プラスの変化

数か月前から全く治らない顎関節症。悪化の一途を辿っているので、苦手なマウスピースをトライしてみることにしました。歯科の先生から、プラスチックの匂いがだめですぐに断念した患者さんがいたという話を以前してもらい、私もその可能性が高いですと伝えていたものの、そんなことを言っていられない局面に来たのでおとなしく病院へ向かうことに。そして、型を取ってもらい、再度受け取りに行ってきました。何度も微調整をして、ようやく帰宅。深夜になり、一人になって付けてみるとあまり違和感がなくて驚きました。その時頭を過ったのは、小学3年生の時にかみ合わせが悪くてマウスピースを付けることになった息子の頑張る姿でした。敏感な彼は、異物が口の中に入ることもプラスチックの匂いもだめ。それが分かっていたので、自分の経験を伝えることに。お母さんも同じくらいの年齢の時にやっていたこと、でも随分進化して形も楽なものになったこと、寝付くまでトントンしてそばにいるよと伝えると、頑張ってみると言ってくれました。すると本人の努力もあり、半年でかみ合わせが直っていて二人で大喜び。息子が頑張ったことを私がとっとと諦める訳にはいかないなと思っていると、プラスチックの匂いがせず意外とフィットして驚きました。過去の経験が自分を助けてくれたのか?!プラセボ効果、ここにもあったようです。何日続けられるかはこうご期待!

翌日は父の誕生日で、両親を久しぶりに招くことにしました。朝から、息子と串揚げの準備で大忙し。二人で沢山の材料を串に刺し、衣をつけて仕込みは完了。そして、父が先に来てその5分後に母がやってきました。時間差があったということは、別々のタイミングで家を出たということ、相変わらずかみ合っていないことはその行動で読めてしまって。そして、母がやってくるとケーキとイチゴを渡され、高級なイチゴだしこれ出してと横柄な態度で言われたので、とりあえず伝えることにしました。焼き菓子やイチゴをこちらでも用意してあるよと。すると、それを聞いた母は、これは生ものだしこっちを出して、あなたのは持って帰るからいいわよ!と言われ、会った途端がっくり来てしまい、それでもなんとか気持ちを立て直し、串揚げを始めました。母がトイレに行った時、さりげなく父の容体を聞くと、まだ診療方針を決める前の段階だということ。後から戻ってきた母が話に入り、お父さん手術が怖くてまだ様子を見ているみたいと話すので、「小学生か!!」と思いっきり父に突っ込んでしまいました。これはね、親族一同私にしか言えないセリフだなとも思って。父との関係性もそう、そして卵巣破裂寸前までいった自分の経験がある。あの時の後悔も、医療関係者の方達に助けられた感謝も心身ともに沁みついていました。MRIを撮った後、初めて会った婦人科の先生。検査結果が良くなかったこと、そして手術は避けられないからそれをいつにするか一度持って帰ってまた相談しようと言われました。持って帰る必要はなくて、今手術日を決めさせてください、小学2年生の子供がいるんです。悪い所を早く治して戻りたいですと懇願すると、その場で内線電話をかけ手術日を決めてくれました。その時すでに激痛が走っていて。それは、後悔の痛みでもありました。手術日当日、寝れない夜を過ごし、手術着に着替え点滴を運びながら看護士さんと共に先生の前へ。白衣ではなくオペの格好をした先生がとても逞しく見えました。手術は成功、そして退院前の説明で微笑みながら伝えてくれて。「卵巣破裂寸前、紙一重だった。よく痛みに耐えたね。」と。あの時、先生に泣きついていなかったら1か月手術は遅れ、破裂していた、本当にぎりぎりの所をすり抜けて、沢山の方達の助けの中で今があるんだなと。それを絶対に忘れたらいけない、だからこその父への突っ込みでした。とりあえず球は投げた、後は本人がどう選択するか、それを見守ろうと思います。

串揚げをわいわい食べ、母のケーキを用意し、両親の誕生日を祝い、「どうぞ。」とこちらが言うと母がひと言。「これ、私が買ってきたケーキなのよ。あなたがどうぞって言ってどうするのよ。」そして、撮った写真の顔も小さいと文句を言われてしまいました。その時、シェアオフィスで出会ったミルキーのKさんが伝えてくれた言葉を思い出して。「僕、会社のストレスで胃がんになったんです。ストレスって本当に病気の元なんですよ。○○さん、卵巣腫瘍を摘出してホルモン治療に入ったから大丈夫ですって言ってくれたけど、ストレスを溜めていたら今度は胃に来てしまうから。絶対に無理だけはしないでくださいね。」ありがとうKさん。実家を思い切って出た20代半ば、関東に来て間もなく、思いっきりトイレで吐いてしまい急性胃炎に。堪えていたものがどっと出たのだと思いました。逆に言えば、実家では張り詰めて麻痺させていたのだろうと。体は正直だな。

ケーキを食べ終わり、父が帰り支度を始めたので玄関まで息子と見送りました。「お父さん、お大事にね!」「おう、ありがとね~。ご馳走さま~。」そう言って笑顔で帰っていきました。このひと言で息子と報われるんだよな。そして、母はソファで寛ぎ、夜までいる感じだったので困惑。息子は母に会った次の日に調子を崩してしまうこともあり、離れたそうにしていたので、角が立たないように予定があるとやんわり伝えたものの、気に入らなくて怒って帰っていってしまいました。息子は呆れ、どっと疲れてしまったよう。「R、正直お母さんも凹んでしまったけど、朝から準備を手伝ってくれてありがとう。とっても助かったよ。きっとおじいちゃんには届いていたと思う。」そう伝えると、少しほっとしたのか、公園でラジコンがやりたいと言い出し、二人で遠い公園まで向かいました。大きな空の下、ふと思って。2時間でこんなにすり減って、実家で過ごした何十年もの期間一体どれだけの思いの中にいたんだろうなと。「Sちんはお母さんのコップをいつも満たそうと頑張ってしまうの。その時は一杯になったように見えるけど、底には穴が空いていてどれだけSちんが満たしてもすぐに空っぽになる。その繰り返しだからSが疲弊するだけなんだよ。現実を見るのは辛いこともある、でもね、Sちんの優しさは優しさを向けてくれた人に使ってあげてほしいよ。」ネネちゃんが何度も伝えてくれた言葉が、心に響いた。沢山の人達が、空っぽになりそうな自分のコップを満たしてくれていたんだなと。だから、萎れてしまいそうな時もここにいられるんだな、そのことをどんな時も忘れないでいたいと思いました。見上げた空は快晴、涙でかすんだ綺麗な空の色、届いていますか。