奇跡のアラフォーは遠いけど

今年もやってきたお誕生月。毎年9月になると、バースデーブルーが待っている訳なのですが、今回は何か違う?!40歳が目まぐるしく過ぎ去っていったような気がして、それでもとても大きな一年だったと充実感もあるので、気持ちよく年を重ねることができそうです。

息子のことで受けたスクールカウンセラーの方との面談。時が流れ、その時の会話が何度も頭の中で再生され、自分の中に落とし込んだ後、担任の先生とお話しをさせて頂く中で、お礼の伝言をお願いしました。「はい、伝えておきますね。それって、真心ですよね。」なんだか急にそのような単語を言われ、驚いたと共に、少ない言葉の中でこちらの真意を深く感じてくれたのだと思いました。その時感じたこと、その場ではまだまだ頭の中で消化するだけで精一杯。でも振り返り、一つ一つの言葉の有難さを噛み締め、それをカウンセラーの先生に改めて伝えるということは、またその先生の自信になってくれるのではないか、同じようなケースのお母さんと対面した時、また一つ言葉を重ねてくれるのではないか、そんな気持ちを込めて担任の先生に伝えたお礼を、“真心”という言葉に集約してくれたその想いに胸がいっぱいでした。そこまで多くを語らなくても、分かる人には分かる。でもね、届けたいんだ、沢山の言葉を尽くして。ありがとうの言葉は、一つの表現では収まらないから。

以前、仲良しのKちゃんが私に相談事があった時に、忙しくてなかなか会えない中で、野球チームで一緒のS君のお母さんとランチをする約束をして、その途中で彼女に偶然会いました。Kちゃんも私に会いたがってくれていたのに、悪いことしたなと思い動揺を隠しながら、近いうちに会おうねと笑ってお別れ。明らかに不自然だったかなと思っていると、夜になり彼女からメッセージが入りました。「私のことは気にしないでね。偶然会って気を使わせてしまってごめんね。Sさんの都合のいい時で大丈夫だよ。」ああ、ここまで気を使わせてしまったことへの反省と、言葉の裏側にあるものまで全部分かってくれているそんな友達の心の広さに助けられました。彼女とは、楽しいことよりも、辛いことを共有してきた時間の方が長かった、だからこそ分かるお互いの気持ち。本当はこんなことを思っているんだ、でも負担をかけたらいけない、でもきっと分かってくれる、そんなことを繰り返して今があるのだと思いました。休校が明けても、なかなか予定が合わない、それでもいつも心配しているし、大切に思っているよ。もう言葉にしなくても分かるんだ。

名古屋横浜間で、遠距離恋愛をしていた20代。その人がきっかけで関東へ。大きな、あまりにも大きな決断でした。そこには語り尽くせない程の葛藤がありました。その彼に、アメリカ赴任の話が。「俺は一緒に行きたい。仕事が生きがいだから、子供はいらない。でも、そばにいてほしいんだ。」捉え方次第ではシンデレラストーリー。横浜に来ることだけでも人生の転機だったのに、全く知らない文化の違う場所へ。心機一転頑張れるのではないか。そんな気持ちよりも、譲れなかったもの。それは、自分の子供を持つことでした。体の弱い私が持てるとは限らない、それでもいきなり遮断されることの方が辛く、何度も喧嘩して、本気でぶつかって、沢山泣いて、別れを決断しました。「S、俺にとって人生で一番幸せな時間だった。こっちに来てくれてありがとう。名古屋に戻らないのか?」「私には戻る場所はない。それは実家を出た時から決めていたこと。辛い所から連れ出してくれたことに感謝しているよ。私は大丈夫、一人には慣れているから。いい仕事してね。」あまりにも苦しくて、優しい別れでした。進むべき方向が違う、それを分かっていて一緒に歩むことはできない。お互いにとって、最善の道を選んだことに何一つ後悔はありませんでした。

もうこの話は書かないよ。実際にあったことだけど、私にはもうなかったこと。なんで関東に来たのか、そのきっかけを何一つ書いていなかったので、格好いいアラフォーになる為に、削除した記憶を一度だけ掘り起こしてみました。道が二つ用意されている、どちらかは幸せの近道かもしれない、もしかしたら片方は泥だらけの道かもしれない。それが分かっていても、きっと泥だらけの道を選ぶ。ちょっと私おいしいなと強がりを言いながら。その先に待っている、小さくても温かいものを自分の手で掴むまで。

格好良くなくていい、汚れてもいい、泣き腫らして不細工になってもいい、そんな姿を見て笑ってくれる人達がいるから。それが私の40年。また一つ年を重ねるよ。