視覚から届くもの

夫と息子が出かけたある日の昼間、何気なくテレビを点けてみると、そこにはマイアミマーリンズで日米通算3000本安打を打つ前のイチロー選手の姿がありました。過去の偉業を振り返るその映像ですっかりくぎ付けに。そして、スリーベースヒットを打つと、3塁にマーリンズの選手達がお祝いに駆けつけ、そんな仲間に喜ぶイチロー選手の表情で泣きそうになりました。イチメーターを掲げていたエイミーさんは、2999から3000に4つの数字を変えなければならず、大忙し。その後、ベンチに戻ったイチロー選手がサングラスをして、そっと涙を流している表情が映し出され、堪りませんでした。3000本という大記録を出した彼にしか分からない沢山の想いが、駆け巡ったのだろうなと。その涙一滴にどれだけの努力や感謝が詰まっていただろうと思うと、心が震えました。サングラスから見えたグラウンドには、どんな景色が見えていたのだろう。

そんな余韻に浸りながら、翌日家族三人で向かったのは、富士山の麓、山中湖でした。相変わらずの睡眠不足だったので、車の中で眠り、起きると裾まで見える富士山に感激してしまいました。曇り女の私がくっきり富士山を見られるのは、奇跡に近い。そして、忘れてはならない出来事が蘇ってきました。姉が8年もの不妊治療の後、私が結婚し、安心してくれたのか子供を授かったと嬉しい知らせをくれました。せっかくなので、出先からすでに悪阻が始まった姉に電話。「お姉ちゃん、大丈夫?辛いと思うけど、今までとは違う辛さだから頑張って乗り切ってね~。今ね、富士山が見えるほったらかし温泉に来てるんだよ。あっちの湯とこっちの湯があって、どっちに入ろうか迷ってるの。」「その名前、あんたが付けたやろ。」「違うってば!本当にそうやって書いてあるもん。」「いかにもSが付けそうな名前だなあ。これまで、いろんな話を聞いてくれてありがとね。」そこに、姉の8年があったような気がして、こみ上げるものがありました。富士山の見える露天風呂に入りながら、お姉ちゃん本当に良かったなとほっとして。不妊治療が上手くいかず、何度泣いて電話をかけてきてくれたことか。「子供の頃からずっと辛い思いをしてきた。いい母親というものが私には分からない。母親になる資格がないんだ。」そう言って、どれだけ自分を責めていただろう。その度に、ぐっと涙を堪え、姉の考えを否定し、励まし続けました。声が震えないように、毅然と、でも電話を切ると泣けてきて。長女なんだから、お姉ちゃんなんだから、あなたがしっかりしないでどうするの、なんでそんなことぐらいやってくれないの?祖母の介護で疲れ、その感情をぶつけられるのは姉の方でした。まだ小学生の姉がどれだけ苦しく、深く傷ついたことか。その痛みを抱えたまま不妊治療に入り、自分の子供時代を思い出し、私に会うことさえ辛いのではないかと思うことさえありました。それでも、治療の合間に、気分転換になるからと誘ってくれた海外旅行。どこまでも“姉”でいてくれようとしたその気持ちに胸がいっぱいでした。
そして、姉の懐妊の一か月後に私が妊娠。その報告をすると、笑って伝えてくれました。「Sの心と体は繋がり過ぎ。」その言葉の意味するところは分かっていて。私よりも先にできたらいけないんじゃないかって心のどこかで思っていたんじゃない?

「あんたさ、もしかしたら私に遠慮してた?」「してないよ。」「産婦人科医の○○(岐阜時代の女友達)に話したら笑ってた。なんかSちゃんらしいなって。悪阻や出産や育児の大変さが共有できていいじゃないって言われたよ。」「一か月先を行くお姉ちゃんをお手本にするよ。」そんな妊娠中、お互いの子供が男の子だと分かり、姉が改めて伝えてくれました。「おじいちゃんにさ、ひ孫を正座させて、戦争の話でも語ってあげてほしいね。足がしびれて、もう帰りたいねってひそひそ話していたりしてさ。そこまで長生きしてほしいよ。」男の子同士、それが意味するもの。同性でしかも同級生。神様のいたずらだったとしたらそれは多分、姉の孤独を知ってくれていたから。性格は違うのに、なかなか会えないのに、子供同士も会うととても仲良し。彼らの中で流れている泉でもあるのかなと。

母の心が悪化した数年前。姉が真剣そのもので伝えてくれました。「私のママ友の一人に精神科医がいるの。とにかく妹さんを守れって言われたんだよ。お母さんから引き離してあげないと、妹さんが壊れるって。S、全力で逃げなさい。もう逃げてもいいんだよ。住所も電話番号も何もかも変えて、新しい人生を始めるの。」何を言われているんだろう、そう思いながらも姉は本気で言ってくれているのだと思うと、止めどなく泣けてきました。母の地雷の上を歩いてきたこれまでの人生から、安全な場所へ。そこへ導こうとしてくれる彼女の優しさで救われたようでした。その時見えたのは、草原。草の上を裸足で歩く自分を想像しました。その時の風景を今でも大切にしていると姉に話したら、喜んでくれるだろうか。