーストラリアにも、心のお母さんがいた。だったら、息子と二人で近くに住んで向こうで学ばせるのもひとつではないかと。私はWi-Fiさえ繋がればどこでも書ける、あの環境なら息子も伸び伸びいられる気がして、それを思っただけで嬉しくなったことを思い出しました。「今は現実的じゃないけど、いつか短期留学でもさせてあげられたらなって思っているよ。Rもオーストラリアの国民性に合っていると思う。」そう伝えると、微笑んでくれました。「私ね、ネネちゃんが関空で働いていた時に話してくれた内容が忘れられないでいるの。“チェックインカウンターで、修学旅行生の子達が並ぶ中で、担任の先生がささっと前に来て、さりげなく一人の子の色が違うパスポートを見せて伝えてくれた。『この子だけ国籍が違うパスポートなんです。みんなに気づかれないようにチェックインさせてもらえませんか?』って。必死に生徒を守ろうとする先生の気持ちを感じた”って話してくれて、泣きそうになったよ。」教職課程を学び始めた頃に聞いた話、そんな先生になりたいなって思った。「そんなこともあったね。Sちんさ、名字が気になるなら、だめ元で先生に聞いてみたら?今って多様化しているから、色んなことが柔軟になっているかもしれないよ。」「そうだね、明日学区外の申請で、教育委員会の上の方との面談があるの。その時に聞いてみるよ。」「うん、なるようになるって。だめだったらまた考えればいいよ。流れに乗っていこっ。」そう言って笑ってくれました。ネネちゃんと私の合言葉、“為せば成る”を信じるよ。

そして、面談の日。若干緊張気味で名字の件を伝えてみました。「離婚に至った場合、私の旧姓に合わせ息子も同じ名字にしたいのですが、学校ですぐに知れ渡ることを心配しています。なので、もし可能なら戸籍上は旧姓で、学校では今の名字を名乗ることをしたいのですが、問題ないですか?」「はい、学校に伝えて頂ければ通称を使って頂いても構いません。こちらでもご事情は聞いたので、何かありましたら学校にまた相談してください。」こんなに柔軟に対応してもらえるんだ、ネネちゃんやったよ。大きな流れに息子と乗った、それはいかだかもしれない。でも、沈没する気がしない。いつか、ゴールドコーストの綺麗な海に辿り着くために、前を向く。
なぜ、高校の公民科の教員免許を取らなかったのか?それはもしかしたら、また未来の学生さん達と一緒に学ぶためだったのかもしれないと思えてきて。学校が、教育委員会が見えないところでこんなにも助けてくれた、私達親子を。そのことを、心を込めて届けに行くために、一日一日を生きることにする。