想像を楽しむこと

週末は、息子と室内遊園地へ。大きな滑り台を一緒に滑り、マリオカートをやって、メダルゲームを楽しみ、二人で発散しました。が、連日の送迎や部屋の整理で疲れも溜まっていたので、早く切り上げようと思いついた一つの提案。「ねえ、今日は早めに帰ってマックに行かない?」「いいよっ。今おもちゃ何だろうね。」そう言ってあっさり乗ってくれたので、ほっとしながら近くのマックへ。すると、ハッピーセットはムーミンシリーズだったので嬉しくなってしまい、食べながら二人で大盛り上がり。そういえば、中学時代、色白でややふっくらした男子に、私がフローレンみたいだと勝手に盛り上がると、すっかり彼はその日以来女子からフローレンと呼ばれてしまったことがありました。柔道部のフローレン、ムーミンキャラを見る度、中学時代を思い出してくれているだろうか。一緒に議員をやれて楽しかったね。

そして今朝、息子と一緒に学校へ向かっていると、学区内に入り交差点で会ったのは同じクラスの男の子でした。少し前に一緒に帰ってくれたので、こちらのことを覚えていてご挨拶。その子は以前、掃除中に息子の机を運ぶ際、たまたまテープが落ちてしまい、そのことをわざわざ電話で担任の先生が説明してくれた子でした。おもちつきのイベント帰り、偶然その親子に会い、お母さんが声をかけてくれて。「あの~、R君のお母さんですか?前にうちの子が、机を運ぶ時にテープを壊してしまったみたいで。本当にすみませんでした。」「いえいえ、とんでもないです。本当に全然気になさらないでくださいね。ご丁寧にありがとうございます。」そう伝えると、安心してくれたことが伝わり、優しい時間が流れました。担任の先生が繋げてくれたご縁、その息子君と往復学校に通えるなんてね。学区内に入れば、もうそこはホーム。学区外のエリアだけ送迎すればいいかもしれないなと勝手にルールを決めてしまった嬉しい朝のひとときでした。息子の周りにも人がいてくれる、彼の持つ力をもっと信じることにしよう。

その後、ようやく転がり込んだシェアオフィスで、最近母と交わした会話が思い出されました。「お姉ちゃんと直接会ったんでしょ。お母さんが孫達に会いたがっていること、伝えてくれた反応はどうだった?」「私から連絡するって言っていたよ。ただ、それはお姉ちゃんのペースがあるから、そっと待っていてくれたらと思うよ。でね、孫達が先ではだめなんだよ。まずはお姉ちゃんが先であってほしい。お姉ちゃんが、お母さんから大切にしてもらっているという実感が大事なの。まずはそこだよ。久しぶりに会う時は、私がいない方がいいのかもしれない。お姉ちゃんは、私と比較するお母さんが余計に辛かったのだと思う。」「そんなつもりはなかったよ。どちらも大事だったから。」・・・言いたいことは山のようにあるけど、緩い変化球でストライクを狙え!「お母さんはそのつもりでも、精神的に病んでいた時のことは覚えていないと思うんだ。だから、お姉ちゃんは苦しかったし、自分を見てほしかったんだと思う。これからはお姉ちゃんの気持ちが一番で、その次に孫達へっていう気持ちでいてほしい。そうしたらきっと会える日が来るよ。」そう伝えると、半泣きして届けてくれました。「あなたは、いつもお母さんの気持ちも思い、全体を見てくれているからよく分かった。お姉ちゃんのタイミングを気長に待つわ。」母を傷つけないように言葉を選び、トーンもゆっくりと、あなたを応援しているけど、お姉ちゃんの苦しみも分かってほしいという願いを込めて投げた球でした。そこにはほんの少し、自分の痛みも混じっていて。この会話をネネちゃんが知ったらまたブチ切れるかな。「Sちんが大変な時に、自分の欲求をぶちまけるな!!」って。それを思うとなんだか嬉しくなって、いつか二人が対面し、泣いた後に笑ってくれたらと思いました。その姿を奥底で感じた時、自分の傷もまた薄れていくのかもしれないな。

息子の誕生日である立春に、髪の毛をばっさり切りました。軽やかになりたくて。すっきりした自分の表情や髪形を大きな鏡で見た時、傷んだ鳥はもう少し高く飛べる気がしました。少しずつ重しを置いて、空へ。引っ越し前、慌ただしくしている中で、息子がぽつりと伝えてきました。「ママは、もしかしたら一人暮らしがしたかったの?」と。その言葉が何を意味しているのかすぐに分かりました。パパとのお別れだけでなく、本当はボクとも離れて、ママはひとりになりたいんじゃないかと。不安でいっぱいの気持ちをぐっと堪えて、それでもようやく言葉にしてくれたことが分かり、抱きしめながら伝えました。「お母さんは、Rと一緒にいられてとても幸せ。あなたとの新しい生活をとても楽しみにしているよ。いつか、Rが一人暮らしをしたいって思える時まで、仲良く暮らせたらと思っているよ。」「ボク、ママと離れたくないからそばにいる。」あらあら、いつか強引にでも追い出した方がいいのかしら。その言葉の一割は、ママを一人にはさせたくないという気持ちが込められていたような気がして、堪らない気持ちになりました。お母さんね、あなたの優しさが胸にあるから安心して旅立ちなさい、心の中で呟きそっとハグした温かいひとときでした。

パソコンのディスプレイの右下にある小さな時計、そこを見てお迎えの時間を確認しながら言葉を紡いでいく。いつかそんなこともなくなり、もっと自由な時間がやってくる。そんな時、ふと右下の時計を見て、こんな日々が途轍もなく懐かしく優しく思い出される。母親でいるということ、父親の分まで背負うのは時に難しいこともあって、重責よりも、母親でいることをとことん楽しんでしまえたらなんて、開き直りたくもなっていて。ランドセル、野球のユニフォーム、中学や高校の制服、ちょっと茶髪になった今どきの大学生なんてやっちゃって、仕事の制服を着て、結婚しタキシードを着る姿を想像しただけで、今日という日を大切にしたくなりました。あなたのお母さんでいられて良かった、そんな言葉をいつ伝えることになるだろう。