今できること

ここ最近、シェアオフィスのラガーマンTさんと会う機会が減ってしまい、見つけた時はチャンスを逃すものかと思っていると、今日は彼の方から声をかけてくれました。やった!アタックチャンス!!なんて思いながら、聞いてみたかったことをさりげなく質問してみました。「Tさんが教員免許を取ろうと思ったきっかけは何だったんですか?」「中学高校の時の先生の影響です。特に高校ラグビー部の顧問は、すごい人で。こんな先生になりたいなって思いました。」それでは、そちらの道は考えなかったのかを聞いてみると、嬉しい答えが返ってきました。「教員は、後からでもなれる、でもラガーマンとしては若いうちの方がいいだろうと思ったんです。そんな時、企業チームから声がかかって、ラグビーを優先させました。」もう花丸~と思いながら、なんだか感激してしまいました。その時、自分は何ができるのか、タイミングを逃さない、そしてTさんには自分が思い描く未来が出来上がっていたのだと。そんな感動に包まれていると、やってきたのは不動産関係の試験勉強中のHさん。「すみません、A4のコピー用紙二箱が同時に切れてしまって。これってマジ奇跡じゃないですか?」そんなセリフに皆で大笑い。いいね、いい朝の始まり。

そんな勉強中のHさんと帰り道に偶然会い、何をしているかと思いきや、ボランティア活動の一環で近隣のゴミを拾っていました。声をかけると、「前に知り合いに頼まれちゃって。」と笑いながら教えてくれて。良かったら今度誘います、そんな風に気持ちよく言われ、笑顔でお別れ。今年は学校の役員で除草作業があるので、そちらでエネルギーを使うことにしてと都合よく解釈していると、後日また言われてしまいました。「あと3回ぐらいは誘いますね!」もう~、断りづらいじゃないか。勉強に追われている彼がやっていることは、きっと合格への近道。そんな人が受かる世の中であってほしい。

姉から、母の精神疾患を聞かされた4年前。鬱だと思い込んでいた私に飛び込んできた別の名称でした。何それ?私知らなかった。今まで何を勉強してきたのだろう。そして、離れたことにより、母の状態が悪化。話の内容から、姉の電話の声が途中から遠のき、溢れ出す涙をそのままに通話のボタンを無意識に切りました。ブラックホールに落とされたようなショック状態。転がるのではなく、落ちる感覚がありました。そのまま瞬きもせずに泣いていると、異変を感じた息子が寄ってきて、私の至近距離で、「ママ!!」と鼓膜が破れそうな大声を出し、我に返りました。私、この子の母親だった、しっかりしないと。彼のこの言葉が私を救ってくれました。ある意味恩人。ただならぬ雰囲気に、ママを助けなければと必死に叫んでくれたのだと思います。こんな風にいつも誰かに助けられてきた、だから私も、この気持ちがどんな時も根底にあるような気がして。知識も経験も助けてくれる、でも本当に救ってくれたのは目の前にいてくれる“人”だったような気がしています。

一人暮らしをしていた時、東京出張があるから東京駅で会おうと姉が連絡をくれました。大丸デパートのカフェで待ち合わせ。山手線の内回りや外回りが分からず、適当に乗ったら近い方に乗れて安堵。慌てて会いに行くと、忙しそうにしている姉が伝えてくれました。「あまり時間がなくてごめんね。でも、一目だけでも会いたくて。せっかくだから、顔が見たいじゃん。」軽く言っているように見せかけて、本当はとっても心配してくれていること、知っていました。意地張らなくて、名古屋に帰って来てもいいんだよ、Sの選んだ道は応援する、それでも帰ってくる場所はあるのだとそれは忘れないでほしい。何でもない会話から、姉の気持ちが痛い程伝わってきました。大阪、カナダ、横浜、東京。名古屋を離れ、色々な場所で会ったね。私と同じように姉だって、まだまだ越えなければいけない壁があったはず。それでも、いつも気にかけてくれる彼女の素直じゃない優しさに助けられていました。だから、私も素直に返せなくて。「八重洲口が分からなくて、軽く迷子になってから来た!でも、会えて嬉しかった。私は大丈夫。」もう聞き飽きたであろう、妹の“大丈夫”。それでも、姉は呆れながらも応援してくれました。

ここは東京のど真ん中。目的地まで目指そう。「あんたとこんな場所でお茶できるとは思わなかったよ。私達、大人になったね。」姉の言葉に感じる深み、そして重み。会いに来てくれてありがとう。