慌ただしく朝の準備をしていた週末、母から一本のメッセージが入りました。『お父さん、がんだった』と。検査入院してから2週間、ようやく結果が出て、どこかでそんな予感がしていたのでショックと驚きと何とも言えない感情が渦巻きました。去年の秋、二人で山登りを始めていた両親、当日の朝になって急に父が私と息子も誘ったらどうかと母に言ったそう。しかも本当に出かける玄関先でのことだったので、母も慌てたのだとか。父にはそういった気まぐれな所がある、でもその時何とも言えない違和感があり、検査の結果が良くなかったと後から知った時、頭の中で繋がっていきました。あの時すでに自分の体に異変があった、何か良くないことが起きていると直感で思った父は、急に娘と孫に会いたくなったのではないか。そして、4人でランチをした時、父が妙に息子に優しくて、何か自分の寿命を感じてのことだったのかもしれないなと思うとちょっと切なくて。相変わらず、感情を堪えきれない母はだらだらっと長いメッセージを送ってきたものの、そこにはいかにも父らしいエピソードが盛り込まれていました。検査も入院もずっと一緒について行っていたけど、退院後、今回の検査結果は頑なに一人で行くと言い張ったのだと。覚悟はしていて、結果を聞いた後一人になりたかったんだな、父の気持ちが手に取るように分かり、こみ上げてきたのは感謝でした。もう本当にだめだめな人なのだけど、養子に来てくれてありがとう、今の想いは私の言葉であり気持ちなのだけど、きっと祖父母の心そのもの。だから今日は父とのサイドストーリーを。
私が生まれた4か月後に祖母の乳がんは発覚し、物心がついた時にはすでに闘病生活が始まっていました。母のお兄ちゃんは、生後一週間で亡くなったから家には仏壇があるのだと教えてもらい、幼い時から死生観というものを沢山考えてきたような気がしています。死と隣り合わせだった祖母の生命力はとても強く、時に優しく、そばにいられた毎日がとても大切でした。一週間で我が子を亡くしたおばあちゃん、その後母が生まれ、父が名字を変えてまでうちに来てくれると分かった時は嬉しかっただろうなと。父の存在は、どこかで空いていた祖母の心の穴を埋めてくれたのではないか、今になって改めて思いました。おばあちゃんは、みんなに見送られ他界。岐阜に単身赴任をしていた父の元へ、祖父を残して女性三人が行くことになり、それぞれ慣れない生活が待っていて。そんな中、銀行のお客さんからもらったとかでナゴヤ球場のチケットをもらう機会も増え、父との応援が待っていました。それは、また名古屋に戻ってきてからも変わらず、大きな青いメガホンを持って乗った名鉄電車。時に、小学生の私に「今日試合があるんだね!中日応援してきてね!」と知らないおじさんに声をかけられ、父と一緒に微笑んだことも。母から、がんだったとメッセージが入った時、真っ先に浮かんだのは父と過ごしたナゴヤ球場、ドラゴンズブルーでした。その後、夫婦仲が悪くなっても、子供の頃に連れて行ってくれた図書館は私のオアシスで、どの図書館も心を落ち着かせてくれました。父の頭のキレはネネちゃんが持っていった、私は要領が悪いけど、野球と本と社会科が好きなのはきっと父からもらったもので、それは自分の核となる部分で大切にしていました。私の結婚式前、父は心筋梗塞で入院。まだ軽快に動くのも辛い中、一緒にバージンロードを歩いてくれて。「お父さん、ゆっくり歩いてね。」教会の扉が開く前に、交わした約束でした。それは、父の体を気にしてのことと、ひとつひとつを自分が噛み締めたかったから。右腕から伝わるぬくもりが堪らなかった、とっても。その先に、ネネちゃんの顔が視界に入り、その表情が優しさに溢れていて涙腺崩壊寸前でした。大学費用を若い彼女に使った父、本当にこういう人が世の中にいるんだな、それがたまたま自分の父親だっただけのことなんだな、傷ついたことは数知れず。それでも、ここ一番という時には助けてくれました。私が卵巣を摘出することになった時、「何でも言え。」と言ってくれて、息子を守ろうと強くあろうとする私に気づいた父の発言であることは分かっていて、だからこそ、教会から息子と飛び立ったけど、父を助ける為にもう一度そばに行こうと思います。とても元気玉をぶつける気にもなれず、ただただ治療がうまくいくことを願おうと思って。そして、いざとなったらサポートに行くと本人にメッセージを送ると返信がありました。『体はなんともない。食事も普通だから問題なし。心配かけます。』前日、プログラマーのMさんに偶然会った時、「ひどい。」と笑って言うたやないか!!その言葉が本心、Sは子供の為に頑張れ、わしのことはいいから。これが父の気持ちであることを知ってるよ。
「Sちんさ、あのお父さんとなんで話が続くの?私は間が持たないんだよ~。」とネネちゃんに何度言われたことか。それは多分、野球や最近のニュースの話をしているから。そして、父との間は嫌いじゃない。ひとつのストライクの後、またピッチャーの元にボールが返される時の間、そんな時間も味わっているんだ。随分前、祖母の弟が父と偶然名古屋の喫茶店で会うと、ポロッとこぼしたらしい。「Sにはそばにいてほしい。」と。後からこっそり教えてもらいました。父からそんなことを言われたこともない。でも、忘れたことはない言葉でした。父とはきっとずっと遠投が続いている。おじいちゃんとおばあちゃん、お父さんが養子に入ってくれてめちゃくちゃ嬉しかったんだよ。その想いを返したい、だから私なりのやり方でサポートしようと思います。父のストーリーを長く、そして濃くできるかは本人次第?!ドラゴンズの優勝、見届けようよ。