あと2点

大学在学中、学費の心配をしなければいけなくなった頃、色々な手段を考えました。
退学、休学して働く、在学して乗り切る、奨学金制度を利用する、そして特待生を狙う。

父は学費を払わず、女の人にブランドのバッグを買っていることに、父の車の中で発見して気づきました。母には、「自分で大学に行きたいと言ったんだから、あなたがお父さんに頭を下げなさい。」と言われ、祖父には中退して働くように言われ、自分が置かれている状況を認識。
大学2年の1学期の出来事でした。

中退したら一生後悔する、なんであの時もっと頑張れなかったのだろうと。だから今自分にできることを全力でやる。選んだ道は、特待生を狙って学費を一部免除してもらうということでした。
父に実際頭を下げたら、「お金はもう使ってしまった。」と言われただけ。あ~そうなんだ。でも、自分の力で頑張っている学生さん達は沢山いる。大変なのは私だけじゃない。

大学の講義が終わり、名古屋市内にある日本料理店で、着物を着付け、ビルの従業員専用の休憩室で勤務時間になるまで勉強。すると、お店の調理長が煙草をふかしながらやってきて、私の前に座りました。「俺さ、中学出てこの世界に入ったんだよ。学が無くてさ~。包丁持って仕込みをしている最中に、先輩に蹴られた時、絶対一流の料理人になって見返そうと思ったよ。頑張れよ!」
仕事中は、ピリピリして威厳のある調理長が、自分の話をしてまで、私を応援してくれました。
着物を着て勉強し、深夜まで働いている私は、普通の女子大生には見えなかったのだろうと。直接的ではなく、間接的に伝えたかった、ちゃんと見守っているということを。
自分が苦労してきたから、苦労している人がわかる。俺は学が無いけど、あなたには学ぶ場所がある、だから諦めるなと。煙草をくわえたまま去って行った調理長の後ろ姿は、私の大きな励みになりました。

1学期の試験は、特待生になるまでに2点足りませんでした。たった2点。
大阪にいる姉に電話をして伝えると、「よくやった!十分がんばったよ。私さ、お風呂の中で色々考えていたんだけど、Sは自分の努力が形になって表れるまで諦めない子だよね。普通途中で投げ出すでしょってことでも、自分が納得するまでやるんだよ。マイナス×マイナスの親からプラスが生まれたんだよ。なんとかなるって!」と笑いながら話してくれました。
電話を切った後に、本当は泣いてくれていたんじゃないかと思う。引きずってでも、大阪に連れてこれば良かったと。それができないから、せめて笑って励ましてくれたんじゃないかと。その気持ちで救われました。そう、頑張ったよ。

その後、父はそっと学費を入れてくれていました。皆が気づかないタイミングで。
そして、私の結婚式の少し前に、母が教えてくれました。「お父さんが出してくれた学費、本当は少し足りなくて、おじいちゃんに話したら、学費の一部を年金から出してくれていたの。Sが気にすると思ってずっと黙っていた。おじいちゃんの気持ち、忘れないでいてあげてね。」

あの時は、本当にどうしようもない状況だった。そんな中でも、皆がどこかで私のことを守ろうとしてくれていて、涙が止まりませんでした。
2点足りなかったからこそ気づいた、家族の愛。