真実と向き合う

名古屋から戻り、自分の中で何かが動き出し、とても前向きな気持ちで心療内科に向かいました。いつものように呼ばれ、ドアを開けご挨拶。「先生、またホルモン治療に戻ることになりそうですけど、気持ちの面で落ち着いてきたので、ここで一区切りとして自分で頑張ってみようと思います。」「そうですか。とりあえずやってみて、それでも話したいことが出てきたらいつでもいらしてくださいね。何か最後に聞いておきたいことなどありますか。」とても穏和に言われ、あたたかい気持ちを感じながら伝えました。「実は、数年前にこちらを訪れた時、母の障害の相談をさせて頂いていたんです。」そう言うと、先生がとてもさりげなくカルテの一番最初を見て、改めて私の話を聞き、顔色が変わりました。ご主人のことも含め、あなたが苦しんできた正体が分かったかもしれない、そんな表情でいくつかの質問を投げかけられたので正直に答えると、頭の中で繋がってくれたようでした。「小さな時から、あなたはずっとお母さんを守ってきたのだと思います。そうすることが当然とばかりの状態だったのではないかと。親と子の関係が逆転した環境の中にいて、お母さんは保護対象になり、○○さんの中でそれが植え付けられ、他の誰かに対しても同じようなパターンになることもあったのではないですか?」そう言われ、素直に頷き、今回手術をしたことにより自分に余裕がなくなったので、ようやく色々なことを自覚できたと伝えると微笑んでくれました。「先生、もしかして私、もう少し通った方がいいですか?」「大丈夫、それだけ分かっていたら。パターンに気づいたなら、どう対処すればいいのか見えてくると思います。」あなたから現在の話だけを聞いていたので気づきませんでした、生きづらさの根元は幼少の頃にありましたね。長い時を経て、ようやく辿り着けたのなら良かったです。先生の沢山の気持ちが流れ込み、胸がいっぱいでした。「これまで本当にありがとうございました。先生に助けられました。」「僕は何にもしていませんよ。」その言葉は、主治医と重なり、数年前にカウセリングを受けたカウンセラーさんとの最後のやりとりとも重なりました。「あなたは大分わかってらっしゃる。だからもうカウンセリングは必要ないです。自分で答えを見つけることが何よりのカウセリングだと思っていますよ。」客観視して、見つけたものがある程度形になっていくと、クライアントをいい感じで突き放してくれるんだな。同じクリニックで、答えを見つけたよ。植え付けられたものを捨て、パターンにはまらず、自分を大切にすること。最後にお礼を言い、頭を下げると先生が笑顔でひょいと手を挙げてくれました。いい人生を!なんて穏やかな別れ。精神科医という職業の奥深さを改めて知った日。

翌日は婦人科へ。ドアを開けると執刀医がにっこり笑って伝えてくれました。「血液検査の結果、綺麗だったよ。がん検査も問題なかった。でも痛みは強いから、さあどうする?」「・・・おとなしく薬飲みます。」そう伝えると、豪快に笑ってくれました。「一年で薬物療法が終われたらラッキーだったけど、あなたぐらい卵巣が酷かった患者さんは大体続けているよ。」さては先生、私が泣きつくのを知っていたなと一緒に笑えてきて。「薬止めたら痛みが強くなるんだから、薬ってやっぱり偉大だよね!」「は、はい。」とそんなやりとりに看護士さんも混ざって笑ってくれました。あと9年頑張りますよ!長いお付き合いよろしくお願いしますと半分やけくそになりながら、心の中で呟き賑やかにお別れ。3か月のホルモン剤お休み中に、引っ越しも名古屋へも行けた。なんてハッピーなロングバケーションだったのだろう。この3か月間は年表の青字にしておこう。空を感じたから。無限を感じさせてくれた。新居まで飛べたこと、そして、名古屋から見た空は優しかった。

そんな色々な気持ちの中、また始まった薬物療法で気持ちの悪さと戦っていたら、LINEで繋がった小料理屋のママがメッセージをくれました。『ご両親に言えないことで、困った時不安な時辛い時など話してね。時には思い切り泣くことも大事なのよ!』その文面を読み、ポロポロ泣けてきて大変でした。ママの声はいつもゆっくりで温もりがあって、包んでくれた。再会の別れ際、「お茶する時間でもあったら良かったんだけど、Sちゃん、また電話でもしてきて。話聞かせてね。」そう言ってくれていました。それでも、電話の声を聞いたら泣いてしまいそうで、離れているから余計に心配をかけてしまいそうで、お礼のメッセージだけ送ると、何もかも分かってくれているかのような返信に、本当の娘でいられた気がして堪りませんでした。ママのお店が、一年後ぐらいに閉店すること、彼女の全てがそこに詰まっているから、寂しい気持ちになったら支えたいと思っています。それでも、気丈なママは言うでしょう。「お店は無くなってしまったけど、お客さんとの繋がりは消えていないのよ。たまに飲んだりしているの~。」と。彼女の美しい強さをどこまで伝えられるだろうか。親と子が逆転することなく、母親のような存在でいてくれた人。お店に活けられていた桜が、心のつながりを証明してくれた。「忙しくしていてごめんね~。カウンターの桜でも見ていてっ。」どんなに離れていても、声が聞こえてくる。