広がる可能性

息子とプロ野球を見ていたある夜、ふと聞いてみました。「もしRが打席に立つとしたら打順は何番がいい?」と。「う~ん、6番かな。」その番号を聞いて驚いて。「お母さんも6番なんだよ!」と大盛り上がり。9分の1の確率で息子と重なるなんてね。「3、4、5番のクリーンナップである程度点を取ってもらってから、ちょっと楽な気持ちで打席に入れるかなって。うまく言えないけど、その辺りが気分的にちょうどいいんだよ。」なんか分かる~と二人とも同意見で、何かが少し見えた気がしました。過度に期待されても困るけど、少しだけ肩の力が抜けそうな応援のされ方だと、本来の能力が引き出せるかも。そういったことが言いたかったのかなと。理科の宿題も何やら調べ学習だったので本人に任せると、イラストもいい感じで入り、綺麗にまとめていました。「何を調べたらいいかわかんな~い。」と泣きつかれるのも覚悟をしていたので、拍子抜けしてしまって。勉強そのものが嫌いという訳でもないんだよな、興味があることなら追究できる?コイツ、何気に卒業論文では苦労しないタイプなんじゃないかと思うと、笑えてきました。人を育てるってどこまでも奥が深いな。

昨日は、猛烈な暑さの中、友達と公共施設へ遊びに行くというので見送りました。少し時間ができたので、久しぶりに住職さんの元へ。ちょっとしたイベントで当たったハンディタイプの扇風機と首を冷やしてくれるタオルのセット、息子に聞くといらないことが分かったので、届けることにしました。お手紙を書き、箱の上に貼って出発。ジリジリ暑い中お寺へ到着すると、自転車がなかったので、お出かけされていることが分かり、縁側の所に置いておきました。すると、綺麗にお掃除をされたほうきとゴミ袋を見つけて。ここに来ると、植物達までもが喜んでいるように感じる、生きているんだよね、人も、虫も、何百年も根を張っている木々も。住職さんがどんな想いでこの場所を守ろうとされているのか、ご本人不在でも根付いている雰囲気に嬉しくなりました。婚姻中、元夫に、亡くなったお義父さんのご仏壇を、ご実家でしまわれているようなら、うちで引き取らせて頂けないかとお願いし、前のマンションに置かせてもらいました。和室の光が射し込む場所に置いて、手を合わせるとお義父さんの遺影が少し微笑んでくれたようで。それから、毎朝お水を替え、手を合わせて話しかける度に穏やかな気持ちになりました。その少し後、妊娠が発覚。そして、息子が生を受けた日はお義父さんと同じ誕生日でした。それが必然か偶然か、ずっと考えていたのだけど、住職さんはきっとこうおっしゃるのではないか。「そういうことなんだろうね。ありがとうの気持ちだったんじゃないかな。」と。聞かなくても住職さんはそう言ってくださるだろうと思い、胸がいっぱいでした。少しずつ、いろんなことが繋がっていく。

高校3年の時、札幌に住んでいた父の真ん中の弟である叔父さんが、東京へ単身で転勤になり、名古屋へ遊びに来てくれました。はじめましてなんだけど、朗らかな人で全然そんな気がしなくて。そして、同居している祖父にも優しくしてくれました。「お義父さん、お体の具合どうですか?」おじいちゃんが、お義父さんと呼ばれ、満面の笑みを浮かべたことを見逃しませんでした。父よりも先に叔父さんがこんな風に呼んでくれた、心の底から嬉しかっただろうなと。その後も、「お義父さん、囲碁は楽しいですか?」といろんな話題を振ってくれて、祖父は終始上機嫌で本当によく話しました。それを見た父は、鬱陶しそうに小さく祖父に対し「うるさいな。」と聞こえない程度に呟き、ムスッと出かけてしまって。その翌日、叔父さんが私だけを栄まで連れ出してくれました。「外で短時間だけ会っていたら、Sの大変さは分からなかった。おじいちゃんとお父さんの関係も、お父さんとお母さんの関係も険悪で、みんながSを通して会話をしようとするから、全部肩に乗っかってしまっている。来てよかったよ。叔父さんには話せ。」隣にいてくれようとする人が血縁関係にいた、ありがとうじゃ足りないぐらい嬉しかったんだ。私にとってはとんでもなく大きなことでした。そして、きっと祖父にとっても。
大学受験が目の前に迫り、日本史をもっと深く学びたいと担任の先生に伝えると、関東か関西の大学を薦められました。選択肢が広がるからと。関西には姉がいる、関東には叔父さんがいる、どちらも私には心強い存在で、良き理解者でいてくれる。でも、3人を置いていったらみんなどうなる?その時、一番頭に浮かんだのは祖父でした。脳梗塞の手術もした、私との会話がなければ、どんどん沈んでしまったのではないかと思うような場面が沢山あった。実家を見渡すと、細部にまでこだわったおじいちゃんの想いが詰まっていました。祖父がもう一度自分を立て直し、祖母と母を守ろうと決めた場所。そこに父を迎え入れ、姉と私が生まれました。ここにも歴史がある、私が出るのは今じゃない、そう思いました。いつかチャンスはある、その時をそっと待とうと。そして、地元の大学へ進学、大阪の女子寮に住んでいた姉は何度も呼んでくれました。その後、卒業間近には東京の叔父さんが呼んでくれて。大阪の通天閣も、夜の東京タワーもなんだかぐっときました。それから、本当に関東へお引越し。大学図書館で勤務が決まった時、学生としてではなく司書としてささやかな夢が叶ったのだと。その何年も先、息子がまだ1歳ぐらいの時に何を血迷ったのか、大学の通信教育で司書教諭の資格を取得しようと思い、受講が決定。一度もキャンパスに足を踏み入れていないのに関西の大学の一員になり、また一つ小さな夢が叶いました。18歳の時に一旦保留にした関東と関西への憧れは、別の形で拾えたのかもしれないなと。住職さんから頂いた本を読ませて頂き、気づいたことがありました。本当はまだ続きがあるのではないかと。でもそれは、もしかしたら心に留めておかれるのかもしれない、そんな余韻までも生の美しさのような気がしていて。可能性を自分で閉じてしまわないように。そう改めて思った夏の夕方でした。いくつになっても、何度凡退しても、次の打席を信じてみようか。