おめでたいこと探し

息子の学校帰宅時に合わせて行われる、防犯パトロール。先月も順番が回ってきたので学校近くまで出向くと、お友達とのんびり帰っている姿を発見し声をかけました。「ゆっくり帰るから先に行っていていいよ。」とあっさり言われ、図工で作った作品を自転車のかごにズボッと入れられ、バイバイ。家ではあんなに甘ったれなのに、何クールを装っているんだと笑いながらの帰宅。そして、作品をよくよく見てみると、でっかい魚じゃないか!今日の夜会はこれで決まりだな。
そして、説明を聞くと、尾ひれにスイカが乗っていました。「なんでこんなところにスイカなの?」「お腹空いた時に、このお魚さんが食べられるから。」「なんでボタンも付いているの?」「暗くなったら電気が付くようになっているの。」「どうやって自分で点けるの?」「このお魚さんが付けたいって願ったら点くんだよ~。」ああ、祈ったら自然と点くのね、それは便利ねとツッコミどころが満載の工作と、想像力が豊か過ぎる7歳児の純粋さに、嬉しくなった年末。年が明けても、リビングにいるよ。鯛には負けるけど、我が家ではおめでたい魚。

お正月、名古屋に帰省していた20代の頃。自宅の冷蔵庫を開けると、ホタテがてんこ盛り買ってあり、笑ってしまいました。「あら、あなたが好きだから沢山買っておいたわよ。」私はゴマちゃんか!!好きは好きでも限度ってものがあるでしょうに。気持ちの大きさを形で表してくれる単純な母を、大切にしなくてはと思った優しい時間でした。そして、ツナの缶詰はサンドイッチにもサラダにも使えるし、保存もできるから一人暮らしには有難い食品なんだよねと何気なく話すと、後日これまたてんこ盛りツナ缶が送られてきて、大爆笑。今度はネコか!!なんていうのかな、額面通り受け取ってくれるんだよね。ちょっとした雑談に気を付けようと思った楽しい新年の始まり。そんな年もあったんだよ、私の歴史にはいいことも辛いことも、いい感じで詰まってる。

そして、初詣に行こうと母に誘われ、祖父は寒い時期であまり体調も良くなかったので、二人で行くことになりました。ものすごい人で、やっぱりおじいちゃんを連れて行かなくて良かったね、これはきつかったと思うよと母と言いながらの帰宅。ただいまと言って、祖父の部屋を開けると、部屋着ではなくお出かけ用の服に着替え、ベッドで横になっていた姿を見て、慌ててしまいました。どうやら母の伝え方が悪かったらしく、祖父も初詣に行くと勘違いをして待っていてくれたよう。「おじいちゃんごめんね。私達で行ってくるねって意味だったの。こんな寒い中行ったら、おじいちゃんが風邪ひいて大変だったから。お座敷で、みんなでテレビでも観ようよ。」そう言うと、そうかそうかと頷き、納得してくれました。なんだか悪いことをしたなと胸が痛く、母も同じように心を痛め、姉夫婦に相談。事情を理解した姉は、天気のいい日に近くの神社に一緒に行こうと言ってくれ、祖父にも伝えると喜んでくれました。交通事故で会社を退職し、それから脳梗塞で何度も手術やリハビリを繰り返し、大好きだった本も医師から止められ、祖父の楽しみがどんどん減っていきました。お正月は、一年で一番楽しい行事だと待ちわびていたことを知っているだけに、ここは頑張りどころ。
すると、そんなに大きくない規模の神社も長蛇の列で参りました。なかなか先に進まない状態にやきもき。そんな時、列の途中で小さなお地蔵さんらしき姿が見えて。姉と目が合い、以心伝心。「おじいちゃんが倒れたら大変だから、お地蔵さんに手を合わせて帰ろう。神社には来たんだから初詣にはなったはず。たまにはこんなお参りの仕方もありだよ。」二人で祖父を説得し、他の参拝客が微笑ましく、こちらの家族がお地蔵さんに手を合わせている姿を見届けてくれて、我が家の初詣は終わりました。ベッドで寝起きし、ふと寂しくなった時に、こんな時間を思い出してくれたらいいなと願って。

まだ、祖父が現役で働いていた頃、靴下の先端が開いてしまい、私に話しかけてきたことがありました。「Sちゃん、靴下開いちゃったよ。でも今は何でも買える時代になったから、スーパーで今度買ってくるよ。」そう言ってゴミ箱にポイ。そして、近くでテレビを観ていると、そっとゴミ箱に近づき、捨てた靴下を拾い、慣れない手つきで縫い始める祖父の姿がそこにはありました。「おじいちゃん、縫おうか?」と言うよりも、なんだかその姿をずっと見ていたくて。何を思いながら縫っているのだろう、誰を想いながら。簡単には物を捨てられないなと痛感させられた、堪らない祖父の背中でした。

葬儀で喪主を務めた父。祖父との確執の中で、沢山の思いがある中で、時に言葉を詰まらせ、弔問客の方達に挨拶をしてくれました。「凍てつく寒さのシベリアの地で生き抜いた父は、安らかに眠るように逝きました。」と。祖父が話す戦争話を、まともに聞こうともしなかった父。それでも、心のどこかで尊敬の気持ちがあったのではないか、その時の言葉を聞いて思いました。お父さん、色んなことがあったね、ここまでくるのに。私が小学生の時、6人家族で、父と祖父が言葉を交わすことなく、それでも酌み交わしたお正月の日本酒。二人の間にしか分からない細くても小さな繋がりが、どこかにあったような気がして、祖父はそんな時間をどうしようもなく大切にしていたのではないかと、改めて思いました。
今も、過去も、そして未来も、大切にしていく。その中で、おめでたいことを見つけられたらいいじゃない。うん、そうしよう。