担任の先生と面談をさせてもらってから、改めて色々なことを考えてみました。具体的にどのような問題が苦手なのかを教えてもらうと、非常に興味深い返事があって。「やっぱり応用問題が苦手なんです。算数の図形などはすっと分かってくれて点数も取れるんですけど、ちょっとひねった文章題になると混乱してしまうみたいで。社会の問題も、グラフを見て図を見て、文章を読んで答えるものだと理解するのに時間がかかってしまうみたいです。」なるほどなるほど。「私もそうだったのですごくよく分かります。こうだからこうでこうなるといった直線のような問題だと、頭で整理しやすいのであっさり解けるんですけど、ちょっと変化があるだけで頭がごちゃごちゃになったりするんです。文章の意味をもう少し理解出来たらまた変わってくるかもしれないですね!脳の構造上の話なのかな。」そう言うと一緒に笑ってくれました。図形は視覚的に分かりやすいもんね、なんでこんなに似てしまったんだ?!
高校二年にあった最初の日本史のテストは、得意の古代史でした。それでも、他の試験勉強もあったので、前夜に詰め込んでいた訳で。その後、若い女の先生が答案を返してくれる時に、ちらっとこちらの顔を見てくれたことが分かりました。恐る恐る点数を見てみると、思ったよりも伸びてくれてほっと一安心。よく見ると、左側は間違いが多いのに、右側はほとんど合っていて、配点の高い右側の正解率がたまたま高かったおかげで点数が上がったよう。もし配点が逆だったら大して伸びず、点数だけを見て怒るような親になるのはやめようと思いました。そんなことを思っていると、一人の生徒が先生にクレーム。「古墳や遺跡の絵を見て答える問題が沢山出ていたけど、白黒でよく分からなかったよ。」と言うものだから、みんなが同意。「いいえ!その問題、全問正解だった生徒がこのクラスに1人だけいました。だから、ちゃんと絵は見えていたということです!」と強気な先生。ああ、それ私だと思いながらも、絵を見て答える問題は楽だったし、ヤマ勘も働いていたんだよねなんて思いながら、古墳に拝みたくなりました。大仙陵古墳なんてテンション上がっちゃう。何度見ても鍵穴みたいなんだよな。
息子が『鬼滅の刃』を見る中で、何時代なの?と聞いてきました。「これは大正時代の話という設定なんだよ。ひいおじいちゃんも大正生まれだったの。」「ボクは?」「Rは平成生まれだよ。大正、昭和、平成、今は令和なの。」そう言うと、白紙の紙に書き出した息子。「大正よりも前は?」とどんどん遡り、やっぱり年表のようなものが入ってきやすいのだと嬉しくなりました。地図帳は視覚的に分かりやすいしね。そんなやりとりをしていると、思い出した中学の教育実習。毎日夜九時ぐらいまで職員室で付き合ってくれた社会科の恩師が、プリントを裏にし、ボールペンでぐるぐるっと大きな円を何重にもして見せてきました。「先生の授業は直線なんだよ。もっと円のような授業だと変化があって面白くなる。一番最後に余った時間でピクチャカードを出したよね。あれは途中で出すべきだし、もっと生徒達を巻き込め。資料集や地図帳を活用して、とてもじゃないけど寝ていられない授業の展開にすると、さらに参加できるいい時間になる。先生さ、なんで社会科を選んだんだ?」「私自身、社会という教科が好きだったんです。中学の社会科の恩師は、50分の授業で半分最近のニュースについて雑談をするような先生でした。そこで、沢山考えたんです。先生は、この事件に対してこういった考え方を持っていたんだなって。それって教科書には載っていない“社会”を私達に伝えようとしてくれているのかなって。自分の考え方を持て、それが恩師のメッセージだったのかなと思う時があります。」「なるほどな。女の子は特に、社会の授業なんてって苦手意識を持つ子も出てくる。先生は女性なんだよ。女の先生が社会という教科を面白く伝えてくれたら、女子生徒の意識も変わってくるよ。失敗してもいい、あなたなりのやり方で授業を作ってほしい。」そう言われ、思いがけない難題を出された気分になり、うなだれた私を見て一緒に笑ってくれました。
それから20年、記事を書きながらふと思い出しました。高校の教員免許は『地理歴史科』しか持っておらず、『公民科』は在学中に力が尽きて取得しなかったことを。大学へ心理学を学びに行く時に、教職課程を取得したい単位だけ取りに行くことは可能なのだろうか。この際なので、司書教諭の資格を通信教育で取った大学の周辺で下宿生活もありだったりして。待っててね、大阪!現役の学生さん達に円の授業ってどういうこと?って一緒に考えてもらおうか。私が見てきた“社会”を、優しい眼差しで聞いてくれるかもしれない。未来ある学生さん達と共に学べたら幸せ。
中学三年、受験の真っ只中の時に学んだ憲法第9条、戦争の放棄。丸暗記をして祖父に聞かせると、感無量といった表情で嬉しそうにしてくれました。「戦争放棄、もう日本は戦争をしないって決めたんだ。あんなことはあっちゃならん、これから先何があってもな。」そう言ってその当時を振り返るかのような遠い目をしてくれました。その後、近所の人が来る度、親戚の方が来る度、孫が憲法9条を暗記したと言うものだから、その場で答えなければならず、忘れたら祖父に恥をかかせると思い、いつもどんな時もそらで言えるようにしていました。小学校三年生の国語の教科書に出てきた『ちいちゃんのかげおくり』(作:あまんきみこ、絵:上野紀子)。自分が子供の時に学んだ時には深く考えなかったのに、息子が音読の宿題で読んでいたら、祖父との思い出が駆け巡り、涙が溢れそうになりました。「ママ、防空壕って何?空襲って何?」おじいちゃんに答えてほしかったな。まだ、9条は暗記しているよ。忘れられる訳がない。祖父と過ごした全ての時間は、優しい円に包まれた。どれをとっても、あたたかい。