最終打席

息子と喧嘩しながら観た、イチロー選手の今季メジャー開幕戦。大きな歓声をテレビ画面から感じ、沢山のことを思いました。

開幕2日目の途中、CMになったので慌てて食器を洗っていると、スマホから受け取る速報に気づきました。『イチロー選手、試合後に会見へ』その文字を見て、ついにこの日が来たのだと、なんとも言えない気持ちが渦巻きました。
キャンプから不調が続き、最終打席だと思われた8回、イチロー選手を見守る全ての方が、同じことを思っていました。最後に1本。結果は、内野ゴロ。それでも全力で走る姿は昔のままで、もしかしたらセーフなんじゃないかと思わせてくれたきわどいタイミングは、最後の最後までイチロー選手でした。私の中では、内野安打。ゴロの当たりも、ヒットに変えてきた彼の姿をずっと追い続けてきたから。

イチメーターをアメリカから持ってきて、東京ドームのライト側スタンド前列でずっと応援してくれたエイミーさん。その数字は変わることはなかったけど、彼女が掲げてくれたボードには、『ありがとう イチロー』の文字が日本語で。このボードをバッグに入れた時、彼の最後の打席後に掲げようと決めてくれていたのだと思うと、エイミーさんの深い想いを感じられずにはいられませんでした。ここで、このタイミングで、イチロー選手に伝えられるのは、この言葉しかない。それは、私達の気持ちそのまま。

8回裏の守備に就いた時、監督から交代を告げられ、ベンチに戻る彼を、一人一人がハグで迎えるマリナーズの選手やコーチ達。その中に、菊池雄星投手の姿があり、ハグをする前から泣いていて、私も一緒に泣きたくなりました。イチロー選手の、「頑張って」という言葉を聞いた菊池投手はさらに号泣。イチロー選手の引退の日が、自分のメジャー初マウンドだった菊池投手は、本当に特別な思いがあり、受け継がれる瞬間を目の当たりにさせてもらったような気がして、見ている方も堪らない時間でした。岩手県出身の菊池投手のグローブには、東北6県がかたどられた刺繍が縫ってあります。“自分のプレーが誰かの力に変わる”そんな気持ちまでも、少年時代からイチロー選手を見てきた菊池投手に、そっと伝わっていたのだろうと、今の自分にできることをと必死で考えたのだろうと、色々な思いが交錯しました。

随分前、イチロー選手は、50歳まで現役を続けた、中日ドラゴンズのレジェンド山本昌さんに電話をしたそう。「昌さん、僕は、50歳までできますかね?」「足の怪我にだけは気をつけて、全力疾走のできる筋力さえ維持できれば50歳までできるよ。」レジェンドがレジェンドに相談したそのやりとりは、なんだかとても人間らしく、そこまで到達するまでがどれだけ大変なことなのか、こちらの想像をはるかに超えるようなことなのだと痛感させられました。

そんなイチロー選手が45歳で引退。「オリックスの鈴木をよろしくお願いします。」そんなあどけない姿で語っていた頃からずっと応援してきた選手。自分の青春と重なり、挫折を味わった時には彼の姿に励まされ、ヒットが打てない時期はそっと応援。一つの時代が終わった。それは、多分寂しさよりも、感謝であり、また一人で歩き出そうと思わせてくれる大きなきっかけのような気もしています。

延長戦の試合が、マリナーズ勝利という形で終わり、スタンドにずっと残っていたファンの方達の前に、もう一度現れたイチロー選手。ゆっくりと手を挙げて回る中で、エイミーさんの存在に気づき、指を指したその時、エイミーさんは隣にいた娘さんと抱き合いました。ずっとイチメーターを掲げ、日本にまで来てくれたエイミーさんにしか分からない、沢山の想いが一気にこみ上げたのだと思います。

菊池投手が、試合後の会見でイチロー選手の話になると、言葉を詰まらせ、語ってくれました。「キャンプからこの日まで、イチローさんは日本で試合をやることがギフトだとおっしゃっていましたけど、僕にとってはイチローさんとプレーできた時間というのが最高のギフトだったと思っています。」
そして、イチロー選手は、引退会見で伝えてくれました。「自分がオフの間、アメリカでプレーするまでに準備をする場所というのが神戸の球場なんですけど、寒い時期に練習するのでへこむんですよね。やっぱり心が折れるんですよ。そんな時もいつも仲間に支えられてやってきたんですけど、最後は今まで自分なりに訓練を重ねてきた神戸の球場で、ひっそりと終わるのかなと、あの当時想像していたので、夢みたいですよ。こんなの。」と。去年のその時期に、マリナーズに声をかけられ、もう一度ユニフォームを着て、試合に出られる姿を見せてくれたその時間全てが、私達にとってのギフトだったのだと改めて思いました。
最後は、マリナーズで。そう決めていたイチロー選手は、45歳で引退を決めました。この1年間、どれだけの夢を見せてくれただろうと、これまでの全ての時間、どれだけの希望を乗せてくれただろうと思うと、やっぱり胸がいっぱい。

会見の最後あたりで、「おなか減ってきちゃった。」と笑いながら語ってくれたイチロー選手の表情が、本当に穏やかで、なんの後悔もない彼の決断に、最後まで励まされたような気がしています。『他人より頑張ったということはとても言えないですけど、自分なりに頑張ってきたことははっきりと言えるので。これを重ねてきて、重ねることでしか後悔を生まないということはできないのではないかと思います。』会見の中で見せてくれた、イチロー選手の本質。

最終打席の後ろ姿、背番号『51』も、鋭い眼差しも、チームメートに見せてくれた笑顔も、心に刻んだよ。だから、草野球を思いっきり楽しんで。
ありがとう、イチロー。みんな同じ気持ち。