ひとつできたら上出来

吐き気があり、ご飯が炊ける匂いでさえもきついなと思いながら、息子の夕飯を作り、隣に座りました。「ママは食べないの?」「ちょっと気分が悪いから、食欲が出たタイミングで食べるよ。一緒に食べられなくてごめんね。」「大丈夫?それ何?」とこちらの飲み物を聞いてくれたので、伝えることに。「きな粉ドリンク。何かしら栄養を摂らないと薬が飲めないから、牛乳と混ぜて飲んでいるの。」「きっしょ!」人のスペシャルドリンクを“きっしょ”とはなんじゃ!!と思いながらも、小5男子の発言に笑ってしまいました。笑いというスパイスをどうもありがとう。

手術を受けた3年前から、上からぐっと押されるような辛さがあり、その影響からか方向感覚がおかしくなったり、物忘れもしばしば。記憶力の低下も自覚があるので、買い物リストを書くものの、そのリストそのものを忘れたことが何度あったことか。それでも、ある程度こなせたら上出来だと自分に言い聞かせ、今に至っています。前のようなキャパシティ(許容量)にまで持っていきたいと焦れば焦る程うまくいかない、だったらとことん開き直ってやろうじゃないかと。もう一度自分自身と正直に向き合う時間、それが“更年期”がもたらす大切な機会だと捉えられたら、少しは軽くなるのかもしれませんね。カメさんのスピードでがんばります。
いろんな気持ちが巡る中で、ひとつの記憶が頭の中で繋がっていきました。姉と義理の兄が婚約した後、草野球の見学に誘われ、義兄の車に乗って三人で球場へ。フェンス越しから、姉と練習の様子を見ていると、キャッチボールをしないかと声をかけられ、喜んで一塁側へ向かいました。チームにあった右利き用のグローブで、義兄とキャッチボールをしていると、同じチームの仲間に散々茶化されて。「あれ?谷佳知選手とヤワラちゃん?!」その当時、オリックスの選手だった谷選手は、柔道の田村亮子選手と交際中、二人でキャッチボールをしたシーンが話題になっていました。そのニュースに便乗し、私のことをヤワラちゃんだと言いたかったのだろうけど、義兄は、「ちがうちがう。妹の方。」だと笑いながら訂正していて、それを聞いたメンバーが、「替え玉?!」とまた言ってくるので、みんなが笑い、楽しい時間が流れました。その後、試合が始まったものの、かなりの睡眠不足だったので3回ぐらい見たあたりで、車のキーをもらい中で寝かせてもらうことに。すると、試合が終わり戻ってきた義兄が伝えてくれて。「僕のチームの後輩で、Sちゃんのことを気に入った子がいたんだよ。格好いい所を見せようと思っていたのに、帰ってしまって残念がっていたよ。」どれだけ不調でも、人前では“陽”の姿を見せる自分がいる、その人がなんとなく気に入ってくれたのはその部分なんだよなと。それから時は経ち、姉夫婦の結婚式二次会がやってきました。着替える時間もなく振袖姿のままで、来てくれた方達に挨拶をしていると、「Sちゃん!」と声をかけてくれた一人の男性がいました。「僕、○○です。野球の練習、一度見に来てくれましたよね!あのチームにいたんです。キャッチボールいいなと思いながら見ていました。」あ!「コイツ、いなくなっちゃったから本気で残念がっていたんですよ!」とチームメイトが会話に参加。足の悪い祖父を結婚式場まで送る為に、車を出してくれたマブダチK君もその場にいて、また散々茶化されている私の様子を見て肩を震わせて笑っていました。そのひとときが優しくて。その当時、アメリカ育ちの彼と付き合っていたのを知っていた義兄は、それでも後から伝えてきました。「Sちゃんのこと、ずっと気になっていたんだよ。仕事で石川県に引っ越すことになったからまた会えて嬉しかったし、本当は一緒に来てもらいたかったって。」そうだ、あの時義兄は石川と言っていた、もう少し具体的な地名を言っていなかったか?たった二回しかお会いできなかったけど、元気を沢山分けてもらいました。どうか、ご無事でいることを祈っています。そして、野球を続けてくれていたらいいなと。

女性ホルモンを注入する注射を打った後、自分が自分でなくなってしまいそうな辛さが押し寄せ、混沌とする中で明け方夢を見ました。出てきたのは、アメリカ育ちの元彼。立派なご家庭に育ち、どうにも埋まらない溝を感じていた日々。そして、将来子供はいらないと言われたことが決定打となり別れを選ぶことに。どちらが悪いとか本当にそういうことではなく、ただただ切なくて。それでも、お互いの未来の為に決めたことでした。名古屋駅と新横浜駅を何度も往復した新幹線。母と祖父を置いて、横浜に引っ越す時は胸が潰れそうでした。その想いを知っているからこそ、別れの最後に聞いてくれました。「S、一人で大丈夫か?」と。強がりも含めて、その時大丈夫と伝えたのだけど、もう一度夢の中で言われた時、ようやく気付きました。彼は、苦しい時こそ一人でいたがる私を知っていたんだなと。どれだけ可愛くない彼女だっただろうと、それと同時に最後の最後まで心配してくれた彼の気持ちを思い出し、頑張れる気がしました。カリブ海の件は、帳消しにする。

図書館司書の講習で、レファレンスサービスの実戦練習をした20年前。実際に課題が出され、みんなで学内の図書館へ行き、どうやったら答えに辿り着けるだろうと参考資料を引っ張りだし苦戦。そして、何人かの生徒が講義内で当てられ、黒板の前で自分が調べたルートを説明しました。それは、短距離のものあれば、随分遠回りをして答えを見つけた人も。そして、どう頑張っても辿り着けず、それでも途中までのルートを一人が話すと、教授がマイクを使って伝えてくれました。「どれだけ調べても答えが出なかった、それもまた答え。」なのだと。今の司書講習では、この情報化社会の中でまた違った伝え方をしているのかもしれない、でもその時の私にとって衝撃的なひと言でした。必ずしも解がある訳ではないのだと。それでも、経過を聞いてくれる方達がいる、だから今の心境を素直に届けようと思いました。ひとつ出来たら上出来じゃない?そんな自分を好きでいようよ。