帰る場所

年末年始が終わり、息子も通常のリズムで幼稚園に行ってくれて、パソコンに向かう時間が増えるとようやく私もほっとしました。そうそう、この場所、この画面、そして優しく耳に届く音楽がここでの自分を取り戻し、エンジンをかけてくれるようで。

まだ一人暮らしをしていた時期、12月に入った頃、実家にいつ帰ろうか母に電話をしたことがありました。「帰ってこないで。」その切羽詰まったものの言い方に、ただならぬものを感じ、ひと呼吸置いてから、穏和に、冷静に、母に理由を聞いてみることに。「お姉ちゃんもお父さんも出て、Sもいなくなり、短気のおじいちゃんと二人暮らしでどうしたらいいか分からない。何も手につかないの。」元々浮き沈みがとても激しかった母。それでも私がそばにいた頃は何とかなっていて、家を出た後は、帰省することをいつも心待ちにしていました。

そんな母が私に会いたくないと言い出したのは、元々の精神不安に加え、更年期障害が影響していました。理由にすぐ気づいたことがせめてもの救いで、まずは負担を減らそうと思い、帰省するのは止めるからと言って電話を切りました。数日後、あっけらかんとした姉からの電話が入り、状況を全く知らなかったので事情を話し、「だったら、お母さんはそっとしておいてうちに泊まりなよ。」というこれまた楽観的な返事。結婚している姉夫婦にお世話になるのも気が引けて、レオパレスでお正月を迎えようかと思い、なんだか途方に暮れてしまいました。家族がいるのに一人か。それから色々考え、やはりお母さんのことが心配だからと姉に連絡をし、新幹線に乗り、数日お世話になってから、母の様子を見に行きました。「お母さん、私こっちに戻ってこようか?」喉まで何度も出かかった言葉。それでもぐっと堪えたのは、同じことを繰り返すことが分かっていたから。

できる限りの家事をこなし、何もしなくていいからと2泊だけして、祖父には母の精神状態を説明し、何かあったらすぐに知らせてねと伝え、自炊のやり方や洗濯機の回し方、トースターやレンジの使い方などを教えて、2日の朝に母に名古屋駅まで送ってもらいました。「何かあったら、いつでも電話して。お母さんは頑張ってきたから、頑張らなくていい。おじいちゃんも分かってくれているから。」そう伝え、不安そうな母の手をぎゅっと握りお別れしました。

まだまだお正月ムードの最寄り駅に着き、何とも言えない気持ちで自宅に着くと、どっと疲れてしまい、帰省したのは正解だったのかさえ分からなくなっていて。そんな気持ちを抱えたまま、数日後、大学図書館に戻ると、「おかえり~。」と皆が明るく迎えてくれて、本当に胸がいっぱいになり、泣きそうでした。名古屋駅で買った『なごやん』という黄味あんのお饅頭を渡しながら言った「ただいま」。帰る場所がちゃんとあったことを証明してくれた仲間の笑顔であり、私の大好きな図書館がそこにありました。

家族がいるのに、孤独を知った年末年始。あの辛さは今でも覚えているし、その後に待ってくれていた図書館の皆の温もりは私の心にずっと残っています。
ライターという仕事も、孤独と背中合わせ。どこかに所属していなくても、なかなか認められるものでなくても、ここが優しい場所であるように守り抜きたい。だから頑張ります。
さくらいろを通して、図書館の温かさが、少しでも届きますように。