ある土曜日

今日は、朝から広報委員会でコミュニティセンターへ。前日に委員長から個別にLINEが入り、『市役所で開催された広報誌の作り方研修の内容をお話して頂くので、心の準備をお願いします。』という可愛らしい絵文字付き。そして、グループLINEには業者さんとのメールで分からない箇所があるのでアドレスを良かったら教えてくださいと書かれていたので、返信をすると、そこからキャッチボールが始まりました。こちらがなんとなく理解したので、ほっとしてくれて、本当に可愛らしい方だなとどこまでも癒されて。“誰が”ではなく“みんな”で頑張る、そう決めたから、気づいた人が気づいたタイミングで、やれる人がやれる時にできたら大きな力になっていくよね。そう思いながら、メールの説明の為に相棒のノートパソコンを持参。そして、お約束通り市役所での話を共有し、タイトなスケジュールでの入稿の為、みんなが意見を出し合い嬉しくなりました。雰囲気が、大学図書館にいた頃に似ているんだな。ああでもないこうでもないと言っている時間から生み出されるもの。笑い合い、時に悩み、一本の道ができていく。3月の解散が、切なくなりそうだよ。

そんな感慨にふけっていると、委員長から全然関係ない話が飛び出して。「私、○○先生が家庭訪問に来てくれた時、栄養相談をされてしまって。」と話してくれて一同大爆笑。もうね、私のイメージでは看護士さんでしかなくて。いつか打ち明けてくれるのを楽しみに待とうと思います。すると、また一人の温かい6年生のお母さんが、その先生がご結婚をされた時に、私もプライベートの話を散々聞かされました!と畳みかけてくれるので、本題から反れながらも、和やかな時間が続きました。それでもきっちり2時間で話はまとまり、チームワークの良さに感激。7人のメンバーで作った広報誌を、学校の皆にも地域の皆さんにも届けるんだ。言葉を、写真を、そして想いを広げるために。

そして、解散後、シェアオフィスに来ると、久しぶりに広報のお仕事をされていたMさんに会うことができました。「お久しぶりです!お元気でしたか?」と声をかけると満面の笑みで喜んでくれて。「はい!僕、シェアオフィスに来ても広報の仕事をしていて、あまり受付には入れていないんです。」「そうだったんですね。今日お会いできて良かったです。ゆるりと頑張ってください。」そう伝えると言ってくれました。「いつも声をかけてもらえて嬉しいです。○○さんの調子はどうですか?」と。「低気圧で時々やられます。」と笑って話すと穏和な雰囲気で気持ちを届けてくれて。「健康が何よりです。本当に気を付けてくださいね。」と言われ、無意識の間に張り詰めていた肩の力がふと抜けたようでした。このひと言なんだな。それを知ってくれている人。広報のお仕事をされながら、挫けそうなラガーマン達を沢山見てきたのではないかと思いました。短い言葉にあたたかい優しさがあって。彼らしい激励、そんな一面が垣間見えた時に信頼の深さが増すのかなと感じました。
嬉しい流れのまま、デスクに座り、ゆっくりと流れる雲を見ていたら、やりたいことが明確になっていくようで。大学で心理学を学べる日がきたら、カウンセラーを目指している学生さん達にカウンセリングをしてもらえないかなと。自分が練習台になる、でも気が付いたら立場が逆転していて笑い転げる日がイメージでき、微笑ましくなりました。姉の家に母が子守りに行っていた数年前。義兄がアメリカ出張の時は泊まりで行き、月曜日から来てもらい木曜日には必ず喧嘩をしてしまうというお決まりのパターンでした。「S、少し聞いてもらえる?お母さんが来てくれて有難いんだけど、ちょっとしたことでイラっとしてしまうから、たまりにたまったものがどうしても木曜日に爆発してしまうんだよ。」「だったらこれから水曜日に帰ってもらったら?ありがとうって思えるあたりで別れた方がいいんだよ。長くいると、子守りをしてくれているお母さんから、昔のお母さんをお姉ちゃんは思い出して辛くなってしまう気持ちが潜在的にあるから、何かの拍子に出てしまうと思うんだ。どっちが悪いとかじゃなくて、いい距離感が必要な気がするよ。」「あんたさ、人のことは良く見えるのになんで自分のことはたまに見えなくなるの?Sと話すと楽になるんだよ。この辛さ、一番分かってくれるのは妹だけだなって思う時がある。でも、Sは線引きするのが超下手くそというかできていないから、どっとこられてしんどくなることも沢山あると思うんだよ。見ていてもどかしいけど、実際私も助けられているから、もう少し要領よくやっていきなさい。魔の木曜日は何とかするから。」自分の話から、相手を想い、そして返ってくる、姉との会話はいつもどこかでこんな感じだったのかも。

母と姉、また二人で行ったずっと前の海外旅行ではまさかのハプニング。現地の空港で母のスーツケースだけがどこかに紛れて込んでしまい、結局その日は見つからないままホテルへ。姉が英語でまくし立てたおかげか、翌日にはようやく母の手元に届きました。その話を帰国した母に聞き、大爆笑。「大変だったね。」「そうなのよ。ちょっとした補償金が入ったけど、お金よりも時間の方が大切ってその時は思ったわ。」喧嘩をして帰ってきても、姉が母を誘ってくれたという事実を、その気持ちをとても大切にしているのだと思いました。「あの子には子供の頃に、沢山辛い思いをさせた。だから、せめて子育てで困っていたら手伝いに行ってあげたいと思っているのだけど、結局不機嫌になってしまうのはどうしてかしらね。」「お姉ちゃん自身、いろんな気持ちと戦っているんだと思う。お互いが辛くならないぐらいの頻度がいいような気がするよ。」お姉ちゃん頑張れ、いつかその痛みが消えて、お母さんと心から会えるといいな。でもそれは私の理想論、二人に委ねることにしよう。
今日は土曜日、姉は穏やかにいてくれているだろうか。「Sの人生に私が必要と思ったならまた連絡をくれたらいい、家族だからとかR君の為にとかじゃないの。お父さんとお母さんにはもう会っちゃだめ。」10か0か。「自分の為の選択をしなさい。極論に聞こえるかもしれない、でもね、それだけの思いをしてきたんだよ。いい?選んでいいんだよ。もう自由になっていいの。」姉の言葉が胸を掠める度、涙が溢れそうになるのはなぜだろう。