どんな時も忘れない

1学期も終盤を迎えたある夜、息子はボランティアの方に勉強を教えてもらいに行っていたので、何気なく学校用のリュックを見てみると大きな穴を発見。ええ!さらに広がれば教科書が落ちそうなんだけど!と一人で大慌て。なんでもっと早く言わないの?と思いながら、試行錯誤が待っていました。とりあえず、中から強力なテープでとめてみる。外から見ると、どうも不格好だなと思いながら、カレンダーを見ると夏休みまでラスト3日だったので、その数日を凌いで新しいのを買おうと思い、ソーイングセットを取り出しました。すると、視力が落ち、糸が通せないとまさかの苦戦。やっと通った!と急いで縫っているとピンポンが。タイミング悪いなと思いながら、息子を迎え入れ、どうしてリュックの穴を伝えなかったの?と聞くと涼しい返事が待っていました。「夏休みまであと少しだったから。まあ、行けるっしょ。」中学男子、どこまでも楽観的だなと笑えてきて。「とりあえず穴を塞ぐために縫っておくから、お風呂に入ってきて。」と先を促し、またチクチク縫っているとあっさり出てくるのでさっと終了しました。「万が一だけど、慌てて終わらせたから、針がその辺に落ちていたらごめん。」「え~!危ないでしょ。」「きちんとしまったとは思うけど、急いでいたからちょっとだけ心配になったの。」とわいわい。大学図書館の時もあったなと懐かしくなって。何か用事で急いで帰宅すると、シャットダウンをしなければいけない共用のパソコンをそのままにしてしまったのではないかと途中で思い出し、乗り換えのタイミングで事務室に電話をしました。まだ残業をしていた先輩に話すと、そんなに気にすることではないし、そもそもちゃんと電源は落ちていたよと笑ってくれて。慌てていると、やったことまで不安になるから気を付けようと思った、どちらも平和に終わった珍事件でした。少しの余裕って大事だね。

ホワイトソックスの村上選手が、けがから42日間の離脱を終え、またグラウンドに戻ってきてくれました。バッターボックスに向かうと、スタンディングオーベーションで迎える観客の皆さん。おかえりなさい、私もそんな気持ちで胸がいっぱいでした。そして、オールスターゲームに選出、ホームランダービーを見た時、神宮球場で放ってくれた何本ものホームランと重なりました。どんなに劣勢の場面でも、アーチを描いてくれたその時間に息子と熱狂して。村上選手の応援歌から、歓喜に変わり、周りのみんなとハイタッチをして傘を広げ、東京音頭の大合唱。そんな感動を何度ももたらしてくれた村上選手は、世界のスーパースターになったんだなと思うと、感無量でした。息子は高校受験の面接で、尊敬する人を聞かれたら、村上選手だと答えるのかもしれないな。どんなに学校で疲れていても、「いつ復帰するの?」この質問は欠かさなかった。ライトスタンドでファンの方から頂いた村上選手のカードは、息子のスマホの裏側に。どんな時も、ヒーローと一緒だ。

最近になり、祖父と何気なく交わした夕飯の会話を思い出しました。うちの家族は、みんな食事の時間がバラバラだったのだけど、おじいちゃんとはできるだけ一緒に食べようと決めていて。「今度の社会のテストね、歴代の内閣総理大臣の名前が出るの。大分覚えたよ!」「言ってみんね。」そう言われたので順番に伝えると、嬉しそうに聞いていて。懐かしい名前が出る度、祖父の年表も思い出と共になぞられていくようでした。そしてテスト後、もう一度聞かれたので、正直に伝えることに。「テストが終わったら、忘れちゃったんだよ。終わりのチャイムと共に、記憶から消去されたのかも。そうじゃないと次が入ってこないんだよ~。」「せっかく覚えたのに、忘れたらいかん。」そう言って笑ってくれました。「今どんな勉強をしてる?」そうやって気にかけてくれていたのは祖父だけ。おじいちゃんの探究心は底抜けで、日本の教育がどんな広さと深さで子供達に教えているのか気になっていたよう。自分が学んだことが誰かの何かになる、色々と考えさせられました。「Sちゃんにとって学校ってどういう存在だ?」ん?なかなか難しいことを聞いてくる。おじいちゃんは正解が欲しいわけじゃないよね、率直な感想が聞きたいのだと。「一番最初の世界はきっと家族なんだろうけど、その次に大きな場所。大変なところもあるけど、学ぶことが今の私の仕事でもあるんだろうね。勉強だけじゃなくて、友達との時間とかもね。その質問、意外と難しいよ~。」そんな話で、大盛り上がり。二人だけの食卓、でもそこには相手を知ろうとするそんな空気がいつもありました。父に対して、まだ私の中で怒りがどこかでくすぶっていて。祖父の気持ちを見ようとせず、母の心を壊し、面倒くさくなるといなくなった。父が抱えていた銀行という組織の重圧の中で、みんなそれぞれの課題がごちゃ混ぜになってしまっていた。言いたいことはまだあったはずなのに、数年前に父が命に関わる大手術をする前、怒りはなくなっていました。そんなことよりも、生きていてほしい。ひたすらそう願う自分がいて。感情ってなんなんだろう。怒りが出たり、引っ込んだり。でも確実に言えるのは、その怒りには愛情が込められているんだよねと。そしてそのことに父自身が気付いている、どうして??糸電話が不通になることはなかったから。あったかもしれない、でも本気のSOSは届いていた。
結婚式当日、父は私に言いました。「お父さん達のことはいいから、結婚したならあちらのご家庭を大切にしろ」と。その言葉を聞き、どっと溢れそうでした。ほんの少しの寂しさと、嬉しさと、これまで育ててくれてありがとうと、分かったけど、でも大切に思う気持ちは変わらないよとその想いが、一滴の涙に。今一番伝えたいのは、怒りなのではなく、本当は感謝なのかもしれない。お父さんは二番手三番手でいい、それだけのことしかしてやれなかった、でもな、親として幸せを願っているぞ。父の根底にあるのは、きっとこの気持ち。