名前の嬉しい呼ばれ方

子供の時は、もちろん下の名前で“ちゃん”付け。中学や高校の先生からは名字で呼ばれることが多く、大学の友達からはファーストネームで色々呼ばれました。

中学校の社会科の先生からは、いつも下の名前を呼び捨てにされていて。陸上部のコーチだったし、担任になったことがなくても、ものすごい親近感を抱かせてくれるその呼ばれ方が好きでした。

大学の講義で、出席を確認する際、教授が一人一人名前を呼んでいたら、同じ名字の男子学生の子が、自分と間違えて私の名前の時に返事をしてくれたことがありました。慌てて自分の名前も返事をしていて、その時にようやく間違いに気づいたよう。
講義が終わり、わざわざ謝りにきてくれました。全然気にしないでね~と笑い合って以来、お互いファーストネームで呼び合うことに。名字が一緒だしね。
社会人になり、一緒にランチをした時は、病弱な弟の将来をとても心配し、なかなか結婚は考えられないと話してくれて。立派な教員になっても、心の奥底でいつも弟を気にかけている優しい友達。自分の幸せを大切にしてくれていたらいいな。

大学勤務最終日、いつも図書館に寄贈本を用意して、図書館のことを気にかけてくださっていた教授の方と、お別れの挨拶をし、アドレスの交換をさせて頂きました。
後日送られてきたメールは、『いつもSさんが図書館でにっこり笑ってそこに居てくれることで、心が和みました。ありがとうございました。』というもの。
仕事中は名字で呼ばれていたのですが、退職し送られてきたメールには、ファーストネームで書かれていて。偉大な方なのにとても控えめで、必ず敬語を使ってくださる、そんな素晴らしい教授に出会えたことがとても嬉しかったです。
勤務中でも、気持ちの中ではファーストネームで呼んでくださっていたのかもしれませんね。
体が弱ってしまってもずっと研究をされている教授の年賀状が、毎年楽しみであり、退職しても応援しています。

結婚し母親になり、○○さんの奥さんや、○○くんのお母さん、と呼ばれることが増え、それはとても幸せなことであり、自然なこと。
でも、下の名前で呼んでもらえると、そこにはちゃんと自分の本質の部分が存在し、そこを見てもらえているようで嬉しくなります。
ママの友人ができて、プライベートでも遊ぶようになると、必ず友達のようにお互いが下の名前で呼び合い、そんな関係を大切にしたいと心から思う。

小学校に上がれば、学区で分かれ、会えなくなる友達が何人もいますが、その時は二人で会って、ガールズトークでもして、自分達のことを話したいなと思っています。
子供だけで繋がっている関係ではなく、子供が繋げてくれた関係。
ファーストネームで呼び合っているのが、そのことを証明してくれているよう。

息子と公園に行ったら、「S~!」と、思いっきり呼び捨てにされました。多分パパの真似。
いつからあなたの女になったのよ!ママでしょ!ここだけは、母親の喜びを感じることにしよう。