今年の春頃、姉から可愛い手帳をもらっていたことを思い出し、深夜に珍しく簡単な日記を書いてみました。が、まさかの一日で終わってしまい、三日坊主にもならないなと笑ってしまって。そんな私が、これだけエッセイを書き続けることができているのは読者さんがいてくれてこそ。いつも、カウンターの向こう側にいてくれてありがとう。息子が、学校の夏祭りでくじを引き、喜んで帰ってきた夜、戦利品を見せてくれて大爆笑。それは、ヤクルトの可愛らしい袋に入ったヤクルト飲料3本セットでした。「この景品、学校のみんなの中で一番Rが嬉しい商品じゃない?スワローズファンには最高のプレゼントだよ!」と自宅でわいわい。そんな二人だけの喜びを、微笑ましく思ってくれる方達がいるんだ。だから、何があっても前を向く。
お盆で、住職さんが両親宅へいらっしゃるということで、祖父の大好きなスイカを買って向かおうと思っていた前夜、母からメッセージが入りました。もうこちらで準備してあるからいいわよと。それ以外にも、あれこれ書いてあり、やんわり伝えているようで母の精神状態が良くないことが読み取れてしまい、困惑。当日の朝から変な緊張感があり、それでもお供え物の焼き菓子を購入して、ピンポンを押しました。すると、ややおいて父が開けてくれて。何かがおかしいなと感じながら、リビングに入ってソファに座っていた母に挨拶をすると、思いっきり無視されてしまいました。あ~、今日は負のオーラ全開の日だなと情けなくなって。そんな中、手を洗っていると、父が私達に向かって言ってくれました。「暑い中、ご苦労様~。」このひと言で十分なんだよね、これが父の安打なんだろうな。その後も、母の不機嫌な話を聞かされ、途中で少し泣きだし、息子は引きながら持ってきていたゲームをやっていて、ようやく住職さんが来訪してくれました。仏壇の前に座り、お経を聞いていると、やっぱりいろんな気持ちがこみ上げて。その日は終戦記念日でした。祖父が毎年どんな思いでこの日を迎えているのか、知っていました。「日本はもう戦争しないって決めたんだ。」どれだけ時が経っても、おじいちゃんの中で戦争体験はいつも背中合わせで、共に戦った仲間がいつもそこにいるのだと感じていました。そんな祖父が他界し、お経を聞いていたら魂を感じて。お盆って本当に帰ってきてくれるんだな。
少し前、姉と電話で話した時、お墓の話になり聞いてくれました。「おじいちゃん達のお墓、名古屋市内のもっと開かれた場所に問い合わせてみたりもしたんだけど、やっぱり関東に持ってきた方がいいかなって思って。Sちんはおじいちゃんを今いる所から出してあげたいんだよね。」その言葉を聞いて泣きそうになりました。葬儀が終わり、ようやく落ち着いた家族会議で、みんなが知らなかった祖父の戦時中の話をしました。満州にいたのだけど、戦争に負けて陸軍にいたから、長江や黄河といった大きな川のそばにはいなくて、逃げ遅れたこと。その後、車に入れられ、最初は国に帰れると思っていたら、捕虜にされたと分かり絶望したこと、それでも極寒のシベリアの地で重たい道具を持ち、もう一度家族に会えると信じて飢えと戦いながら働き続けたこと。奇跡的に帰還できた時、降り立ったのは舞鶴港で、本当に嬉しかったこと。だから、おじいちゃんにとって家族という存在は特別だったこと。そのおじいちゃんが繋げてくれた私達の歴史をずっと大切にしていきたいし、離れて暮らしてもおじいちゃんはまたひとつになると信じていて、その気持ちはとても尊いものだと伝えると、ネネちゃんは号泣してくれました。祖父と妹の絆はとても深かったのだと。だから、今回お墓の話を出してくれた時、両親の意向をすっ飛ばして、私の意見を大事にしてくれる姉の想いが嬉しくぐっときました。Sちんの意見は、おじいちゃんの心と繋がっている、それが我が家には大切なことなんだよ、行間から滲み出るネネちゃんの優しさ。「おじいちゃんね、本当に寂しがり屋だったから、そばにいたいんじゃないかなって思っているの。でも、名古屋の地を離れることもそれはそれで寂しいのかなって。名字の件ね、Rが落ち着いたタイミングで旧姓に戻そうかとも思っていたんだけど、それも違うのかなって思い始めていてね。実家を離れる時、おじいちゃんにも寂しい思いをさせてしまったなって、ずっとそう思っていたの。ひ孫ができても、おじいちゃんの容体が悪くなっても、そばにいることはできなかった。ずっとごめんねって思っていたの。だから、旧姓に戻すことでおじいちゃんは安心してくれるかなとか、でもそれって私のタスクであって息子のタスクではないんだよな、それをはき違えたらいけないなって思ったの。」そう話すと、電話の向こう側で姉が洟をすすったのが分かりました。「Sちんが関東に行っても、おじいちゃんはSちんの幸せを願っていたよ。だからそこは気にしなくていい。名字のことも形式より、大事なことは忘れないでいることだと思うから、きっとおじいちゃんに伝わっているよ。」妹は、どれだけのものを感じ背負ってきたのだろう、そんな姉の気持ちが胸に届きました。ありがとうね、ネネちゃん。
お経が終わると、住職さんとの談笑が少しあり、息子を見て伝えてくれました。「最初にお会いした時は、二人の男の子がわちゃわちゃやっていたのに、大きくなりましたね。」「ああ、その時はまだ1歳頃だったかもしれません。姉の子も一緒でした。あれからもう10年なんですね。」時の早さと濃さにはっとなりました。祖父も祖母も、そして母のお兄ちゃんも、きっとその10年を噛み締めてくれている。住職さんを見送り、母の不機嫌が相変わらずだったものの、思い切って外に出た方が、気分が変わるからと提案し、父を置いて三人で買い物へ出かけました。すると、気分転換できたのか、段々と機嫌が直っていき、4人で食卓を囲むことができて。20代のあの日、実家を出ていなければ胃炎では済まされなかったな、だからきっとその選択も間違っていなかった。お母さん、刀を捨ててくれる日をゆっくり待っているよ。そんな気持ちで、息子と帰宅。すると、本音を漏らしてくれました。「おばあちゃん、ボク達が行った時ガン無視で、機嫌が悪かったね。おじいちゃん、隣でずっとスルーしていて、おじいちゃんすげーって思った!」それは褒められたものじゃないんだけど、率直な意見に笑ってしまいました。最後は笑い話にする、そう決めたから、この先何があっても泣いた後に笑うことにする。