信頼関係の証

うちのマンションはオートロックなので、小学校から帰って来た時に困らないよう、息子にやり方を教えました。番号を押して、『呼出』ボタンを押すと、ママが出るからねと伝えると、「分かった!やってみる。でも、本当にママはおうちにいるの?ボクが帰ってきた時、パソコンを持っていないんじゃない?」
鋭いな。さすがこちらの動きをよく見ているだけのことはある。と感心している場合ではなく、「帰る時間は分かっているから、もしかしたら帰り道に会うかもしれないよ。心配だから最初は途中までお迎えに行くよ。」そう伝えると、「もし会えなかったら、ボクどうするの?」と警戒心丸出し。全く信用されていないのか?!その時は、エントランスで待っていて!!

パソコンを持って飛び回っているという印象は、息子の中ですっかり定着してしまい、どうやら私の行動パターンが小さな不安感を煽っているようですが、気にしない。管理人さんにも学区外の小学校へ行くことは伝えたし、同じマンションの男の子もいるし、親子で小さな失敗を繰り返しながら、度胸をつけて行けばいい!なんてポジティブ。息子が慣れるまでは、電車も車移動もお預けだけど、市内にはいるからゆっくり帰っておいで。ランドセルの重みを感じながら歩く景色も、なかなかのものだよ。

小学校に上がる前に、『ママ』から『お母さん』に変えようと私が言い出し、最近ごくたまに、「お母さ~ん」と呼んでくれるので、振り向くと照れている息子がいました。呼ばれた私ももちろん照れていて。なんだか恥ずかしいね。こうやって、お互いステップアップしていこうね。甘えるだけの関係から、そこに少し厳しさが追加されたような、背筋が伸びる呼ばれ方。ママと呼ばれた頃が懐かしいと思う日が来るまで、まだその余韻に浸らせて。

姉は、二児の男の子ママ。上の子は息子と同じ年で、幼稚園に行くタイミングも同じでした。お互い少しだけ余裕が生まれ、ふと姉が電話をかけてくれた時のこと。「私ね、幼稚園に行って、鍵盤ハーモニカの音を聴くと、なぜか泣けてくるの。」それを聞いた時、何とも言えない切ない気持ちになり、その理由が分かったような気がしました。本人に伝えていいものか迷ったのですが、姉が苦しんでいるのが分かったので、言葉を選びながら言いました。「お姉ちゃんが小さい時、年少の時から幼稚園に通っていたよね。そして、4歳違いの私はその頃に生まれている。不器用だった両親は、その時私に沢山の愛情を注いでくれたのかもしれない。だから、お姉ちゃんは幼稚園で寂しい思いをしていたんじゃないかな?」そう伝えると、やっぱり泣かせてしまいました。当たっていたか。そうだよね。私も苦しかったけど、姉もまたずっと苦しかった。

悲しませるのは分かっていたけど、推測も含めて正直に伝えたのは、理由が分からないままこの先も苦しんでほしくなかったから。信頼関係の証。

今、姉とも母とも距離を取っているのは、二人が、二人の親子関係をやり直してほしいと思っているからです。私がいたら、母は私を頼るし、姉は私に何かを話したくなる。ぐっととことん離れることも、愛情だと信じています。二人の為に、そして、私自身の為に。

老後は二人でまたアジア旅行に行こう。姉と交わした約束、今でも大切に覚えているから。