温度が届いた

この間は、引っ越してから初めての旗振り当番でした。今までは大きな交差点だったものの、今回からは学校前の押しボタン式の信号なので、左折の車が無くなり気分的に楽になって。その日は、朝からどんよりとした天気。息子と途中まで歩いていくと、見慣れた子がいたので、慌てて先に行くよう促されてしまいました。その後、自転車に乗って学校に停め、雨が降ってきたのでレインコートを着て、腕章をし、旗を持って信号機の前へ。向かい側に同じ当番のお母さんも立ってくれて、ひょこひょこと息子がやってきました。いつもの通学風景、なぜだろう、なんだかその姿にぐっときて。もう、小学校生活も後半戦、引っ越ししても変わらない日常を送ってくれている息子のランドセル姿に、ほっとし、すれ違った時の一瞬を切り取っておこうと思いました。小さく手を振ったあなたの手、覚えておくよ。あたたかくて優しい温度だった。その後も、知っている子達が何人も手を振ってくれて、穏やかな朝の始まり。マスクをして黒のレインコートも着て、誰だか分からないはずなのに、R君のお母さん!と気づいてくれて嬉しくなりました。幼稚園時代から一緒の友達たち、彼らの縁を引っ越ししても繋げられて良かった。

週末は、また科学館へ行ってきました。行きの電車で一席だけ空いていたので息子を座らせ、目の前に立ったものの、気分が悪くて後ろを振り返ると一つ空いていたので、目の前に座るねとひと言だけ伝え、ほっとして着席。アイコンタクトをし、寂しくないようにそっと手を振ると、息子の隣にいた40代の男性が席を立ち、譲ってくれました。「変わるから。」「いえいえ、すぐなんで大丈夫です。」「いいのいいの。」「本当にありがとうございます。」と恐縮しながらお礼を言うと微笑んでくれて。それから、息子と同じ方向の景色を楽しみ、最寄り駅に着いたので改めて会釈をしてその場を離れると、同じように会釈で返してくれました。私にできるのはこんなことぐらい、その方が一日気持ちよく過ごせますようにと願って届けた気持ちでした。日本人ならではのこんなコミュニケーションも好き。さてさて、科学館では毎回プラネタリウムで寝てしまい、私の反省会を息子に聞いてもらっていて。あのトーンと、シートの角度と、いい感じの星の輝きで眠りに落ちるんだな。国際線の機内で流してくれたら、爆睡できるかもしれない。

さらに翌日、父に用事があったので電話を入れると、母が目の手術をしていたことが判明。私が距離を取っていたので、姉も父もこちらには知らせなかったことが分かり、その配慮に有難いやら申し訳ないやらで、いろんな気持ちがこみ上げました。10か0か。間を取って3などというのは私の理想で、少し間口を広げると、どどっと来ることを恐れ、LINEの通知も一旦オフにしていて。そうっと開けて見てみると、明日目の手術をすることになったから知らせるだけ知らせておくわね、連絡しちゃってごめんなさいねという謙虚な母からのメッセージが数日前に入っていて、悪いことしたなと反省。息子に状況を伝え、父には自宅へお見舞いに行くとメッセージを送り、二人でメロンを買って届けました。一度目の手術は大掛かりではなかったので、比較的元気でいてくれた母。お見舞いを喜んでくれて、ほっとし、やはり父の存在は大きいのだと改めて思いました。「おばあちゃんね、おじいちゃんがそばにいた方が、落ち着いてくれているんだよ。」以前そんな話をしてくれた息子の直感はやはり正しかった。そして、仏壇の前に座り、祖父母の遺影を見上げると、ストンと気持ちがはまるところにはまった気がしました。血筋、私がお墓を守ることはもしかしたら大きなことなのかもしれないなと。戦地に行った祖父が繋いでくれた家族だから、大切に私なりのやり方で守っていくよ。おじいちゃんがずっと気にしていた真珠湾攻撃。捕虜になった後、奇跡的に母国に帰ってこられた後、他の地で何が起きていたのかゆっくり掘り下げていったことが分かりました。沖縄についても、色々な気持ちの中にいるんだろうなと言葉の端々から感じられて。「戦後、沖縄の人達はパスポートがないと本土には来られなかったんだよ。」祖父の心の中には悔しさが滲んでいたような気がしました。姉が航空会社に就職を決め、大学1年の夏に両親と私を沖縄旅行に誘ってくれた日。今思えば、家庭崩壊の前に姉がくれた家族へのプレゼントだったような気がしていて。脳梗塞で体力の戻らない祖父はお留守番。おじいちゃんの気持ちも飛行機に乗せて、行ってくるよ。そして、那覇空港で乗り換え、久米島へ。パスポートなしで沖縄へ行けること、そして何より海が綺麗で、ここで戦争があったことが信じられないぐらいの楽園でした。その後、ネネちゃんは関空に戻り、色々な味の“ちんすこう”をお土産に買い、帰宅。「Sちゃん、沖縄はどうだった?」「あまりにも海が綺麗で、ここで戦争があったんだなって思うと、胸が痛くなったよ。」「沢山の人が亡くなったんだ。もう戦争はしちゃいかん。今のまま、平和がいいんだ。」遺影を見て、そんな時のことを思い出しました。亡くなった直後は、祖父の軍服姿がずっとちらついていたのに、久しぶりに見た祖父の顔からその姿は薄れ、優しい表情を感じました。ようやくおじいちゃんは、戦争から解放されたのかもしれないなと。

人生初フライトは沖縄。姉の航空会社の飛行機で飛べたことが本当に嬉しかった。「お姉ちゃん、雲の上にいるってすごいね。機内食、出るかなあ。」「あっという間に着くから出ないんじゃない?」「出たよ!サンドイッチ!!今配ってる~。」「もう、あんたうるさい!」と機内でわいわい。お姉ちゃん、一緒に飛んだよ。この時間を忘れない。あなたは、私の誇り。